見出し画像

断髪小説 ゴールデンウィークの憂鬱

今の私は全然幸せじゃない。こんなはずじゃなかったという気持ちでいっぱいだ。
プロの演奏家になる夢を諦めて、音大を卒業してから中学校の教員を4年続けている。
教員といっても1年更新の任期付き雇用だから給料も安い。
教員不足がニュースになっているけど音楽の教員は今も狭き門で、毎年チャレンジしているがまだ本採用にならない。

仕事自体は正規の教員とほとんど変わらない。
授業以外にも、吹奏楽部の世話など毎日いろいろな雑務があって、今は自分の時間がほとんど持てない。
その上、4月から配属先の学校が変わった。
半年前に学生時代から付き合っていた恋人と別れてしまい、思い出が詰まっているこの部屋から引越したいのだけど、楽器が弾ける部屋はなかなか見つからないし、お金もないから毎日片道1時間以上かけて職場に通っている。
この生活になって1か月くらいしか経っていないけど疲れてしまった。

ゴールデンウィークの最終日。
今日は地域のイベントで吹奏楽部が演奏するから生徒の引率をしなくてはいけなかった。

指揮者は年配の顧問の先生がやり、生徒は全員ステージに上がって演奏やパフォーマンスをする。私だけ保護者といっしょに客席から写真を撮る役目。
別にステージに上がりたいわけじゃないけど、こんなことで休日が潰されてしまうことに虚しさを感じてしまう。
イベントが終わって楽器を学校に戻して駅まで歩いて帰るが、もう夕方のチャイムが鳴っている。

結局私のGWはこれで終わり。明日からまた学校だ。今年のGWは部活の引率や練習で1日しか休みが取れなかった。
さっき大学時代の友達から写真付きのLINEが送られてきた。彼氏と温泉旅行に行っていたようだ。いいなぁ羨ましい。それに引き換え私は何をしてるんだろう。
野外のイベントだったから余計にくたびれた。
汗もかいたし、せめてリフレッシュしたいなぁ…とフラフラ駅まで歩いていると、お洒落な感じの小さな美容室があった。

『サクマ美容室』と書いてある。
ドアの横のボードにはチョークで「地肌をリフレッシュ!ヘッドスパはいかがですか」と綺麗なイラスト入りで書かれていた。

( ヘッドスパかぁいいなぁ )

そういえば3ヶ月くらい美容室に行ってない。
赴任して来たばかりでこの辺りの土地勘はなく、この店のことも全然知らないけど、ふらりと店のドアを開けてみた。

チリンチリン…とドアに付いている鈴が鳴った。

「こんにちは。今から大丈夫ですか」
店の中では、スタイルのいい刈り上げボブの美容師さんが少年の頭をバリカンで短く刈り込んでいる。

美容師さんは手を止めて、私の方を向いて「こんにちは。初めてのお客さんかしら?あと15分くらいしたら終わるから、そちらに座って待ってくれますか?」

どうやら1人でお店をやっているようだ。
きれいにメイクをした美容師さんは、再びバリカンのスイッチを入れて髪を刈り始めた。
私は椅子に座りながら、いつもは後ろで束ねている髪をほどいた。

背中の真ん中まで伸びたワンレングスの髪。
人前でピアノを演奏する際にドレスを着ても似合うようにってずっと伸ばしてきたけど、教員をはじめてからはコンクールにも発表会にも出ていないし、朝早く起きて毎日髪を整えるのは正直面倒くさくなっている。

だけど髪型を変える勇気もないし、変えたところで何も現状は変わらない気がしてずっとこのままだ。
スマホでクラッシックを聴きながら目を閉じて膝の上でピアノを弾く真似をしながら順番を待つ。
やっぱりダメだ。うまく弾けるイメージがわかないなぁ。レッスンもしていないし、コンテストに出るなんてもう無理だろうなぁとって思うと大きなため息が出た。

俯いてると耳に引っかけていた前髪が垂れてきた。
まだ終わらないのかなと、髪を掻き上げながらカットの様子を伺うと、床に大量の長い髪が落ちている。

(はっなんで?)

