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断髪小説 監督代行の覚悟

「選手入場」

高らかな宣誓と共に、灼熱のグラウンドで球児の行進が始まった。
プラカードを持ったマネージャーを先頭に選手たちが元気よく行進をする。

「県立K高校」

アナウンスが私たちの高校の名を読み上げた。
プラカードを掲げて先頭を歩く私の後に選手たちが続く。
でも私はマネージャーではなく、女子の野球部員だ。
普段の練習も練習試合でも男子に混じってプレイをしている。
しかし公式戦は女子であるために選手として参加できない。
グラウンドに立てるのは試合前のノッカーとしてだけだ。

悔しくないと言えばウソになるが、これも自分で選んで続けてきたことだ。
3年生最後の大会ということで、監督が主催者にかけあってグランドをユニフォーム姿で行進をすることができた。
選手と揃いの古豪らしい真っ白なユニフォームと帽子に臙脂色のアンダーシャツ。
他の選手と違うのは、背中に背番号が縫い付けられていないことだけ。
寂しい背中を隠すように、私の背中には一つに束ねられた長い髪が揺れている。

私の学校の野球部は甲子園出場こそないものの、かつては県大会ベスト8の常連だった。今でも野球が盛んな土地柄で地元の中学校は強豪校として有名だけど、小さな町だから野球が上手い子は私立や大きな街の学校に進学するようになり、最近は3回戦まで行くかどうかの状態だった。
しかし今年はソウタというエースが活躍して春の大会は久々のベスト8まで残り、シード権を獲得し町は盛り上がっている。

今年、町をあげて応援する大きな理由がもう一つある。
それは、40年近く監督を続けていたサイトウ監督がこの夏で引退をすることになったことだ。監督はかつては鬼監督と恐れられていたらしいが、今では優しいおじいちゃんだ。区切りとなる大会をなんとしてもいい結果で終わりたい。選手のモチベーションも高かった。

開会式から1週間くらい経った日曜日に1回戦があった。
朝から30度を優に超える炎天下で試合は行われた。
結果は我が校の勝利。
ソウタの調子はあまり良くなくて、立ち上がりは不安定だったけど徐々に立ち直り、打線も終盤に調子を上げて結局8-0のコールド勝ち。

春の大会から試合中にベンチでサインを出すのは私の役割になっている。
「今年のチームはリコ(私の名前)が助監督だ」と言い、監督はスタメンや作戦を私と相談して決めている。だから私も期待に応えられるように、ノックの練習をしたり戦術の勉強をしたり頑張っている。

試合が終わり、会場の外の木陰で反省会をしている時に事件は起きた。
いつものように大きな声で話す監督の口が急にもつれて…膝から突然崩れ落ちたのだ。

「監督ー」隣に立っていた私はパニックになって泣き叫んだ。
周りにいた保護者たちが球場にいる医務のスタッフを呼び、監督はAEDで救命措置をされながら救急車で運ばれていった。

その後、いつもなら現地解散するところだが、全員学校に戻って監督の容態の報告を待った。用具を片付けたりミーティングをしていてもみんな監督がどうなったか心配でたまらなかった。
夕方になり監督に付き添って病院に行っていた先生から電話で報告があった。

「大丈夫。命は取り留めていますし意識ももどっています。ただ今は念のため集中治療室に入院しています」
みんなとりあえず胸を撫で下ろした。

加えて
「次からの試合はもう無理だと言っていました。それで監督の代行はリコさんに頼むとのことでした」

(えっ私が?)

一斉に部員たちの視線が私に集まった。
そして一瞬の間が空いた後、キャプテンのレイが私に向けて
「よろしくお願いします。」と帽子を脱いで大きな声で挨拶をした。
すると他の部員も「よろしくお願いします」と声を合わせて挨拶をした。
大きな責任が私の肩に載っかった。

火曜日の放課後、私は顧問の先生と監督が入院している病院に行った。
監督は集中治療室にいるので直接は話をすることができないが、ガラス越しに姿を見て監督に会釈をした。
ベッドで寝ている監督はこちらを向いて弱々しく手を振ってくれた。
容態は安定したようで、2回戦が終わる頃には一般病棟に移り、面会もできるみたいだ。それまでは絶対に負けちゃいけないと心に決めた。

水曜日
朝、学校に行くと部員たちの変化に驚くことになる。
なんと3年生全員(12人)が五厘の丸刈り頭になっていた。
青々とした頭になっているソウタに「みんなどうしたのよその頭?」と聞くと
「気合いを入れるためにさ。レイが言い出して練習が終わって監督の知り合いの店で全員ツルツルにしてもらった」と恥ずかしそうに笑った。

