断髪小説 ゆく年切る髪 (姪の悪戯)
大晦日の早朝に深夜バスで実家に帰省した。
学生生活最後の年末年始。
小さな美容室を女手一つで切り盛りしている母に夏以来の再会だ。
年の瀬の美容室は忙しい。
お正月の準備も手伝わなければならないが、とりあえずちょっとだけ横になりたい。
だけど
「ユキ。もうすぐサラとミユが来るから一緒に遊んでやって」
飲食店を経営している姉夫妻も仕事で忙しいようだ。
保育所も今日はやっていないので、私が帰省することを知り母が孫を呼んだみたいだ。
本音を言えば私も昨日は夜までバイトをして、そのままバスに乗って帰ってきたからメチャクチャ眠い。
それに今夜は高校時代の友だちと初詣に行く予定にしているからちょっとだけ寝たかった。
だけどかわいい姪っ子たちのためだ。我慢しよう。
朝ごはんを食べて洗い物をしていると姉に連れられて姪のサラとミユがやってきた。
「久しぶり!あれ?髪切っちゃったの?」
夏に会った時は髪が長かった2人だったけど、冬に似つかわしくないくらいの耳出しのショートカットになっている。
「あぁ。これ?お母さんが昨日切っちゃったのよー。ひどいでしょ?これじゃ着物着せても似合わないわよね」
姉は不機嫌そうに私に言ってきた。
「何でお母さん。お姉ちゃんたちに言わずに勝手に髪切っちゃったの?」私も問い詰めたけど
「別にいいじゃないのよ。七五三も終わったしスイミングも習ってるんだから。」
母は全く悪びれず、自分の行為を正当化する。
ちなみに実家の近くに住んでいる姉は結婚してからずーっと耳だし刈り上げのショートカットにしている、というかされている。
「食べ物を扱う店なんだから不衛生にしてちゃダメでしょ」と、旦那さんの好みも無視して姉の髪を切り続けている。
夜遅くなりがちな仕事をしていて、たびたび子どもを預かってもらっている母に姉は頭が上がらないし、長い間ずっとショートだから髪を伸ばすのももう面倒くさくなっているみたいだ。
姉も新年を迎えるにあたり母に散髪されている。耳の周りやうなじを青白くなるほど刈り上げられていて見ているこっちが寒く感じる。
「ユキも4月から社会人なんだから髪を切りなさいよ。いつまでも学生気分でダラダラ髪なんて伸ばしてちゃダメなんだから」と、母は私にまで髪を切れと迫ってくる。
普段は優しいんだけど面倒くさい親だ。
文句を言われないためにこれでもクリスマス前に知り合いのカットモデルできれいに髪を整えてもらったばかりなのに。
ずっとここにいると本当に髪を切られそうだから、正月が終わったらさっさと退散しようと思う。
そんなことを考えていると
「ユキちゃーーん。一緒に遊んでよ」小さな姪っ子たちは、手を引っ張りながら美容室の2階にある部屋に私を連れていった。
この部屋は昔は私たち姉妹が使っていた場所だが、今ではすっかり様変わりしている。
たくさんのおもちゃに囲まれたコタツのある部屋だ。
さっそく姪っ子はおもちゃを出し、私をお客さんにしてお店屋さんごっこを始めた。
サラがご飯屋さんでミユが美容室。
「ユキちゃん。髪が長すぎるわよ。ちゃんと短くしなきゃダメよ」
きっとこんなふうにお母さんに言われたんだろうな。
ミユは母の口調を上手に真似ながら、チョキにした指でチョキチョキと髪を持ち上げながら私の切るマネをする。
指のハサミはチョキチョキと頭全体にあたる。本当にこんなふうに頭のてっぺんあたりの髪を切られたらカッパみたいになっちゃうだろうけど、所詮は子どもの真似っこ遊びなので止めはしない。
ミユは飽きずにバサバサと私の髪をおもちゃにしている。
眠いから私は適当に「あー。もう終わったかなぁ。スッキリした。今度はもっと短くしてください。またよろしくお願いします」
なんてことを言ってその場を終わらせる。
だけどミユはまた私の髪で遊びだす。そんなことを何度か繰り返しながら2時間が過ぎる。私の髪はすっかりボサボサだ。
それよりも眠い…。
深夜バスで眠れなかった私はとにかく横になりたい。せめて10分、いや5分だけでもいい。
「そうだ。次は工作をしようかな」
そう言って、ごっこ遊びを切り上げて私はタンスの上に置いてある折り紙セットやハサミや糊をコタツの上に出して切り絵を始めることにする。
クリスマスは終わったけど、画用紙に木の絵を描いてあげて星や花の形に切った紙をペタペタ貼ってみせた。
「2人もやってみなよ」
そう言って、2人にハサミと糊を渡して一緒に作品を作っていく。
保育園で習ったのか母や姉に教えてもらったのか、2人ともハサミの使い方がうまい。
小学生の頃使っていた私のお古のハサミでも危なげなく切っている。
よしよし、2人とも作業に集中し始めたぞ。
チョキチョキ…ペタペタ…単純な作業が続けていると余計に眠くなってくる。
ああもう限界だ。コタツで足が温まって余計に眠くなってきた。
「ちょっとだけ横になるね」
姪っ子たちにそういうと、私は座布団を折りたたんで枕にして横になった。
せめて5分だけでも目を瞑って少しだけ横になりたかったのだ。
だけど…
Zzzzzzzz… Z zzzzzzz… 私は迂闊にも本格的に寝てしまった。
そして
ハッ
目を覚ました私の顔のすぐ前に2人の姪がいた。
(しまった)
幼児にハサミを持たせたまま眠った私は、飛び起きて2人がケガをしていないかを確かめた。
大丈夫だ。2人ともケガはしていない。よかったぁ。
だけどコタツの上は、メチャクチャだ。
メチャクチャに切られた紙、紙、そして髪!
