レンタルなんもしない人見た
今日はお腹が痛くて1日中ごろごろしてた。
夕方に振り込みと買い物行って、夜にレンタルなんもしない人を見た。
第2話の会社に出社するのが怖いから付いてきてほしいという依頼者の回を見て号泣した。
時間が迫ると、行かなきゃという思いと裏腹に何度もトイレに行ったり、自分が情けなくなったりすること
19のいい歳して大人の前で泣きながら、理由も上手く話せずに辞めさせてくださいと頼んだことを思い出した。
社会は怖いし、逃げ出すことはもっと怖い。
でも、思い返して誰かに話す必要もないと思うし、そこで我慢して生活する必要もないと思う。
誰だって自己を肯定してくれるものが欲しいから人に縋り付くのだと思う。
今思い返せば、あの頃の自分はよく頑張っていたと思うけど明らかに間違った方法だった。
何かするから肯定されるのではなくて、何もしなくてもそれでいいのだ
レンタルなんもしない人は、励ましや慰めの言葉をかけることもアドバイスすることもない。
ただ木のように、風のように、依頼者の話を聞くだけだが、
肯定されるか、否定されるかびくびくして生きている現代人にとっては
ああ、こんなにも自分に関心がない人がいるんだなと、自分を情けなく感じていたことがばかばかしくなるだろう。
つい最近、道教に興じている人と精神的な話をしたが、「社会規範から外れる」という思想ではなく、誰もが自分らしい生き方をしてよくて、自己を肯定してあげることが何よりも幸せであることにみんなが気づけたらいいな。
忙しくなると、忘れがちになると思うけど、有給すら消費できなかったあの頃に比べて、大切なものに気づける余裕ができたから、時間って偉大だと思う。
ほんとは、書きたいことたくさんあるけど
伝えるのが目的じゃなくて、ただ何となく少しだけ話したくなったから。
ここらへんで
おやすみ
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