ソウタは普段から身だしなみに気を遣っていて日焼け止めのクリームも使っているほどだ。五厘刈りはもちろんスポーツ刈りのような短髪にもしたことがなかったからビックリした。
放課後グランドに出ると、3年生全員が日焼けした顔や首筋に比べて真っ白な坊主頭になっていた。

いよいよ明日は2回戦だ。
ここで私は大きな決断をした。

明日は第一試合で、朝8時に現地集合だ。
ケガに気をつけながら早めに練習を切り上げると私は家とは違う駅のある方向に自転車を漕いだ。
駅前の古い商店街はシャッターが閉まったままの店が増えたけど、夕方近くは惣菜を売っているお店や居酒屋もあって賑わいを見せている。
私はその商店街の中にある古い理容室の前に自転車を止めて、重たいガラス戸をガコンと開けた。

「こんにちは」

店の中では老夫婦がテレビを見ながら麦茶を飲んでいた。
誰がきたのかと見つめる2人に

「すみません。これから散髪お願いできますか?」と、ヘルメットを脱ぎながら声をかけた。
背中に野球部の大きなリュックを背負っているので、どうやらおじいさんたちは私が野球部員だと気づいたようだ。

「あーあんたがあそこの野球部の女の子かな?」
「はい。昨日たくさん部員が来たと思います」
「そうそう。女子部員が監督をするって言ってたけど、あんたかな?」
「はい」
「そりゃそりゃ頑張ってねぇ…」ってそれで話が切れてしまって微妙な感じ…。

「あの。今日は髪を切りに来たんですが?」ともう一度言うと、今度はおばあさんが

「昨日、うちにたくさん学生さんがきて坊主にしていったけど、まさかあんたも坊主にしにきたんじゃないだろうね」と質問をしてきた。

「はい。そうです。坊主にしにきました」私はおばあさんに答えた。

そう。私の決断とは他の3年生と一緒の坊主にすることだった。

小学生の頃から男子ばかりの中で野球を続けてきたけど、髪だけは長く伸ばしていた。暑い日は帽子の中で蒸れるし、滑り込んだり外で筋トレすると髪が地面に付いて汚れるしと不便なことが多いけど、普段はかわいい女子でいたかったから大事に伸ばしてきた。
高校生になってからは部活漬けの日々だけど、数少ないオフには友だちと今時のJKっぽいおしゃれな服を着て大きな街に遊びに行ったりしている。
編み込みなどのヘアアレンジだって大好きだ。

だけど私は代行とはいえ監督を任された。
しかも試合に負けた時点で私含めて3年生は全員引退。
入院している監督にも、1試合でも多く私たちの勇姿を見てもらいたい。
次の試合はシード権を逃した強豪の私立高校。
絶対に勝ちたいと3年生は全員頭を丸めて気合いを入れた。
私のいない間に散髪したのはきっと気を使ったんだと思う。
だけどそのなかに私も加わりたい。

私の返事を聞いたおばあさんは案外すんなりと
「わかったよ。荷物置いたらここに座りな」と2つ並んでいる古くて大きな椅子のうち、奥の方に案内した。

「お願いします」
私は大きな椅子に腰掛けて正面の鏡を見つめた。
毎日日焼け止めを塗っているが、それでも真っ黒に焼けた顔。
「ちょっとごめんよ」と言いながら、おばあさんがテキパキと制服のポロシャツのボタンを外して汗ばんだ首筋に乾いた黄色いタオルをギュッと巻き、その上から白くて大きなケープが身体全体を覆うように掛けられた。

初めての理容室のケープは、美容室のカットクロスとは違って重たいし手も出せない。しかも男の人のシャンプーや汗が混じった生乾きのような臭いがして不快だ。
おばあさんは早速、胸のポケットから櫛を取り出して、背中に束ねていた髪をほどいて梳かしはじめた。
「真っ直ぐでいい髪だねぇ…」と言いながら頭の上から優しく髪をとかし、後ろにまとめてあったサイドの髪が肩の前に垂らしていく。

白いケープの上に胸の下まで垂れた真っ黒で太い髪はひときわ映えている。
頬の横にくっつく髪は、ほんのり汗で湿り、昨日のシャンプーの残り香がした。
練習の後はベタベタして気持ち悪く感じることもあった髪も全部無くなったら一体どうなっちゃうんだろう?
鏡を見ながら、丸坊主になった自分を想像すると、正直ちょっと怖くなってきた。