よく見ると、少年と思いこんでいたカット中の子は女子高生だ。
短く髪を刈り込まれている彼女はケープから手を出して涙を拭いている。
その様子を見ながら美容師さんは楽しそうにトップの髪にすきバサミを入れていた。

背筋がゾッとした。
大丈夫なのこのお店?とんでもない店に入っちゃったかもしれないと思い、帰ろうかなと立ち上がると、美容師さんが振り向いて
「この子が終わったらすぐに始めるからもう少し待っててね」と声をかけてきた。

「は、はい」
小心者の私は気まずくなって立ち去ることができない。そうこうしてるうちに彼女のカットとシャンプーが終わった。
角刈りのようなありえない髪型にされた女の子は泣き腫らした目を擦りながら、支払いを終えるとすぐに帽子を被って店から出て行った。
美容師さんはそんなことを気にもせず、切った髪を掃き集めてゴミ袋に捨て、「お待たせしてすみません。こちらへどうぞ」と椅子に私を案内した。

さっきまであの子が座っていた黒くて手すりと足乗せがついた椅子に座ると、逃がさないとばかりにすぐに私の首にタオルが巻かれた。

「さっきのことびっくりしてるんでしょ」美容師さんが私の髪を手に取りながら優しく櫛で解きながら話しかけてくる。
「はい」私は少しドキドキしながら正直に返事をする。

「あの子が通ってる高校は何か問題起こすと髪を短く切らなきゃいけない決まりなの。連休明けまでにって言われてたみたいだからギリギリまで迷ってたんでしょうねぇ」
そりゃそうだろう。私だってあんなに短くしなきゃいけないって言われたら憂鬱でたまらない。

美容師さんは「さて、あなたはどのくらいカットすればいいかしら?」と聞いてきた。
「あの。ヘッドスパをお願いしたいのですが」と答えたけど
「ヘッドスパだけはやってないのよ。『カットのお客様に』って入り口のボードに書いてあったんだけど」
えっ、ちゃんと見てなかった。意表をつかれたようになって答えに詰まっていると美容師さんが妖しい目をしながら

「ねぇあなた。この髪って必要なの?」って耳元でつぶやいてきた。

「なんでそんなこと聞くんですか?」当たり前だけど私は彼女に問い返した。

すると「だって髪もかなり痛んでるし、あなたの表情見てると思いっきり髪型を変えてあげた方がいいかなぁって思ったの」と櫛の歯をつむじあたりの地肌にツンと刺すようにしながら答えてきた。
何かゾクゾクっとした。気持ちいいというかなんというか…感じちゃう。

私は「いえ。今日は毛先だけ切っていただければ…」とさらに答えたけれど、美容師さんは「バッサリ切ってあげるわよ」と地肌に櫛の歯をたてて撫でながらさらに私に囁く。

「イヤです。私ピアノの演奏もするんです。ドレスとかも着ることがあるんで髪を短くすると困るんです」と拒もうとするけど

「本当に困るの?大丈夫よ。ドレスでもちゃんと似合う髪型にすればいいんだから。それにずっと伸ばしっぱなしで、若いのにつむじが割れちゃってるし分け目も少し広くなっちゃってるわ。一度リセットしましょう」

決して強い口調ではない。耳元で甘く誘い込むような口調だ。そして指先や櫛の歯で頭を触られ続けられていくうちに何かトロンとした気分になってきた。
何してるのこの人…イヤだ私どうにかなりそう…。
鏡を見ると美容師さんは妖しげに微笑んできた。

「大丈夫よ。やっぱりあなたはここで変わった方がいいの。こんなくたびれた髪なんかいらないわ。ねえ私に任せなさい」そういいながら髪を持ち上げて私に白いケープを着せていく。
あぁ、どうしよう…。イヤだけどなんだか魅入られてしまって断れない。

「はい…わかりました…」私はついに彼女の提案を受け入れてしまった。

「そう。いいわ。あとは任せてね」
美容師さんは私の返事を聞くと、後ろから道具がたくさん置いてあるワゴンを持ってきて椅子に近づけた。
そして「あなたとっても怖がり屋さんみたいだから、カットが終わるまで見なくていいようにするわね」と椅子を180度回転させた。

( どうなるの私。これじゃどうなるのかもわからないよ… )

初めての美容室で全く知らない人に髪を切られるなんて不安でたまらない。
なんとか姿がわからないか、窓ガラスを見るとうっすら私の姿が映ってはいるけど、やっぱりよくわからない。

どんな髪型にされるんだろうか。不安な気持ちの中で、私の断髪の準備はどんどん進んでいく。
シュッシュと軽く霧吹きで髪が湿らされ、もう一度髪が梳かれる。
ワンレングスの長い前髪が顔全体を覆った。美容師さんは額から長い前髪を櫛で掬いあげ、上に向かって引きあげる。目の前に髪がまた垂れ下がってきた。
前髪作るのかなって思った次の瞬間、かなり根本あたりから

ジョキジョキジョキ…  と鈍い音がした。
何が起きたのか理解できない。左目の前だけ髪がなくなり前が見えるようになった。

( えっ? もしかして髪切られちゃったの?一体どうなったの?)

