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心の治癒力のパワー

 前回もお話ししましたが、乳糖やデンプンの粉のような薬効のないものを痛み止めだと思って飲むと半分以上の人は痛みが軽減します。この場合の乳糖やデンプンの粉を「プラシーボ」、それによって生じる痛みが軽減するという反応を「プラシーボ反応」と言います。このプラシーボ反応は、まさに心の治癒力の働きそのものであり、それが症状や病気を改善させる根本的な力になるのです。

プラシーボは大きさや色でパワーが異なる


図1

 プラシーボについては多くの研究が行われており、様々な要因に影響を受けることが知られています(図1参照)。例えば、プラシーボが内服薬であった場合、大きさが大きい方が、また1回1錠より1回2錠の方が有効性が高くなります。また薬の色も効果に影響を及ぼします。例えば青色系は鎮静、赤色系は興奮に関係があると言われています。さらに錠剤よりもカプセルの方が有効性が高くなりますが、それよりも注射の方が高く、最もプラシーボ反応が強く出るのが手術だということも知られています。なお、プラシーボの効果を高める要因には文化的な違いもあり、社会的背景や色のイメージの違いによっても左右されます。それくらい心が持っているイメージや思いは、病気や症状の改善や悪化にも大きな影響を与えるのです。

プラシーボが効きやすい症状

 また、プラシーボ反応が起きやすい症状や病気についても知られています。特に痛みや疲労、うつ、不安、不眠といった心にかかわる症状やパーキンソン病には有効性が高いというのは有名です。
プラシーボはパフォーマンスも高める
 さらにプラシーボは医療現場だけではなく、スポーツのパフォーマンスを高めたり、ペットや子供にも有用であることが知られています。例えば、プロスポーツ領域においては、ある種の栄養補助食品を摂ることでパフォーマンスが上がるという研究が盛んに行なわれていますが、実際にはそれらを含まないプラシーボであってもパフォーマンスが向上することが知られています。アスリートも、自分のパフォーマンスに有効な健康補助食品を摂っていると信じただけで、プラシーボ反応が働きパフォーマンスが実際によくなるというわけです。

ペットや子供にも有効

 また、ペットや子供の治療でもプラシーボ反応が見られます。ただしこの場合は、ペットや子供が薬の効果に期待感を持つことで症状の改善が認められるというわけではありません。症状を評価する飼い主や獣医師、子供の親といったケアする人が持つ期待感が影響するのです。ケアする側は、少しでもよくなって欲しいと思って見ているため、少しでも改善したような状況があれば、それを高く評価する傾向があり、逆に改善が認められない状況に関してはあまり注目しないという無意識の反応の現れなのです。ここにはもう一つの効果が認められています。それはケアする人が、普段以上に関わりを強くするため、その結果として本当に症状の改善が促されることもあります。このように、ペットや子供のようにプラシーボ反応が起こるわけないと思われる対象であってもプラシーボが効くというのは、実際には飼い主や親を介してプラシーボ反応が生じている可能性があるからだと言われています。

がんの痛みにも有効

 私は現在、緩和ケア病棟で日々、末期がんの患者さんとかかわり、がんによる痛みをはじめとする様々な苦痛症状に対して対応をしています。当然、モルヒネなどの医療用麻薬(オピオイド)も頻繁に使用しますが、がんの痛みにもプラシーボが効くことがわかっています。
 以前、緩和医療学会で慢性疼痛の講演を聴く機会がありました。その先生は、モルヒネを注射し、痛みが和らぐ際に活動する脳の部分と、プラシーボ(この場合は生理食塩水)の注射で痛みが和らぐ場合に脳が活動する部分とは同じであることがわかったと言っていました。つまり、プラシーボの注射が痛みに効く場合、脳はモルヒネと同様の働きをするということです。実は、人間の脳では脳内モルヒネが作られることが知られています。激しい運動をしているときにけがをしても痛みを感じないのは、この脳内モルヒネが分泌されるからです。ですから生理食塩水の注射をすることで、心の治癒力のスイッチが入り、脳内モルヒネが分泌されれば痛みは軽減するということが十分に起こりえるということなのです。

私のやり方

 私はがん患者さんに対してプラシーボそのものを投与するということはめったにありませんが、定期で飲む痛み止めとは別に、突発的に出る痛みに対して、臨時で飲む頓服の痛み止め(レスキュー)の1回量をごく少量にするといったことはよくします。つまり、通常使用する1回量の10分の1や20分の1程度にするのです。通常は、そんな少ない量の薬を飲んでも効果はありませんが、頓服を飲むという「行為」により心の治癒力が刺激され、安心感が生じるせいか、それで痛みが軽減するということはしばしば経験します。
 以前、肺がんの女性が入院していました。彼女は断続的にくる腹痛に顔を歪め苦しんでいました。当然、麻薬系の薬を使って対応したのですが、どうもうまく対応できませんでした。あるとき持続的に少量の痛み止めが入れられる持続皮下注射を開始しました。痛みがあるときには「早送り」ボタンを押せばいつでも一定量の薬を入れることができます。このとき彼女は、「早送り」はすごく安心するし効く気がすると言っていましたが、実際に使っていた「早送り」の量は、本来必要な量の8分の1でした。通常であればほとんど効かない量なのですが、彼女の場合はそれが効いていたのです。まさにこれが心の治癒力のパワーなのです。
                                                  イラスト:子英 曜(https://x.com/sfl_hikaru


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