えっ?髪?
長い髪がバラバラとコタツの上に散らばっている。
姪たちが自分の髪を切っていたら大変だ。
慌てて2人の頭を確認したけど大丈夫だ。よく考えたら2人ともショートカットだし、こんなに長い髪は生えていない。
ってことは、この髪はまさか…。
サーっと血の気が引いた。
折りたたんで枕にしていた座布団の周りをよく見ると、信じられないくらいの量の髪が散らかっている。
まさかと思い私は頭を触ってみる。
頭のてっぺんあたりの髪がバリバリする。
きっと糊を使った手で私の髪を触っていたんだろう。早く洗わなきゃ。
エアコンで乾いた部屋で髪がところどころカチカチになっている。
そして…
あれっ左の髪がない?
左頬のあたりにチクチク毛先が当たる感触がする。
横向きで寝ていたけど、上にしていた側の髪が耳あたりから全部なくなっているのだ。
私は飛び起きて部屋にかけてある鏡を見て絶望した。
ヤバい。髪がメチャクチャだぁ。
言葉どおり膝から崩れ落ちてしまった。
キレイに切られてりゃまだいいが、後ろやトップの髪も雑に切られていててメチャクチャだ。
どう修正できるか全く予想もつかないというか、予想したくもない状況。
現状切られていない髪は肩の下まで長く伸びているが、ショートは確実だろう。
とりあえず母を呼んだ。
少ししてお母さんが「この忙しいのになんだい」と部屋にやってきた。
そして私を見るなり「どうしたのその頭!」と大声で怒鳴ってきた。
「いやぁ…コタツでついウトウト寝ちゃってたら髪を切られちゃって…」
お母さんは私ではなく、目の前で2人の孫を大声で叱った。
火がついたように大声で泣く2人。
そりゃそうだ。勝手に人の髪を切るなんて絶対にやっちゃいけないことだ。
二度とそんなことをさせないためにも叱りつけるのは当然だと思う。
だけどハサミを持たせたまま寝た私も悪い。
「お母さん。もういいよ。私が悪いんだから」
たまらず私は2人を庇うように謝った。こんなひどい目に遭っているのに。
それくらい母の怒りは凄まじかった。
「とりあえずお姉ちゃん呼んで2人に帰ってもらうわ。お昼になったら一旦お客さんがいなくなるから、その時にユキの髪切ってあげるから頭洗って待ってな」お母さんはそういうと電話でお姉ちゃんを呼び出して、さっさと店に戻って行った。
しばらくしてお姉ちゃんの旦那さんがやってきた。
無残な姿になっている私を見て、旦那さんは「すいませんでした」と土下座をした。
他人に土下座されるなんて生まれて初めての経験だ。
旦那さんも私の前で2人の娘を大声で叱り始めた。
せっかく泣き止んでいたのに再び大声で泣き叫ぶ姪っ子たちに気が滅入る私。
「お兄さん。2人ともお母さんにメチャクチャ怒られてたからもういいよ」
一番の被害者の私が気を使う始末だ。
とんだ年の瀬を迎えてしまったものだ。
姪っ子たちが帰ったあと、私は急いで風呂に入って糊でカピカピになった髪を時間をかけて洗い流した。
そんなに強い糊じゃなかったのでとりあえず全部洗い流せたけど、確認すると結構深刻な髪の切られ方だ。
左の耳のあたりで全部ざっくり切られているだけならいいけど、頭の上の分け目の近くやつむじの近くの髪が何ヶ所も持っていかれている。
あの指のハサミで遊んでいたように…。
顔の近くの前髪や頭の下にしていた右サイドの髪は全く無傷なのに、ここは切っちゃダメだろという場所が急所を突かれてるように切られている。
今日は、夜からお母さんに髪を結ってもらって着物で初詣に行く予定だったけど、これは無理だなぁ…。
お母さんが「ユキ。今空いたから店に来なさい」と呼ぶ声がした。
部屋着のままサンダル履きで店に出ると、同級生のレンのママがカラーリングをしながら待っているところだった。
「ユキちゃん大晦日に災難だったねー」
レンのママは少し笑いながら私に言った。
「いいのよ。どうせもう社会人なんだから。いつまでもダラダラと髪伸ばしてなくてよかったわ。新年からスッキリした頭にしときゃあいいのよ」