おばあさんは私の髪を綺麗に整えて終わると奥の道具が置いてある棚の方に向かった。壁に吊るしていた黒くて大きな電気バリカンを手に取り棚の中にある刃を取り出してバリカンにはめ込んでいる。
やがておばさんはもつれたようなコードを解きながらこちらに近づき、ケープをめくり、散髪椅子の下にあるコンセントにコードを差し込んだ。

ヒューーーーン…カタカタカタカタ…

なぜか壊れたような音がした。
おじいさんが驚いて機械油を持ってきた。
散髪を待つ私の横で、老夫婦は少し言い争いをしながらバリカンのスイッチを入れては機械油をさしたり、刃を抜き差ししたりしている。
「エアコンつけてるし、こっちのコンセントの方が悪いんじゃないか?」
今度はコンセントを何回か抜き差ししている。

(このお店大丈夫かなぁ)

鏡を見つめる時間が長いとだんだん心配になって覚悟が揺らぐ

ようやくヒューーーーンという軽快な音がし始めた。

おばあさんは私の髪を左手で撫でつけながら、ここでようやく「みんなと一緒の長さで全部刈っちゃっていいんだよね」と長さの確認をしてきた。

「はい。大丈夫です」私はモーターの音を頭の上で聞いてドキドキしながら返事をした。

「それじゃいきますよー」
おばあさんは前髪をべたりと後ろにかきあげながらバリカンの刃先をおでこに近づけ、そのまま左手を後ろ頭に当てて私の頭を固定した。

(ああっ…髪が無くなっちゃう…) 怖くて目を瞑った私。

だけどバリカンの音は止まらない。
生あたたかな平たい金属の板が私の額にくっついたかと思うと、そのまま頭の真ん中をゆっくり通過していった。

ヒューーーーン…ザザザザ。。。


(どうなっちゃったんだろう?)

恐る恐る目を開けようかと考えていると、もうふた刈りめのバリカンが頭の上を通過している。

ヒューーーーン…ザザザザ。。。という音の後、バサバサと崩れるように大量の髪が落ちていく様子を目の当たりにする。

そのあとは頭の真ん中の髪だけが見事になくなって、白い道のような刈りあとがくっきり。

「うわっ、うわっ、うわっ」 とたまらず変な声を出してしまった私。

おばあさんはびっくりしてバリカンのスイッチを切り「大丈夫?」と鏡越しに話しかけてきた。
私は我にかえって改めて悲惨な状況の頭を見つめる。

(あーもうこうなったら坊主になるしかないんだなぁ)

後悔が急に湧き起こってきた。
お腹のあたりに落ちてきた髪をケープ越しに摘んでみる。
さっきまで私の身体の一部だったのに、もう私のものじゃないみたいな変な感じ。

ガッカリしたけど、いつまでもこんな惨めな格好のままじゃいられない。
おばあさんは頭の上に残った刈り落とした髪を指で摘んでハラハラと落としていたが、私が大丈夫だとわかるとまた散髪を再開するべくバリカンのスイッチを入れ直した。

カチッ ......(沈黙)......

「あらっ?また調子悪くなったよ。コレ」
おばあさんが少し焦りながらおじいさんに叫んでいる。
刃の先にくっついている私の髪をとり払いながら、何度もスイッチをつけようとしたり、コンセントを抜き差ししたり…。

その間、私は頭の真ん中に10センチくらいの幅だけ1mmに刈られたロングヘアを晒したまま、待たされている。

(えっ。このままにされるのは絶対にイヤよ。早く全部刈ってよ)

羞恥心でカーッと身体の内側から熱くなってくる。

おばあさんはもう一つある散髪椅子の方にいって、そちらの椅子のコンセントにコードを差し込んだ。

ヒューーーン
今度は元気よくバリカンが動いている。

「ごめんね。この椅子が壊れているみたいだから、こっちにきてちょうだい」

「はい」

髪を切られて辛いとか寂しいとかいう余韻に浸る暇もない。
途中で散髪が中断されて、そのままでいることがものすごく恥ずかしい。
椅子から立ち上がって、大きなケープをつけたまま手前の椅子に座ろうとすると
「ちょっと待って」と言われて立ったままケープを外された。
首にタオルを巻いたままだが、制服姿の落ち武者頭の私。
右手で1mmに刈られた部分を初めて触ってみる。

(あっ…やっぱりザラザラする)

