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断髪小説 夕立ち


ペチャッ…ペチャペチャッ…

大きな雨粒がアスファルトを叩く音がした次の瞬間、ザーと大きな音を立てて激しい雨が降り始めた。
外を歩いていた人はびっくりしながら傘をさしたり、近くのドラッグストアとかに避難するために走りはじめた。
天気予報でも言っていたが夕立ちがやってきた。

ゴロゴロ…
遠くで雷の音が聞こえるけれど、おそらくこっちの方にはこないだろう。
激しい雨も1時間も経たないうちには止むんじゃないかと思う。
ここは街中から少し離れた「理容室フルハシ」という散髪屋。普段は妻もいるが今日はもう予約もないから家に帰ってしまった。
こんなひどい雨の中じゃあ客などしばらくこないだろう。
しばらくゆっくりしようと、スポーツ新聞を片手に店の奥の部屋に入ろうとした時だった。

ガタっとガラス戸を開ける音がして、大きな荷物を持った女子高生2人組が店に入ってきた。

「もーなによビチャビチャだよー」
「ちょうどいいじゃん。ここでやっちゃお。ナオ」
「えー。今日さっそくやっちゃうの?やだ。」
「いいじゃん。あんたが言い出したことよ。さっさとやっちゃお」

雨音よりも賑やかなおしゃべりだ。

(おいおい、雨宿りで店に入るのはやめてくれよ。)

古びた理容室に不釣り合いな女子高生たち。
小さな理容室の空間に、若い女子特有の甘ったるい匂いがムワッと広がった。
大雨が降っているとはいえ、客でもないのに店の中でいられるのは困る。
客が忘れた古いビニール傘があるし、それを渡してさっさと追っ払おうと思って声をかけようとすると

「おじさん。これから髪切ってもらえる?」女子高生の一人が先に私に言ってきた。

「エミ。本当に今なの」
もう一人の女子高生が聞いてるが、エミという短い髪をスズメの尻尾のように後ろで結んでいる女の子は

「うん。決めたの」と遮るように私に頼んできた。

「本当にここで散髪するの?」私は半ば冗談かと思って聞き直す。

「いや。また今度でいいじゃん」と、長い髪をポニーテールにしているナオという子はエミを思い留まらせるように話かけている。

…とにかくタオルを渡して濡れた身体を拭いてもらおう。風邪をひかれても困る。

「髪を切ってほしいたって、ここじゃおしゃれになんか出来ないよ」
とりあえずどうしたいのか聞かなきゃと思い、言葉を投げるとエミは

「いいんです。坊主にしたいんだから」とあっけらかんと答えた

「はぁ?坊主にするって言った?」びっくりして自分は問い直した。

女の子は「はい。お願いします」と返事をしてくる。

「なんで?」悪ふざけで取り返しのつかない頭になって後悔をしたりされても困る。
答え次第では断りたい。

すると「先輩のコーチが病気で髪が全部抜けたから、励まそうかと思って。本当は今日の試合に勝って報告がしたかったけど負けちゃったからね」
ラケットを持っているし、どうやら彼女たちはテニスをしているみたいだ。

「そういうことなんで、お願いしまーす」とエミは濡れた髪をタオルで乾かすと、さっさと椅子に座った。
「いいのかい。本当に?」自分は念のためナオにも聞いた。
急展開についていけていないのか彼女は少し沈黙したあと「はい」とだけ答えた。

それなら仕方ない

エミのカットの準備に取り掛かった。
ケープを巻く前に、雨で濡れている首の周りを拭き取り、ケープを巻いてネックシャッターを付けた。
肩につかない濡れたショートボブの髪も、タオルで拭くときにでクシャクシャになっているから、もう一度こっちで丁寧に拭いて櫛で梳く。

カットの準備が整った。

「長さはどうするの」と聞くと
「一番短いので」とエミからある意味予想どおりの回答がきた。
「0.5ミリだよ」と確認するけど、「はい」と一言。彼女に迷いはない。
逆に「真ん中から一気にやってください」ときた。