母はそう言いながらケープを掛けて温かいお湯で濡らしたタオルで糊を取り除く。
そしてちょっと心配そうに髪を櫛で整える。
私の頭をジーッと覗いて、被害の状況を確認。
「ユキー。これはひどいわ。やっぱりこのあたりの長さに合わせなきゃダメね。」
そう言って頭のてっぺんあたりの短く切られたあたりを指で摘み上げる。
やっぱりなぁ予想通りだ。
3センチほどの長さに切られた髪に合わせて切られると相当短くなるなぁ…。
「わかってるよ。でも横や後ろの髪まで短く刈り上げないでちょうだいね」
姉のように青々と刈り上げられないように最低限のオーダーはしておくが、母が言うことを聞くかはわからない。
「わかったわよ」
そう言うやいなや、母は顎のあたりまで伸びていた前髪を櫛で持ち上げると、指で挟んでザクザク…ザクザク…と一気に切ってしまった。
一瞬で目の前を通過して、へそのあたりに落ちてきた髪。
「えーー?そんなに切ったの?」思わず大声が出た。
おでこの上にちょこんとあるだけになっちゃった前髪は、姉や姪たちよりも短い。
「しょうがないでしょ。一番短くされた髪に合わなきゃいけないんだから前髪だけ長いとおかしいでしょ」とピシッと正論で言い返し、残りの前髪も同じようにザクザクと切ってしまった。
前髪を切り終えると母のハサミは私のトップの髪を前髪と同じ長さでザクザク…ザクザク…と切り進めていく。
前髪の倍以上の長さの髪がケープや床の上に散らばるいく一方で、頭の上の髪は芝生のように短くなり分け目を境に左右斜めに立ち上がっていく。
高校時代まではずっとショートだったけど成人式に向けて伸ばし始め、それ以降も肩甲骨の下あたりまでの長さを維持し続けてきたのに。
成人式以降、会うたびに「髪を切れ」という母の追及から今まで逃げてきたのに。
こんな形で、しかもこんなに短く切られちゃうなんて悔しい。
頭の上から肩の下に垂れていた髪がどんどんと私から離れ落ちて少なくなっていく。
耳の周りの髪も櫛で持ち上げられた後、指で挟まれながらザクザク…ザクザク…と切られていく。
右サイドに垂れていた髪が頼りなく薄くなっていきなくなった。
母は短くなっていた左サイドよりも先に無事だった右側の髪を先に切ってしまった。
当然だが左右の髪の長さが逆転した。
今度は後ろ頭の髪をザクザク…ザクザクと切られていく。首筋に湿った髪が当たる感覚がなくなっていく。
レンのママが「それだけ長い髪をいっぺんに切ったらママも絶対気持ちいいでしょー」と母に話かけた。
「気持ちいいわよー。娘だから遠慮いらないし」
いや、ちょっとは遠慮しろよ言いたい。
最後に左サイドの髪もザクザクと切られてしまい、ついに頭全体の髪が3センチほどに切りそろえられた。
耳が半分ほど髪で隠れてはいるが、全体的にだらしなく伸びたベリーショートの状態だ。
( だからこのままで済むわけがない…)
もっと短く髪を切りたいという母の魂胆は見え見えだ。
「ねえユキ。全体のバランスを考えたらやっぱり耳はスッキリ出したほうがいいわよ」
母は私にやっぱり「刈り上げ」を進めてくる。
ここまでトップの髪も前髪も短く切られたら仕方ない。
「あんまり短く刈り上げないでよ」私は母に許可を与えると、母はうれしそうにバリカンを持ってきて私の耳の後ろあたりから刈り上げ始めた。
ジャリジャリという音とともに、数センチの短い髪がかたまりになってボトボトと肩の上に落ちていくと、耳がくっきりと現れてくる。
「ユキはショートが似合うんだからずっと短くしとけばいいのに」
母はそう言いながら後ろの首筋もしっかりと刈り上げている。
左右に首を振りながら刈り上げた部分を確認。
うわぁやっぱり刈り上げられてるなぁ…。
姉ほどまではいかないが、白い地肌が透けている。
こんな形で断髪を余儀なくされていようとも母はやはり容赦がない。
