見出し画像

断髪小説 クルーカット

9月になって早々に息子の通っている保育園からプリントが渡された。内容は「アタマジラミが保育園で流行っています。ご家庭でも注意をしてください」というものだ。
まあ、ウチは大丈夫だろうとタカをくくっていたんだけど、子どもはどこで何をもらってくるか本当にわからない。

1週間もしないうちに、「クラスで検査したら頭に卵らしいものがあったから駆除をお願いします。またご家庭の中でご家族に感染してないか必ず確認してください」と連絡があった。
幸い、私にも夫にもシラミらしきものはおらず、息子のシラミの駆除を考える。
シラミを駆除するためには、櫛で採ったり、卵のついている髪だけ切り取ったり、薬入りのシャンプーを使うのだが、最も手っ取り早くて有効な方法は髪を全部短く刈ってしまうことだ。
夫は「男の子だし坊主にすればいいよ」と、息子にシラミがいるとわかった先からさっさと決めてその日のうちにネットで道具を注文した。私は布団や枕のシーツを洗ったり、掃除機を家中かけたりと大変だ。

私たち一家は一昨年古い民家を買い取ってこの町に移住してきた。
畑も井戸も蔵もある大きな家だ。
20近く歳の離れた夫のジョンは外国から来た芸術家。手先が器用でなんでもできるし、やりたがる。
今までもジョンは私や息子の散髪をしていたので、ハサミやケープなどの道具はあったが、坊主には縁がなかったからバリカンは買っていなかった。

2日後、我が家にバリカンが届いた。
大きめの箱に入っているけど、充電器やプラスチックのアタッチメントとかの付属品がたくさん入っていて、本体は意外にコンパクトだ。
ジョンはさっそく充電器にバリカンを差し込み、「明日の朝、これで散髪をしよう」と言ってきた。
明日は土曜日。夫は自宅のアトリエを開放する日だが、朝からそんなにお客さんは来ないし、マッサージ師として病院で働いている私も休日だ。

「わかったわ」
月曜日までに息子の髪を切っておけば保育園も安心だろう。

次の日
まだ朝6時を回ったくらいなのに、せっかちなジョンは私を起こして「イズミ。今から散髪しよう」と声をかけてきた。
「まだ、こんな時間だしあの子寝てるわよ」
と、返事をすると、

「うん。わかってる。ボクとイズミが先に散髪するの」
「えっ。私も?」
「そう。キミも散髪しよう」

確かにここ数ヶ月ジョンに髪をカットしてもらっていない。いつものようにロングヘアの毛先を揃えてくれるんだろうなと思い、Tシャツとデニムに着替えて髪をとかして外に出た。

ジョンはもう自分でケープを身にまとい、いつも後ろで束ねているちょんまげ頭を解いて庭先に出した椅子に座っている。

「ボクは息子といっしょに坊主にしようと思うんだ。彼だけっていうのはかわいそうな気分だし、だいぶ頭も薄くなってきたしね」
確かに50歳に近づいているジョンはおでこも広くなって、白髪も目立ってきた。
「イズミ。見てて」
ジョンは私に声をかけると、ケープの下で持っていたバリカンのスイッチを入れて、自分の頭を刈り始めた。
ジョンは指先で髪のある場所を探しながら鏡もないのに、ザーザーとバリカンを頭に這いまわして短い坊主になっていく。

「ちょっと縁側に置いてある鏡持ってきて」

しばらく鏡を見ながらセルフカットを続けていたけど、頭の後ろとかにはたくさん刈り残しができている。
「イズミ。あとは仕上げお願い」
ジョンはそういうと私にバリカンを渡して鏡を見つめ始めた。

他人の頭を刈るなんて初めての経験だ。
「ゆっくり何度も繰り返し刈っていけば大丈夫だよ」と言われるけど、頭を傷つけないかが心配だった。最初のうちはおそるおそる見よう見まねで頭を刈りなおしていく。
おそらく一番短くするようにセットしていたようで、ジョンの髪はスキンヘッドのように短くなった。
念入りにバリカンで刈っていると、近所の農家のおじいさんが私たちを見つけて

「おっ。ジョンさん坊主にしたんか。似合うなぁ」と声をかけてきた。
夫はうれしそうに「ありがとうございます」と答えている。おじいさんは

「切った髪、畑に置いとくと動物よけになるから吊るしとけ」と言ってきた。
ジョンは「そうですか。ありがとうございます」と笑って返事をしている。
そんな効果があるんだ。ちょっと勉強になった気分になる。

