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断髪小説 出向 〜ゴールデンウィークの屈辱〜

華やかな営業部署から屈辱の配置転換。

大きなプロジェクトに失敗した私たちのチームは責任を取るかたちで解散。
その後の処遇ははっきり言って「冷遇」だった。
プロジェクトリーダーは責任を取って退社。
結婚している同僚もここが潮時だと悟って退社。
残った数名も都心の高層ビルにある本社から「しばらく現場を回って来い」と言われ、あちこちの地方の関連子会社に飛ばされることになった。

私は2年間という約束で北関東の弁当工場に出向を命じられた。もちろん拒否などできない。
冷遇されているのは誰が見ても明らかだし、給料も1割くらい減るから退社も考えたけど、まだキャリアも浅いし転職するよりは歯を食いしばって次のチャンスを待つことにした。

プロジェクトに失敗もしたといっても不正などを働いて招いた結果でもないし、もっと言えば誰がやっていても結果は変わらなかったはずなのだ。
今は島流しのような目に遭っているが、2年後は必ず本社に帰れるはず…。

覚悟を決めて私は5月からの出社に備え、出向先の近くでアパートを借りた。

連休前に、弁当工場に挨拶に行った。
黒の上下のスーツにパンプスを履いて買ったばかりの自転車を30分ほど漕ぐと、田んぼ以外何もないような街の外れに平屋建ての大きな工場があった。

ヘルメットを脱いでドアを開けると工場長がいた。
「あなたが東京から来たミズノさんかな?」
早速、私は工場の応接室に招き入れられて工場での仕事の説明を受けた。
基本は事務所でパソコンを使った事務作業をやるのだが、人手不足なので私も半日は工場の中で弁当作りを手伝わなければならないらしい。
そんなことは聞いていなかったから驚いた。だけど、引越しまでしたし戻ることもできない。

5月1日
衛生検査にパスした私は工場に初出勤となった。
今までの仕事は、おしゃれなワンピースや黒のスーツを身にまとっていたが、これからは出社すると用意されている白い作業服に帽子を被り白い長靴を履く。
白衣や帽子は当然クリーニングされているが、長靴は誰かが昔履いていたものを渡された。嫌だなぁ…と思いながら長靴を履いて、朝セットしたばかりの長い髪を頭の上にまとめて帽子の中にしまいこんで作業場に出た。

私が作業場に入った時にはすでに調理は始まっていて、皆忙しそうに動き回っている。

私は主任のサトウさんというおばさんに指示をもらいながら、仕事の輪に入ろうとするが、忙しく動き回るおばさんたちの動きになかなか合わせることができず、邪魔そうに扱われてしまう。
大きな釜で炊かれた炊き立てのご飯をかき混ぜながら冷ましていく作業を手伝っていたが、コツもわからないしご飯の熱で身体中に汗をダラダラかくわで午前中の作業を終えた。

私は午後からのデスクワークに備えて、休憩室の隅で白衣から事務仕事用の服に着替える。数時間の作業だったのにまるで雨に降られたように髪も身体もびしょびしょになった私。
汗臭くなっていないか心配になりながら、タオルで汗を拭って、服を着替え、髪を整え直して食堂に行こうとした時だった。

「ミズノさん。ちょっと待って」

私に声をかけてきたのは60代くらいの3人組のおばさんたちだ。
とっても意地が悪そうな表情をしている。

いやな予感しかしないけど、無視をするわけにもいかない。
「なんでしょう?」と返事をすると
「あんた。調理場に入るなら清潔な格好をしてくれなきゃ困るのよ」
「はぁ」
「そんなに長い髪でここに来られたら困るの」

胸のあたりまで伸ばして、ヘアアイロンで真っ直ぐにに伸ばした髪も帽子の中で、蒸れてしまい少しうねりが出ている。

この髪を切れと初対面のおばさんたちから迫られて正直驚いている。

「どうしてですか?」私は口ごたえではなく、素朴に断髪の理由を聞いた。
すると、おばさんたちは目をつりあげながら
「どうしてってわかるでしょ?弁当に髪が入ったりしたら大問題になるってわかるでしょ?だからこの工場で働いてる人は女でも全員ショートカットにしているでしょ?気づいていないの?」