だけど鏡が見られないからわからない。
美容師さんが私の目の前に黒いものをチラチラさせた。

それはさっきまで私の頭にくっついていた前髪だ。

「はい。これ持ってて」
少し濡れている根本の方を上にして渡してきた私の前髪はゆうに60センチを超えてるはずだ。
「えっこんなに切っちゃったんですか?」私は声をあげたけど、美容師さんは斜め後ろで黙ったまんま。

一体、私の髪はどうなってしまったんだろう。

再び前髪が持ち上げられてジョキジョキジョキ…と髪が切られた。
やっぱりかなり根本から髪が切られている。

切った髪がまた私の手に渡された。いきなり前髪が短く切られて心臓がバクバクしてきた。
それから何度も何度も同じ作業が頭の上で断髪が繰り返される。
トップの髪が切られた後はサイドの髪、後ろの髪の順番でジョキジョキジョキ…と切られていく。

切られた髪は次々と私の手に渡される。
手に持つ髪が増えていくのとは反対に、私の頭から髪がある感触が消えていく。

サイドの髪が切られていくうちに頬を触る髪の感覚が消え、耳を覆う髪の感触が消えてしまった。後ろの髪が切られるとうなじから髪のある感覚が徐々になくなっていく。

相当短く髪が切られているんだ…。
さっき泣きながら帰って行った女子高生の惨めな髪型を思い出した。
もしかして私もあんな髪型にされているんじゃないんだろうか。不安でたまらないけど鏡が見れないから確認もできない。

やがて左の後ろ頭の髪が引っ張られてハサミが入った。
「これで髪は全部切っちゃったわよ」
美容師さんは私に最後に切り離した髪を見せつけるようにして私に渡してきた。
私は手首につけていたゴムで髪を束ねて膝の上に載せた。これが全部私の頭にくっついてたのか。ものすごい量だ。

そして、これだけ切られたって言うことは…私の頭はどうなってるんだろうって、恐る恐る右手で頭を触って確かめてみた。 

( うわっ。本当に髪がないっ )

「えっ。うそっ。うそだー」

思わず大きな声が出してしまった。あんなにあった髪が本当にない。
慌てて両手でペタペタと頭全体を触って確かめた。想像以上に根本から髪が切られていて、長いところでも数センチしか髪が残っていない。
横も後ろもてっぺんも髪がない…。
前髪も摘めるくらいしか残ってない。やだ。これ坊主じゃない。
いやだ。こんな頭。どうしよう、どうしよう、どうしよう…

頭の中が真っ白になっている私に
「大丈夫よ。キレイに仕上げていくから心配しないでね」と美容師さんが話しかけてくるけど、そんなの信用できない。

「どうするんですか。この頭」
私は思わず大きな声をあげてしまったが、美容師さんは全く動じない。
「怒らないで。まだ終わってないのよ」
切っちゃったものは仕方ないでしょと言わんばかりの態度。しかも自信満々の態度だ。

「ちゃんときれいにしてあげるから」
彼女はそう言いながらハサミを置いて、赤い道具を手に取った。
スイッチが入るとプーンという甲高い音が響き渡る。

( これって…バリカンだー )

さっき、女子高生を泣くぐらい短く刈り上げていたあの道具が私にも使われる。
「もうこれ以上、短くしないでいいです…」って小声で呟くようにお願いしたけども、そんなお願いを彼女が聞くはずはない。

首筋に人生初のバリカンが入った。
ザリザリと髪の刈られる音はするけど、それ以外は何も感じなくて、何が起きているかはわからない。
美容師さんは櫛を使いながら、後ろ頭をどんどん短く刈り上げていく。

後ろ頭が終わると、耳の後ろからだんだんとサイドの髪が同じように刈り上げられていく。バリカンのモーター音が耳の近くで響くと短い髪がパサパサと肩に落ちてきた。さっき頭を触った時に少ししか残っていなかった髪が根こそぎなくなっている気がする…。