こうなりゃやるしかない。
後ろの戸棚に引っかけているバリカンを持ってきて、一番短く刈れる刃に交換して油をさして椅子の下のコンセントに差し込んだ。

ヒューンとモーター音を響かせてバリカンは目覚めた。
「それじゃあ、一気にやっちゃうよ」
長い前髪を後ろに流して額を全開にしながら、バリカンを入れた。

ジャジャジャジャジャ…という音とともに、あっという間に髪がめくれ上がり後頭部から背中に向けて落ちていく。
真っ黒に日焼けした顔とは対象的な、日の光など浴びて来なかった白い頭皮が現れた。

鏡に映る女の子は「うわー」と声を漏らしながら笑ったけど、その表情は明らかに引きつっている。
でももう後に引けない状況になってしまった。

0.5ミリの坊主を受け入れてもらうしかない。

手を休めず右左とバリカンを滑らせて頭頂部を全て刈り上げた。
髪が無くなると頭の形は隠せない。
この娘の頭は上に向かって少し尖っている。正直言ってあまり坊主には向いてない形だ。
彼女はそんなこと予想もしていなかったのだろう。引き攣った笑顔さえも消えて、鏡をじっと見てきっと後悔をしている。
こちらはさっさと仕上げるしかない。もみあげから耳の周りの髪もすべて刈り取ってしまう。

後ろの椅子に座っているナオに目をやった。
ナオの方は口に手をやりながら怯えたような表情でエミの断髪をじっと見届けている。
友人の無惨な姿を見て、次は私だと不安になっているのだろう。
だけど別に嫌ならこちらは散髪をする気はない。

後頭部の髪もすべて刈り取ると、仕上げに何回か頭中にバリカンを滑らせてスイッチを切った。卵の形のような坊主頭が完成した。

ブラシで頭の上に残った髪のクズを払うと、エミはたまらずケープから右手を出してペタペタと頭を触っている。
「あーヤバーい。もう涼しい」エアコンで冷えている部屋の空気を頭が直接感じているのは事実だが、多分それ以上に恥ずかしさや後悔を誤魔化すために鏡に映る自分に大きな声を出して話しかけているんだろう。だけどもうどうしようもない。

「どう?」
エミは後ろで待っているナオの方に振り向いて苦笑いしながら尋ねている。
かわいい顔が台無しの不恰好な坊主頭を見て、ナオは答えに困って「まぁ」としか言わない。
こちらはさっさとシャンプーと顔剃りを済ませて1人目を終わらせた。

床に落ちているエミの髪を掃き集めてゴミ箱に入れると
「どうしますか」とナオに聞いた。
別にこちらは散髪してもらわなくても構わない。
外に目をやると、雨足はまだ強く、雨音も店の中まで聞こえてくる。

「今日はやめようかな」
ナオは少しふざけた感じで呟いたら
「いや。ふざけるな。それなら絶交するよ」とエミは突っ込んでいる。

「仕方ない…」ナオは観念して散髪椅子に座った。

エミよりも髪が長い分、汗と制汗剤とシャンプーの匂いが混じる複雑な臭いが強い。
ナオの髪を持ち上げてケープを巻く。
肩の下まで届く髪を念入りに櫛で整えて、再びバリカンのスイッチを入れた。

「いきますよ」とナオに声をかけると、ナオの顔は緊張で強張って首を横に振った。
急な拒絶に少しびっくりしてバリカンのスイッチを切る。
ナオは「やっぱり切るのやめようかな…」と苦笑いして呟いた。
当然だけど、こちらは別にどっちでもいい。

すると後ろでエミがキレながら「裏切るなよー」とナオを叱りつけた。

しばらく、ナオはケープをつけたまま考え込んだ。勢いだけで坊主にするなんて大変だ。ナオの場合、ここまで髪を伸ばすのには数年はかかる。
エミからまた「早くやっちゃえよー。ナオが言い出したんでしょ」と声が飛んだ。