そういえばそうだ…。

サトウさんも、さっき部屋から出ていったおばさんたちも、そして目の前にいる彼女たちもみんな髪を短く切っているし、きついパーマをかけている人も多い。
これってもしかして私も髪を切らなきゃいけないの?いやだ。私ボブにもしたことないのに…。

「明日までに切ってこれる?その髪」
もじもじしているとおばさんたちはさらに詰め寄ってくる。

「いえ。今日はまだこれから仕事だし、まだ引越してきたばかりで美容室も見つけていないので…」

「あら。それなら私の妹がやってる店に行けばいいわよ。ここから自転車で行けるし。5時には仕事終わるんでしょ?私が電話しといてあげるわ」と少しニヤニヤしながら話を進めていく。
嫌だ。気持ちの準備もできていない。
おばさんは私の目の前でスマホで電話をしている

「あーもしもし。今日仕事終わったらお客さん連れていくわ。うん。新しく工場に来た子が髪を伸ばしっぱなしできちゃって。それで切ってもらうことになって。うん。ミズノっていう子。5時半には行くから。よろしくー」

そして
「妹に予約したから。一緒に自転車で行くのよ。いいわね」
そう言うと私を残してさっさと部屋を出ていった。
とんでもないことになっしまった。

午後5時
時間通りに仕事が終わった。
このまま逃げ帰りたい。
私は休憩室に寄らずにそのまま工場を出て、自転車置き場に向かう。
しかし、私の自転車の前におばさんは待ち構えていた。

「それじゃ行きましょうね」
私はおばさんの漕ぐ自転車の後ろを着いていく。
アパートとは反対方向に向かって15分ほど自転車を走らせると、ちょっとした村が現れた。でも美容室らしきものはない。
急におばさんがブレーキをかけて自転車を停めたのは古い理容室だった。
「えっ?床屋さんなんですか?」
思わず私はおばさんに聞くけど
「別にいいでしょ?短く切ってもらうならこっちの方がいいわよ」
とそっけなく返事をされて店の中に入れられた。

店にはおばさんによく似た理容師がいる。

「あらー若い子なのねー」と一言。
そしてさっさと私を大きな散髪椅子に座らせると、大きな白いケープを首に巻いた。
なんというか、おじさんの汗と脂の匂いが混じった酸っぱい匂いが鼻をつく。
理容師さんは私の髪を霧吹きでシュッシュッ…と水をかけ、根本まで染み込ませるように濡らしていく。

そして髪を整えた後、耳から上の髪を頭の上に持っていきクリップで留めた。

私をここに連れてきた工場のおばさんが「ここで働くならちゃんと髪を刈り上げな」と
後ろで言ってきた。

「えっ?刈り上げちゃうんですか?」
まさかトップに残した髪以外、全部刈り上げられるの?
理容師のおばさんは後ろの棚に引っ掛けてあった黒いバリカンにカチャカチャと刃をはめ込んでこちらに近づいてくる。

「あの…やっぱりいいです…」
私は後ろを振り向きながら言葉をかけようとするが、おばさんは言うことを聞かず、左手で肩を押さえた。
もう逃げられない。

大きな散髪椅子の下にあるコンセントにプラグを差し込むと、ヒュイーーーンと甲高いモーターの音が響き渡った。

「ちょっと下向いて」
おばさんは私の後頭部を押しながらうつむかせると、首筋にヒタっと金属の感触。

「あぁ…」
思わず声を上げた瞬間、金属の刃が一気に
ジョジョジョジョ…という音を立てて後頭部を駆け上がっていった。

「……。……。」

ショックで言葉が出てこない。
バリカンは想像以上に後頭部の高い位置まで刈り終えるとまた首筋から頭の上へを駆け上っていく。
パサパサ、パサパサと背中越しに髪が落ちているけど、どうなってしまっているのか見えないからわからない。

どうか髪がありますように。そんなに短くされていませんように。とありえない希望を神様に祈るけど絶対無理だってわかっている。
鏡に映る私は、緊張で力が入って肩をすくめながら口元がへの字に歪めているみっともない格好だ。
おばさんは後ろの髪を刈り終えて、私の横にたち、束ねた髪を上に押さえながら耳の周りを刈り上げ始めた。

ヒュイーーーン。ジョジョ…ジョジョ…
耳の上だからさっきよりもバリカンが走る距離は短いけど、髪が刈り上げられていく音は大きいし、パサパサと髪が落ちていく様子を目の当たりにして、もうなにがなんだかわからない。