反対側の髪も同じように刈り上げられると、再びハサミがチョキチョキチョキ…チョキチョキチョキ…と頭の回りをぐるっと回っていく。
櫛の歯が地肌にチクチク刺さるように当たってくるのがくすぐったいし、ハサミから聞こえる髪が切られる音に胸の高鳴りが止まらない。
一体私どうしちゃったんだろう…。
すごく嫌なんだけど興奮するというか変な気持ちになっている。

またシュッシュって霧吹きが頭に吹きかけられて、トップの髪が切られはじめた。
あれだけ短くされているのに、さらにザクザクと切られて濡れた短い髪がボトボト落ちてきた。
ショートはもちろん、物心ついた時から肩より上にしたこともなかった。
頭の上でハサミの音を聞くなんて初めての体験だ。
美容師さんは私の短くなった髪を指で摘みながら時間をかけてチョキチョキと切っていく。

もうこうなったら全て任せるしかない。私は膝の上に載せた髪束を未練がましく撫でながらハサミが止まるのを待った。

ハサミが止まった。

「終わったわよ」美容師さんはようやく私に話しかけてきた。

「怖い?」続けて私彼女は私に質問をしてきた。
私は「はい」と答えながら、首を縦に振ったら頭がめちゃくちゃ軽くなっていてびっくりした。

美容師さんが椅子を反転させた。

そこには…

バズカットになった私?…    なのかな。

誰って思うくらい外見が激変している。

あんなに長くて顔や頭を覆い尽くしていた髪がなくなって、頭の形も顔の輪郭も耳や首筋も全部露わになっている。

トップの髪は1、2センチしかなくて、サイドや後ろ頭はすごく短く刈り上げられている。前髪はほとんど残されてなくて、広いおでこの上の方に少しあるくらいだ。
いつも真ん中より右よりに作っていたくっきりした分け目も目立たない。

「あーこんなに短くされちゃったのかぁ」

後悔めいた言葉が思わず出たけど、正直この髪型は悪くない。
自分でいうのもなんだが、すごく似合ってるのだ。

「どう。スッキリしたでしょ。これであなたは昔のしがらみを全部断ち切れたのよ」
美容師さんが微笑みながら話しかけてきた。

私は髪がなくなった耳の周りの感触を手で触って確かめながら
「はい」って小声で返事をした。

「それじゃあ、これから頭皮のクレンジングとマッサージをしましょ。」
ケープが外され、シャンプー台のところで寝かされ、マッサージが始まった。
嗅いだことのない不思議な香りのアロマが焚かれ、頭に温かいお湯がかけられた。
今までなら長い髪がたっぷり水を含んで重くなっていたけど、そんな感覚は全くなく、地肌に直接シャワーのお湯が当たって気持ちがいい。
冷たいクレンジング剤が地肌に付けられ、ヒヤッとすると美容師さんのマッサージが始まる。

( あぁこの指使い…やばい…やばい…気持ち良すぎるよ… )

10本の指が直接地肌に吸い付く感じがして、恥ずかしいけどすごく感じちゃう。

美容師さんが「他人に頭を洗ってもらうの気持ちいいでしょ。またここにいらっしゃい。気持ちいいマッサージの方法を教えてあげるわ」と囁いてくる。
もう彼女の言いなりだ。きっと私はここのリピーターになるだろう。
だって本当に気持ちいいんだもん。

ヘッドスパが終わり、仕上げのスタイリングの前に眉も整えてもらって、この髪型に似合うメイクの仕方を教わった。
支払いを終えて店を出ると、すっかり日が暮れていた。
あの髪束は持ち帰らずに美容室で処分してもらうことにした。
憂鬱な気分は全部ここで捨ててしまおうと思ったからだ。

夜風が頭の回りをくすぐってくるように吹いてきて気持ちがいい。
電車に乗ると、こんなに髪を短くしている女性は珍しいからだろう。男性からも女性からもたくさん視線を感じる。今までなら恥ずかしくてたまらなかっただろうけど、今はその視線がとても心地いい。

電車を降りて家まで歩き出すと、耳の周りから髪がなくなっていろんな音がよく聞こえる気がした。
帰ったらシャワーを浴びて、久しぶりにドレスを出して着てみよう。
そして1人で思いっきりピアノ弾いてみようって思いながら家路についた。

※無料で作品を公開しています。
 この作品がいいと思ったらスキをクリックしてください。
 また他の作品もぜひお読みください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?