「終わったわよ」
バリカンのスイッチを切って、首周りの髪を払ってケープを外してあげる。
ジョンはしばらく鏡を見ながらうれしそうに坊主頭を撫でていたが、やがて

「じゃあ今度はボクがイズミの髪を切ってあげるから座って」と声をかけてきた。

私も自分でケープを首に巻き付けて、椅子に座る。
きっといつものようにジョンは私の髪をやさしく梳かして、いつものように毛先のカットが始まる…

と思っていた。
しかし、ジョンは私の髪をバックに流しながら頭の後ろでポニーテールを作っている。

「えっどうしたの?」

不思議に思って私はジョンに聞く。すると
「今日はイズミも髪を短く切ろうよ」と言ってきた。

「えー?」私はびっくりした。
ジョンは出会った時から私の黒くて長い髪を愛していたはずなのにどうしたんだろう。
「ジョンは私が髪を切っても本当にいいの?」

するとジョンは「今日はイズミもボクも息子もみんなでいっしょに髪を短く切ろうよ。これはとても新鮮な体験だろ。きれいな髪のキミもステキだけど、ベリーショートにしたキミもきっとステキだよ。さあ!」と言ってきた。

私もそう言われれば断れない。
田舎に引っ越して職場が変わっても幸せだし、何も不満はない。
だけど、変化に乏しくなっているのは実感している。
結婚する前からずっとキープしてきたこの長い髪をここで夫に切ってもらうのもいいかもしれない…。そうジョンの言葉を聞いて納得した。

「わかったわジョン。思い切りステキな女性にしてね」そう言いながら後ろを向いて彼の頬にキスをした。

「OK」
いよいよ散髪が始まる。
ジョンは私のポニーテールを手で掴み、バリカンのスイッチを入れた。
ブーンというモーターの音が私の頭に近づく

「いくよ」

ジョンはそういうと、ポニーテールの根本をバリカンで切り離し始めた。

ジャリジャリジャリ…ジャリジャリジャリ…ジャリジャリジャリ…

太い髪の束は容易に切り離すことはできないようで少し手こずっているみたいだけど、パサリパサリと短くなった髪が耳にかぶさり落ちてくる。
髪が切られる音がまるで泣いているように聞こえる。
だけどバリカンのモーター音は止まない。

ジャリジャリジャリ…ジャリジャリジャリ…ジャリジャリジャリ…

そのうちブツッという感触とともに、髪が引っ張られる感覚がなくなった。
ついにポニーテールが切り離されたみたいだ。バリカンの音が一旦止まり、ジョンが背中越しに私から切り離したばかりの長い髪の束を渡してきた。

長いところは50センチくらいあるだろう切り離された髪の束。
大事に伸ばしてしてきた髪だから、やっぱり名残り惜しい。手にとってケープの上に載せながらやさしく撫でてあげた後、ちょっと頬擦りをした。

「この髪は絶対に動物よけなんかで使っちゃダメだからね」

私は笑いながらジョンにそう念を押すとと髪束を渡して、鏡で自分の姿を映した。
前から見るとセンターの分け目が目立つアゴ上のボブのようだが、きっと後ろはポニーテールを根本から切っているので悲惨なことになっていると思う。触ってみると束ねていた部分の髪がすごく短くなっていた。
どんな仕上がりになるか楽しみでもあり、不安でもある。ここからは仕上がるまで鏡を見ないことに決めて膝の上に置いた。

ジョンは「じゃあ、続けるよ」と言いながら、大き目のアタッチメントを付けたバリカンをいきなり私の額に近づけた。

「えっ。大丈夫?」と言おうと思ったけど、遅かった。
バリカンは私の頭の真ん中をさっきよりすごい衝撃を与えながら走り去り、残っている髪をバサバサと落としていく。

(私の頭一体どうなってしまうんだろう)

でも今はジョンを信じて鏡は見ない。
私の髪がバリカンの音といっしょにバサバサと音を立てながらたくさん落ちていく。
耳の周りにあった髪の感覚も、いつもなら前に垂れてくる前髪の感覚もどんどんなくなっていく。
後ろの頭に首筋からバリカンが入った。
くすぐったくて首をすくめようとするけど、ジョンはそれを許さず頭を押さえて私の頭を刈りすすめていく。
全体を刈り終えてもジョンは二度・三度と頭を撫で回すように刈っていく。

(いつまで続くんだろう…)
胸のドキドキが聞こえてくるくらい緊張している。もしかしたらそんな長い時間じゃなかったのかもしれないけど、私にとってはすごく長い時間に感じた。