ヒュイーーーン…ジョジョ…ジョジョジョジョ…

もみあげからこめかみの上までバリカンが髪を刈り落とすと、耳の周りが真っ白な地肌が剥き出しになるほど刈り上げられて耳が丸出しになった。

(なにこれ…髪が全部なくなっちゃってる…)
衝撃を受けている間に反対側の髪もバリカンによって侵食されて、私の頭の下半分の髪は1ミリもないくらいに刈り上げというより剃り上げられた。

おばさんがバリカンを後ろの棚に戻しにいっている間、床に落ちた髪を見る。
毎日丁寧にヘアアイロンで伸ばしていた黒髪も、こうして刈り落とされるともうゴミだ。悔しい…。なんでここまでされなきゃいけないんだ…。だんだんと会社に腹が立ってきた。

そんなタイミングでおばさんが今度はハサミを持ってやってきた。
頭の上のクリップを取り払い、再び髪を解かし直すと、さっきまでのロングヘアの私が戻ってきた。
もうこのままでいい。ツーブロックで許してもらいたいな。と思ってけどそうはいかないようだ。
前髪用に髪が取り分けられて、最初に捻られながら目の下あたりまでの長さまでジョキジョキと切られた後、トドメとばかりに眉上1センチの高さで真っ直ぐに切られてしまう。
キャリアウーマンを気取って、あえて気の強そうな太めの眉にしていたのだが、こんな前髪では芋臭い姿になってしまった。

そして…
ついに私のロングヘアが切り落とされていく。
その長さは前髪と同じ高さで真っ直ぐに、櫛を定規のように真っ直ぐあてながら、

ジョキリ。ジョキリ。ジョキリ

40センチ以上一気に切り落とされてしまうと、一旦隠れていた耳が再び露わになり、もう二度と隠れなくなる。

ジョキリ。ジョキリ。ジョキリ
黒い髪の幕が切って落とされ、剃り上げられた白い地肌が剥き出しになり、私の頭は黒いベレー帽を被ったような奇妙な風貌に変わっていく。

ジョキリ。ジョキリ。ジョキリ。
ハサミが頭の周りを一周してついに完成。

(あーこれはない…)

コミニカルなキノコ頭にされて、太めの眉をした私はまるでお笑い芸人のようだ。
ケープを取り払われて、白のワイシャツと黒いスラックスの姿を鏡で見ると、一体何者なんだろうって感じ。
首の周りのタオルもとられて、大きな鏡で後ろ姿も見せられた。

「あーダメだこりゃ…」
思わずお笑い芸人のあの言葉を口にしてしまった。

青々と剃り上げられた後頭部はウィッグでも被らない限り隠せない。
これからこの頭で生活しなきゃいけないなんてどうすればいいんだろうか…。

手のひらで剃り上げられた部分をさすってみてもわずかにザラザラした感触があるだけ。髪で隠れている部分まで頭が刈られていることも実感して、もう涙も出ないほど辛い。辛い。辛い…。

顔剃りの準備がされている間、鏡を見ながら呆然としていると、ここに連れてきた工場のおばさんが
「面白い頭になったじゃないの。まあここは東京じゃないし。誰もチヤホヤなんてしないから仕事がんばんな」と言って店を出て行った。

きっと私の断髪をみんなに触れて回って面白がるに違いない。屈辱だ…。
顔剃りとシャンプーが済み、私はようやく解放された。
店を出て、ヘルメットを被ったけど、短く切られた髪はヘルメットからもはみ出ない。
ここからアパートまでは途中工場の前を通っても40分以上かかる。
暗くなり涼しい風が吹き始めた。
刈り上げられたばかりの耳の周りや首筋がなんだか寒くて悔しくて、涙がポロポロ出てきた。

結局、私は奇妙なキノコ頭に耐えられず、ゴールデンウィークの間にトップの髪も思い切り短くしてスポーツ刈りのようにしてしまった。
まるで男性のような風貌になってしまった私。
でも滑稽な髪型よりもこの方が舐められないから余程いい。

ロングヘアだった頃の私を捨てよう。
いつか私をこんな目にあわせたおばさんたちをギャフンと言わせてやる。
そして絶対に本社に戻ってやる。
そう心に決めた決意の断髪だ。

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