朝、レイの頭を触った時と同じ。ほとんど髪が無くなったようでも私の太い髪はしっかりと存在感を示している。
髪のあるところと無くなったところを不思議な感じで交互に触り比べていると、おばあさんが

「もういいかい?」と話しかけて、再びケープが掛けられた。

ヒューーーンとバリカンが動き始めて、再び私の髪をまんなから刈っていく。

ザザザザ…
 ザザザザ…
  ザザザザ…

今度は小気味よくスムーズにバリカンが動いて、あっという間に頭頂部全体が1mmに刈りそろえられる。

(うわぁ…さっきより落ち武者だぁ…)
私の自慢だった髪はもうサイドと後ろしか残っていない。

その時だ。

ガコンと横の方でガラス戸が開く音がして

「こんにちはー」
「こんにちはー」
「こんにちはー」

と元気な声が続いた。

(まさか…)

すごく嫌な予感がした。
聞き覚えのある声、大きなリュックを床に下ろす音。そして鏡に映る彼らの姿。

2年生の後輩たちが3人店にやってきたのだ。
おばあさんはまたバリカンのスイッチを切って

「あんたたちも散髪に来たのかい」
「はい。お願いします」
「ちょっと座って待っててちょうだい。今この子の頭刈ってるんだけど、電気の調子が悪くて1人づつしかできないのよ」

後輩たちは「こんにちはー」と落ち武者状態の私に背後からあいさつをしてきたけど、恥ずかしくて振り向くことも返事もできない…。

それからもしばらく、おばあさんは後輩たちと喋っていて、落ち武者状態の私はその間は放置状態。

(ああ。このままじゃすごく恥ずかしいから早くやってよ〜)

エアコンの風が、刈りあがった部分の頭皮に吹いてきて、そこだけ妙に寒い。
風に乗って頭からはプーンと機械油の臭いが漂ってくる。
こんな私のみっともない姿を後輩たちはちょくちょく見ているようで、鏡越しに目が合う。

お願い。おばあさん。早く私の頭を全部刈ってちょうだい。心の中で切に祈る。

おばあさんがようやくバリカンのスイッチを入れて、三たび私の頭を刈り始めた。
サイドの長い髪を持ち上げて

ザザザザ…
 ザザザザ…

髪はあっという間に床に落ちて、頬や顔の輪郭が隠れなくなる

ザザザザ…
 ザザザザ…

練習中は髪を後ろに束ねているから、耳はいつも見せているが、髪がなくなって丸出しになった状態はやっぱり今までと違う。

ザザザザ…
 ザザザザ…

後ろの髪を刈り落としていくとバサバサと重たい音がする。

「おお…」と後輩の一人が驚きの声をあげた。
後ろ姿は見えないが、きっとすごい状態なんだろう。

ザザザザ…
 ザザザザ…

 グルリと半周していきながら、おばあさんは私の髪を全部刈り落としたあとも念入りに頭全体にバリカンを滑らせていく。
何度も何度も指の腹で刈り残しを探し当てながら、その度にジリジリッとバリカンを動かしていくがもう本当に刈り落としている髪があるかどうかもわからない。

後輩たちがやって来てからまだ時間にしてはほんの数分間しか経っていないはずなんだけど、すっかり髪が無くなった衝撃と後輩に見られている恥ずかしさで恐ろしく時間が長く感じる

(もういいよ。早く終わってよ…)

カチッという音がして、ようやくバリカンが止まった。
おばあさんは手のひらで私の頭をガシガシ撫でた後、固い毛のブラシでゴシゴシと頭を擦りながら首に巻いていたケープを外してくれた。

「はい。終わりました。頭の形もいいし似合っていますよ。」

後ろからそう声をかけながら、おばあさんはすぐに床に落ちている私の髪を掃き集めてチリトリに仕舞い込んだ。

髪が無くなった真っ白な地肌が剥き出しの私の姿。
鏡を見ながら両手で頭を触ってみる。

(うわぁ…本当に何もないよ)

目で見ればわかることなのに、触ってみて改めて大きな衝撃を受けた。
頭にあったはずのふんわりしたいつもの髪の厚みも、耳や頬や首筋にまとわりつく髪の感触も全くない。

ここで奥にいたおじいさんが
「申し訳ないけど、シャンプーと顔剃りはこっちでやるから席をまた移ってくれる?」
と奥の椅子に再び案内をされた。

再び移動すると、すぐに後輩がさっきまで私が座っていた椅子に腰掛けた。
お調子者の後輩が隣から「監督めっちゃ坊主似合ってますよ」と声をかけてきた。
私は目も合わせられずにコクリと頷いて見せるだけ。