ようやくバリカンのスイッチが切られて音が止んだ。
ジョンが私の頭の上をガシガシと手のひらで撫で回した。
今までならこんなに乱暴な感じで撫で回されたら、頭の上で長い髪がもつれてしまうに違いないが、もうそんな感触はしない。
撫でられたさきから髪の毛が指から離れてザラザラとしている。
これだけでだいぶ短く刈られたなとはっきりわかる

「ねえ、どれくらいの長さにしたの」と聞くとジョンは

「18ミリだよイズミ。でも大丈夫。とても似合ってるよ」と答えた。

「ウソ。18ミリってベリーショートどころじゃなくって坊主じゃない?」とたまらず鏡で確認する私。

そこには前髪がなくなっておでこ丸出しになった私の顔が映る。普段も髪を後ろに束ねて仕事をしているからそんなに違和感はないのだけど、いつもと違って短くされた髪の毛先が立ち上がっているのが見える。
なんというか長めの坊主というか、坊主の伸びかけのようだけど、これだけ短く刈られても頭の真ん中あたりでいつも髪を分けていたところはちょっと薄くなり、しっかりと存在を主張し続けている。

「うわー本当に坊主みたいになっちゃったなぁ」と分け目のあたりを気にしながら頭をザラザラと撫でていると

「まだ終わってないよ」とジョンはアタッチメントを取り替えて

「これからサイドとバックをカットしてカッコよくしていくからもうちょっと待って」
とバリカンのスイッチを入れ、サイドとバックを刈り上げていく。
ジョンは何度もアタッチメント付け替え、櫛も使いながら器用に徐々に短く刈り込んでこんいく。
どうやら海兵隊みたいな髪型にされているみたいだ。
トップの髪はそのままだけど、もみあげあたりは地肌が透けるというかほぼ剃られているくらい短くされている。

散髪の最中に、農作業に行くのだろう近所の人のクルマが何台も通って行った。
朝早くから散髪をしてる私たちを見てみんなどう思うだろうと心配になりながらカットが終わるのを待っている。
最後におくれ毛の部分をバリカンでキワ剃りがされる。首の後ろやサイドだけでなく、こめかみや額の部分までされた。

「お待たせ。終わったよ」と髪が払われ、ケープが外された。
生まれ変わった自分の姿をさっそく鏡でじっくり観察する。
さっき見た伸びかけの坊主のような髪型からさらに短くなっているけどキリッとした雰囲気に変わっている。
顔が濃いめで女性としては筋肉質な身体付きをしているので、これじゃあ男性と見間違われそうな気がする。
一番長いトップの髪は指先で摘めるくらいしかなくて、サイドや後ろはジョリジョリとして触るとすごく気持ちいい。

後ろがどうなってるかよく見えないのでジョンにスマホで後ろ頭を写してもらい見せてもらうと、うなじあたりは青々と刈り上げられて頭の形や耳の裏がくっきり見える。
長い間背中を覆っていた髪がすべてなくなってしまい、自分じゃないみたいだ

「やっぱりイズミはショートもよく似合うよ」とジョンがうれしそうに私を抱きしめて頬擦りをしてくる。
長い髪が邪魔をしないからジョンの髭の感触を直接頬で感じ取ることができるようになった。

こんなに髪をバッサリ切られるとは思っていなかったので、体中についた髪の毛を流しにお風呂へ行く。
頭を洗う時、つい長かった時と同じ量のシャンプーを出してしまったり、髪がなくなったのにゆすぐために首をかしげてしまったりと、長年染み付いた習慣と現実につい戸惑ってしまった。
それにしてもこの髪型、乾かすのがすごい楽だ。髪を乾かしたりブラッシングに充てていた時間がもしかして勿体なかったかもと、髪を切ったことがどんどんポジティブに受け止められるようになってきた。

Tシャツを着替えて外に出ると、ジョンは息子の散髪が早くしたいらしく、起こしてくるように言ってきた。

息子を起こしに行くと、起きたばかりの息子は、私の変身ぶりに驚きながら寝巻きのままで少し不機嫌そうに靴を履いて庭先に置かれた椅子に座った。
そして、私が布団からシーツを取り外して洗濯機に入れている間に息子はクリクリの坊主になっていた。

3人で庭でいると隣に住んでいるおばあさんが通りがかり、私たちを見て「ジョンさんのお家は禅寺でも始めるのかい?」とびっくりしながら話しかけてきた。
こりゃあしばらく近所で評判になるかなぁ。
ちょっと恥ずかしいけど、新鮮な生活が送れるかもしれない。
そう思いながら、もう一度頭をザリザリと撫で回してみた。

※無料で作品を公開しています。
 この作品がいいと思ったらスキをクリックしてください。
 他の作品もぜひお読みください。
 フォロー、コメントもよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?