コンプレックスは高性能なエネルギーだなと思う今日この頃

普段は会社員として働きながら運動が苦手な子どもにバドミントンを教えています。

もうすぐ40歳になるのですが、自分の中でコンプレックスというのがなくなってきたのは本当に最近です。
二十歳まで住んでいた家は友達から『馬小屋』と言われるぐらいのボロ家で、勉強も運動もできないという絵に描いたような落ちこぼれでした。トドメに高校も2回中退しているので。

そんな自分が変わったのは21歳の時に夜間定時に入ってからでしたが、そこで始めたのは何故かバドミントンでした。
元々運動が苦手だったので初めは女子にも文字通りボコボコにやられました。二十歳を超えて高校に入ってなにをやってるんだろうと思ったりもしたけど、何故かそこでムキになりました。その女の子に勝ちたいという目的で。当然周りの目線は冷たかったですが、人生で初めて努力というものをしたのがこの時期でした。
結果として当時ボコボコにされた女子に勝つことができ(当時の自分には革命的な出来事でした)現在運動が苦手な子どもにバドミントンを教える活動をしています。こちらは結構な評価をいただくことができています。

もう1つ自分のベースとなっているのがボランティアです。これはバドミントンとは別です。
元々不登校の子どもとかになにかできたらなと思っていて、たまたま見たチラシを見てボランティアを始めることにしました。
初めの頃はやりたいことも出来ずに他の地区がバンバン活動をしているのが羨ましくて仕方がなかったのは今でも覚えてます。
今思えば最初にそこの地区で活動していたら今の自分はなかったように思います。先輩のサポートを受けながら、必死に活動先を開拓していった経験は今でも役に立っています。おかげさまでやっと結果が出せそうな雰囲気にはなってきました。

バドミントンもボランティアも初めは周りからバカにされ、結果も出せなかったという状況から始まっています。もし最初から上手くいっていたらここまで長くやることはなかったと思ってます。
特にバドミントンは自分が苦手だったからこその視点で運営をしているので、コンプレックスも武器になるんだなと前向きに考えられるようになりました。
昔は『周りを見返す』というのがエネルギーになってきたけど今はさすがにそういうのはなくなりました。その代わりに以前ほどガツガツなにかをやるというのもなくなりましたが。
なので、これからは別のエネルギーが必要になってくるけど、それがなにかはまだわかっていません。もう自分の中にあるのかもしれないし、そもそもそんなものが必要ないのかもしれないですが。

ぶっちゃけコンプレックスまみれだった頃の方が、目的がハッキリしていたようにも思えてくるから不思議なものです。あの頃に戻りたいとは思わないですが。
人生はこうやって悩みながら前に進んでいくものだと痛感させられる今日この頃です。

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