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カムカム七銃士

11月はお芝居をたくさん予約しました。全部無事公演できるといいな。

燦燦七銃士めちゃくちゃ面白かったんですけど、それを伝えるすべは持ち合わせておらず、とりあえず見て代わりに喋って…しかない。
カムカムミニキーナはいつもそんな感じ。初めて見たのはダイナリィの初演だった。gmn5に出会ったころ、ならばとお勧めされたので見た。その後、野狂とダイナリィ再演と蝶つがいを見たかな。わかるのもあるし、わかんなかったのもある。
よくわからない世界が多重構造でいつもぐちゃぐちゃになってるようなだったり、知ってる世界が知ってる思念で重なってただけみたいな。
妖怪宗教ホラーいろいろカテゴリあるけど「民俗学」ってくくりが一番わかりやすいのかな。全然わからないけど。あとどうでもいいけどカムカム見た後は今市子著「百鬼夜行抄」を思い出す。

何となくわかった気持ちを外に出す語彙力がないけど、今回は物語が「幕末」と「三銃士」と明確な指針があったからか、閉塞感という閉塞感を現実と過去と物語に昇華してるのがわかり易かった!まあ、それでもこの感想をどう表現していいか難しい。観るしかないし、体験するしかないような。上手いこと劇評できる人もいっぱいいるだろうなのでどうぞよろしくお願いします。

三銃士のストーリーも直前にネットでさらったくらい、幕末のことも諸事情で新撰組まわりはわかります!くらいなんだけど、幕末の未知(海外や池田有希子さんがパンフでと仰っていたけれど、コレラやら麻疹やらの疫病とか確かにそれもあるなぁという)への恐怖と閉塞感と今のコロナへの恐怖と閉塞感と目に見えない悪意ともとれないものと戦わざる得ない重なり感がめちゃくちゃよかった。変に卑屈になったり頑張ろうとしたり安直にコロナが~~ってされるととウッて胃もたれししちゃいがちだけど、「演劇をする」という軸はストレートながら、意識しつつのくらいに思えたのは普通に物語が面白かったからな気もする。考えれば考えるほど脚本が天才…。
犯人はわからず、でも見てる側は「わかる」構造って今ならではだよなぁ。カムカムというか松村さんの話って演劇をツールとしてみてるなって思うことがよくある。30年間作り上げてきた演劇というツールをつかって、今までにないくらい客側がめちゃくちゃ大きな共通認識(コロナ禍のあれこれって)を持ってる状況を最大限に気持ちよく利用できててるのが天才と思った。
器に入れる、演じることによって本物になるということを30年間信じ続けた結果の作品だよ~と興奮した。
相変わらず小道具の使い方は劇団の伝統芸のごとくすごかったし。

下記、ネタバレなんだけど、知らない方が良いような気もするけど今更な気もする、わたしがとてもカタルシスを感じた部分



やっぱりスズナリでは歌わないか~別にミュージカルじゃないしねって観ていたのだけど、最後に内藤さん扮するが樽谷弥太郎が朗々と歌い出すとパッと明るくなり、待ってましたという気持ちになったのも素晴らしいんだよな〜。曇った空が晴れるように、さいっこうのカタルシス感じた。こういう瞬間を体験したいんだよね、観劇って。

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