ようやくナオは決心したのか、首を小さく縦に振り、「やっぱり髪全部切っちゃってください」と言ってきた。目を開けてバリカンを受け入れる準備をした。

「わかりました」
バリカンのスイッチを三たび入れ、額の真ん中に作った分け目に沿ってバリカンを入れた。

ザザザザザザザザ…

1センチもない髪の分け目が、バリカンによって数センチの白い溝となってしまった。
ナオは小声で「うわぁ」と呟いたが、どうしようもないことを悟ったんだろう。
肩を震わせて苦笑するしかないようだ。
バリカンでロングヘアの頭頂部をどんどん刈り取ると、戦国時代のサムライのような頭になっていく。長い間、理容師をしているがこんな経験は初めてだ。

髪を持ち上げながらもみあげや耳の周りの髪を刈り上げていく。やがて右の耳が現れた。屈辱的な容姿の変貌ぶりを目の当たりにしてなのか、ナオの耳は赤くなっている。
だけど、この娘はエミとは違い、頭の形がいいから坊主頭にしても変じゃない。

長い後ろの髪も手に持ちながら刈り上げていく。
上の方の髪まで中々いっぺんには刈り取れない。
全てを刈り取ると、手の中にプラーンと長い髪がぶら下がる。
大事に伸ばしてきたんだろうけど、持っていても仕方がないので捨てるように床に落とすしかない。
ちょっと心苦しい気持ちになってしまう。

あとは左の髪を残すだけ。淡々と作業が進めようとしていると、ガタッとドアが開く音がして、配達員の人が荷物を届けにきた。

バリカンのスイッチを切って「そこに置いておいてください」と声をかける。
ほんの1分もしない短い時間だけど、若い女子高生が坊主になっているのを配達員もびっくりした様子で眺めているし、中途半端な姿のままカットの手を止められたナオは、ひどく恥ずかしがっているし奇妙だった。

耳の周りに残る最後髪を掬いながら刈り落としているのをナオは名残り惜しげに見つめている。
ついにエミに続いてナオも0.5ミリの丸坊主になってしまった。
頭から髪を落として、ケープを取ってやると、ナオは「うわぁー」と声をあげて、口に手をやった。

そして、後ろのエミの方に振り向いて「やっちゃったね」と頭を撫でながら苦笑いして話しかけている。
ナオにも顔剃りとシャンプーをしてやったが、シャンプーのあとに「うわー楽だなーこの頭ー」と奇声あげてエミの笑いを誘おうとしていた。やっぱり恥ずかしいんだろう。

「お疲れ様でした」
髪がなくなって寂しくなったナオの肩からタオルを取り除いて、解放する。
ナオは頭を何度も触りながら、同類のエミに向かって笑いかけている。
やがてお互いの頭を触り合って大声で笑いはじめた。
楽しそうでなによりだが少々うるさい。
まだ強い雨が降り続いていたので、2人はお金を支払ってからも店にいた。
他にお客さんもいないのに、この雨の中に客を追い出すことはできない。

2人は椅子に座って、スマホをいじりながら賑やかに話をしている。
こちらはナオの長い髪を掃き集めて床そうじを終え、細々と店の掃除を始めた。

しばらくして、ようやく雨が止んだ。
空が少し明るくなって、傘をささずに自転車を走らせる人もいる。

「雨止んだみたいだね」
「まだお見舞いの時間に間に合うかなぁ」
「明日でいいんじゃない」

2人は椅子から立ち上がり店を出る準備を始めた。

「頭どうする?」
「私、キャップ持ってない」
「タオルで隠せばいいんじゃない?」
「えー怪しいよ。だから今日は嫌って言ったのに」

大きな声で話し合う2人。まるで夕立みたいなお騒がせ者だ。

結局、エミは白いテニス用のキャップを被り、ナオは青いスポーツタオルを頭に巻いて店を出ていった。

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