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習慣の停滞と乗り越えたきっかけ

 数か月前に書いた「憧れの先の生活」では、自分がしてみたいこと、未来の自分に繋がることを習慣にしたけれど当たり前になって虚無になったことを書きました。
 その後も惰性で日々の習慣は続けていましたが、その虚無さえも忘れていた頃、転機が訪れました。


 今年4月に資格試験に挑戦しました。
 自発的に好奇心から技術に興味を持ち、好奇心で勉強して、試験を受けました。今まで資格試験というと「やらなければならないもの」という義務感から挑戦していましたが、人生で2回目、好奇心で挑戦した資格試験でした。(1回目は日本語検定)
 2か月、試験勉強を通して午前3時起きで勉強をすることが習慣しました。そしてまた当たり前になって虚無を感じるようになりました。

 なぜ私は虚無を感じるのだろうと考えてみた結果、以前よりわくわくしていないことに気が付きました。義務や惰性からの習慣になっていました。
 習慣になるまではわくわくしながら積極的に挑戦していましたが、義務や惰性になるとわくわくは減り習慣を行う意味を見失いました。
 なににわくわくしていたのか。勉強であれ趣味であれ、わくわくする(した)理由を書き出して再確認しても以前ほどわくわくを感じません。何かが足りませんでした。


 その足りなかったことを考えながら数週間。
 「差別化」が足りなかったと気が付きました。
 悪い意味の「差別」ではありません。この言葉が適当かも不明ですが、私の語彙の中から名前を付けるとしたらそれば「周りとの差別化」です。

 周りの人が寝ているときに、私は勉強している。
 周りの人がテレビを見たり飲み会をしているときに、私はランニングをしている。

 「差別化」をすることで私は「ほかの人とは違う自分」を感じて自己肯定感が爆上がりします。
 この日々の小さな積み重ねで周りの人より1歩先に、ワンランク上に行けるのではないかという期待でモチベーションもQOLも上がります。


 気が付くことができたきっかけは なかやまきんに君 のYoutubeの動画です。
 私は周りの人と比べて優越感を抱くことを卑しいことだと思っていました。
 学生時代から個を消し集団の1人として、謙虚に軋轢を生まず生活するように心がけていたため、人を見下したり優越感を抱くことを避けていました(他の人のそんな態度を感じると私もイラっとする)。

 でも なかやまきんに君 がYoutube(世界に発信される動画)でさらっと
「皆が頑張ってない時に僕は頑張っているよという、昂る感じがあるじゃないですか」
と言っているのを見てハッとした。

 私以外にもそう感じて行動している人がいるのだと知りました。
 イラっとせず純粋にその言葉を受け止められた理由として なかやまきんに君 が嫌味を全く感じさせない笑顔と態度(言い方)だった、というのが大きいです(発言を勘繰られることがあるので勉強になりました)。


 私は今、またわくわくしながら日々を過ごせるようになってきました。
 わくわくを見失ったり感じられない時もありますが、能動的に習慣に取り組めるように意識しています。
 昔から自分で自分を律することが苦手で人一倍ある好奇心のままに行動しているときが1番楽しいし、わくわくします。
 今回の習慣が当たり前になって感じる虚無を通して自己理解にも繋がりました。

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