もう見ないでよ。後輩たちにはここで見た私のみっともない姿の記憶を全部失くしてほしいと思う。

おじいさんがハケで耳の周りから首筋にかけて温かい泡を塗りたくって
ジジジジ…ジジジジ…とキワ剃りを始めた。髪を剃る音が頭の骨に響いて気持ちが悪い。
もみあげのあたりが剃られる時はブツリという大きな音がした。
確認すると真っ直ぐにもみあげが剃り落とされている。
首筋もキレイに剃られると椅子が倒され、顔中に泡が塗りたくられて顔剃りが始まる。
顔の産毛が剃られると、お化粧のノリが良くなるというが、この頭じゃ当分かわいいメイキングは無理だ。
再び椅子が起こされると眉毛もきれいに整えられていた。

最後に洗髪台に顔を下にしながらシャンプーをされる。
髪がほとんどないから地肌を直接ゴシゴシと指の腹で擦られるのは正直すごく気持ちがいいし、タオルで数回拭き上げるとあっという間に乾くのは便利だ。

「お疲れ様。監督頑張ってね」
おじいさんが私の両肩に手を置きながら声をかけてきた。
「はい」隣では後輩が頭を刈られている。
ここは髪を失くした感傷に浸れる場所じゃない。
私はリュックを受け取りお金を払うと、シャンプーと顔剃りの時の石鹸と機械油が混じった複雑な臭いの漂う頭にヘルメットを被り急いで家に帰った。

家に帰って私の頭を見た家族はとてもびっくりしていたが、特段怒ったり心配とかはせず「よく似合うわね」と笑った。
すぐにお風呂に入って鏡を見る。
顔と首と腕だけ黒くて他は真っ白な肌。
帽子を被ってるし、髪の毛もあったから頭も真っ白。
改めて日に焼けた顔に白い頭のコントラストがすごい。
髪が頭皮を隠すくらい伸びるまではカッコ悪いかもしれない。
頭の形も後頭部が多少絶壁気味なのも気になるところ。
だけど、みんなが言うように五厘刈りの姿も変じゃない。
正面から見るとくっきりした顔つきだからか結構似合っている。

いつも使っているシャンプーじゃなくて、お父さんが使ってる頭も洗える全身シャンプーを使って頭を洗ってみた。少しだけ髪がある感触はあるけど、ヌメヌメと頭全体を撫でるように洗う感触がめちゃくちゃ気持ち良い。

夜、ベッドに入っても興奮がさめなかった。
寝る前ベッドの中で、自分の頭や髪がなくなった耳の周りや首筋を左手でなでまわしていると、ゾクゾクしてきてたまらない。
明日は大事な試合なのに最近友だちの話を聞いて覚えてしまった、一人遊びの快楽に長い時間浸り込んでしまう。

髪のない頭の感触を確かめてながら、スマホで撮っていたロングヘアだった自分の姿を眺めて…。

バリカンのけたたましい音と感触
 目に焼きついた落ち武者頭の自分の姿
バサバサと音を立てて落ちる自慢の髪
 後輩たちが寄せるの好奇の視線
機械油やケープの酸っぱい臭い etc etc

今日の体験が頭を巡って何度も興奮が最高潮に達していく。

明日は大事な試合なのに何してるのホント…
こんな恥ずかしい頭になってしまったのに気持ちよくなっちゃうなんてやだホント…

だけどそう考えると余計に興奮してしまう。
ベッドで一人でモゾモゾと悶えている私は普通じゃない。

試合の朝

坊主頭が恥ずかしくて帽子を被っている男子がいるなかで、私は試合会場まで帽子を被らず制服姿で電車に乗った。
同じく日に焼けた五厘刈りの男子たちに混じって立っていると、周りの知らない人の視線をひしひしと感じる。
だけど昨日の恥ずかしさと比べたらなんでもないし、むしろちょっと興奮してきて気持ちいい。

監督代行として公式戦で初めてユニフォームを着てベンチに入るのは新鮮な気持ちだ。
「K高校。試合前のノックを始めてください」
球場にアナウンスがこだました。

「いくぞ」

キャプテンの掛け声に「オーッ」と大声で応えながら、私も選手と一緒に坊主になってブカブカな帽子を気にしながら、選手と一緒にグランドに駆け出したのだった。

(お礼)
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この作品は「旅の支度」と登場人物を繋げています。
合わせてお読みください。



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