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bsp最遊記新撰組歌劇伝リメンバーoasis

そういえば最遊記の舞台はAxle(bspの前身?)がやってたらしい。ちょっと観たい。

最遊記ほど、原作、アニメ、舞台、それぞれに歴史ある重い気持ちが(所謂クソデカ感情)渦巻いている作品もそうないなとおもう。ひとりひとりの気持ちが重い。そうさせる原作力と時代と、関わった創り手(声優さん役者さん)の人生への関わりの深さ。

カミサマ編を原作知らんしそんなあれだしってまだ舞台観劇にも慣れしてない頃だったから歌劇伝の歴史も愛も知らぬまま誘われてふらっと見に行って(チケット的にふらっと見に行けるものでもなかったことすら知らない)、とにかくカミサマ凄ごい……の、これが'超える'ということ、かと初めて知識になりました。2.5ってこうかって。(平野良という存在、人間性(先入観)を知らぬままカミサマを観て感銘を受けたことは人生においての奇跡かも知れない(人間性だいすきなんで…))
そこから少しずつ椎名さんをすきになっていったのでわたしにとって歌劇伝は(舞台の面白さ、4人の役者さんの一行感の大好きさはもちろん当たり前の大前提としてあったけど)何より好きなひとが大事にしているものでした。
今回「三蔵が桃源郷に行くからただ着いていってただけだった。でも俺が行きたいから行く。」というようなセリフが最後にあって(配信見てセリフちゃんと書くね…)ようやく「最遊記歌劇伝」というものが、わたしの中にストンと落ちてきました。
そもそも、このセリフだって椎名さんが「初演と続編が終わってから時が空いたので続けるのは無理だと思ってた。拡樹だけがずっと言い続けてた。」と言ってたことにも通じる気がして、背景を深読みするオタクは泣いてしまう。「西遊記の話で悟空って主演じゃん!って思ってたら違った」っていう思い出の中で、拡樹くんと唐橋さんがいない「座長」という立場の責任と重圧を観る……。
生身の人間がその場で演じる舞台は、そういう大きな気持ちが観る側にも演る側にも影響して、それが舞台の醍醐味でもあるなと思ってるんだけど。でも別に、実際みんながみんなそんな歴史知らないし知ってたから良いわけでもないので、そんなこと正直どうでもいいんだとおもう。なぜなら舞台自体がめちゃくちゃ面白かったから!付随して劇場で観ることでそういった歴史みたいなものの鱗片が伝わるから!それっていちばん素晴らしいことなんじゃないかなって思う。

”この話は、名前がついてない人たちがそこで死に物狂いに生きてるお話”

「最遊記歌劇伝Oasis、無事すぎて困るほどに終幕。」
⇒ https://ameblo.jp/wakusand5698/entry-12574190470.html

感想としては、これ。で(和久井くんの文才すごく好き。お兄ちゃんもめちゃくちゃによかった。)
今までの物語のアンサーとしての回でもあったから、どうしても「最遊記」の歴史と「歌劇伝」の歴史を想うところがあるんだけど、こうやってフィクションの物語を現実で換算できる構成がすごいし、そういうふうに(歌劇伝だけじゃなくて)わたしたちのような名も無き人たちの人生に大なり小なりでリンクするような物語であることが至高で、峰倉先生がすげーってなった。

劇団とかカンパニーとかの身内感に入り込めないタイプの人間なのだけど、ひとりひとりがプロフェッショナルで凌ぎをけずってて、身内でただバンザイすることを目的としてないのがわかるっていうか、そんなあまっちょろいもんじゃねーってのが観て取れる。素晴らしいことを素晴らしいと、自分たちのことを誇りに思うこと、などがただの自己陶酔ではない、結果の積み重ねによる実績なのだと感じる。だいすきなので。

同時期、狂うように通ってしまったBSP新選組リメンバー。歌劇伝とは反対にBSPという集団のひとたちの歴史やプライドや愛に対して何一つ知らなかったけど、劇場で観る景色が全てを物語っていた。
【完結編】で終わってしまった新選組の物語を「生き延びた永倉新八」が思い出話を語っていく。これも、史実と物語と更には現実へのリンクが上手く繋がっていて「エモい」という言葉で片付けて果たしていいのだろうかでも語彙がないごめん。って感じだった。
(あと個人的にはハムレットへの絡ませ方とか後々気づいてうおーってなったので、構成が…構成が上手すぎる…ってなった)
リメンバーについては散々喚きまくったし、色んな人巻き込んで期間の日常生活を最高のものにしたくて大袈裟なくらい楽しんでいたので、(ヤバいオタクいる…)って思われてるんじゃないか…って凹みそうになるくらいなんですけど、わたしが!何もかも楽しかったからよかったです。せめて面白がってくれるとうれしい。

恒くんの少女のニュートラルさや、ずっと演りたいと言ってたふっきーさんによる悟空と八戒の戦いとか、太陽くんの悟浄がみまもる立場にいたこと、法月くんの芸の細さ(帝劇ほんとにおめでとう!)とか。名も無き人たちの生き様とか。
きっと一生知ることのなかったであろう新見錦の人生とか、池田屋とか、池田屋とか、試衛館からの油小路とか、とっくんの以蔵さんとか、永倉さんが語りかけてくる仕草とか、ニコニコのオープニングとエンディングとか。とか。とか。

もう見れないと思ってたものが見れたり、知れたり。
前シリーズからずっと好きだったものへの解像度が爆上がりする作品ふたつで。好きなものがもっと好きになって、すきでよかったとおもえたことが何よりの幸せだと思った。'必然的な運命'だったらうれしいな。

そういえば、oasisも「死ぬか生きるか生きるか死ぬか」という歌詞の曲があって似た意味合いだなーと思いました。

『ハムレット』2「生きるべきか死ぬべきか」〜言葉遊びと翻訳家の戦い 構成について〜

https://t.co/KnJxDdJJLL

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