母は霧吹きで残った髪を濡らして「サイドに合わせてもう少し切るわね」と、再び前髪から頭の上に向けて櫛をあてながらチョキチョキと髪を切り進んでいった。
結果、ちょっとだけ残っていた前髪もほとんどなくなってしまう。
「えーこんなに短く切られたら坊主になるじゃないのよー」
私は母に懇願するように声を上げるが、母は気に留めない。
エスカレートする母の断髪はこれで済むはずもない。
ハサミは頭の上でかろうじて残っていた3センチの髪をさらに短く切っていく。
チョキチョキ…
チョキチョキ…
チョキチョキ…
頭の上でハサミが再びけたたましく動いたあとには、頭の形がわかるくらいまで短くされた髪しか残らない。
いったんレンのママのカラーリングの仕上げのために放置された時、ケープから手を出して頭を触ってみた。見ての通り長めの坊主。少し湿った短髪は指で辛うじて摘めるほどの長さしかない。
母が戻ってきて、再び霧吹きで髪を湿らせ老眼鏡をかけ直して髪を整えていく。
短くなった髪に櫛を入れて何度も鏡で頭の形を確認しながら何度もチョキチョキとハサミを入れたり…。
いつまで、どこまで私の髪を切るんだろう。もういいよと言いたいけど、母はいっさい妥協することなく時間をかけて仕上げていき、最後にトリマーで耳の周りや襟足の産毛が剃った。
そしてついに…
「できたわよ」とケープが外された。
「短くしないで」という私の願いなど母に届くはずもなかった。
姪が悪戯で切ったよりもさらに短くされた髪。
サイドは数ミリ。長いところでも1センチちょっとくらいで頭の形がわかるほど短いバズカットだ。
だけど仕上がりを見ると絶望感はない。ちゃんと女性らしさが残されている。
昔から母の美容室に通う常連はほぼ全員がショートカットだ。
よほど強い意志がなければ押しの強い母は、客を丸め込んでばっさり髪を切ってしまう。今来ているレンのママだってそう。引っ越してきたばかりの頃はロングヘアだったのに10年以上ショートカットを維持している。
ただ母の技術は確かなもので、どんなに短くされても納得のいく仕上がりにしてしまい、ショートカットの沼にはめてしまう。
さっそく私の仕上がりを見てレンのママが
「すごいわねぇ。こんなに短くしてもキレイに仕上げちゃうんだ」と褒めている。
シャンプーをしてもらった後
「せっかくだから髪を明るめに染めてあげようか」と聞かれたけれど、安心したらまた眠気が襲ってきたので「後でお願い」と断った。
椅子から立ち上がり、シャリシャリする後ろ頭を撫ぜながら
「あーあ。初詣には振り袖で行こうと思ったんだけどなぁ。行くのやめようかなぁ」ガッカリしながら呟いた。
綺麗に結いあげる髪がなくなったし、こんな短く髪を切られたら友だちに会うのも恥ずかしい。
だけど母は「何言ってるのよ。ショートでもちゃんとメイクすれば着物も似合うわよ。首筋や耳周りがすっきりして色気も出るし、あんたは一応美人なんだから自信をもちな。私が責任持ってやってあげるから」と母が背中越しに言った。
一応とは付けられたが、滅多に人の外見など褒めない母に言われたらいい気になってしまう。
それじゃあ信じてみようかなぁ。
私は振り袖を着ることに決めた。
新しい年を前に髪を切ったことを前向きに受け止めよう。
まずは寝よう。
姪が遊んでいた子ども部屋のコタツに潜り私はしばしの眠りにつくのであった。
それではみなさま良いお年を。
Zzzzzz…
(お礼)
今年はこの作品で締めくくります。ご愛読いただきありがとうございました。
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年末年始に過去の作品もぜひ読んでみてください。
来年もよろしくお願いします。
次回は1月3日に公開する予定です。
良いお年をお迎えください。
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