親業が目指す関係って?

 親業上級講座を受けていた頃の下書きが眠っていたので、今更公開します。



 ここまで色々と考えてみて、親業が目指している良い関係ってなんなんだろう…と疑問に思いました。親業の言う良い関係と、私がこれまで思っていた良い関係が、そもそも違うのかもしれないと思ったのです。

 私は対立のない波風立たない関係を望んでいるんだと思います。
 対して、親業が目指しているのは「私はOK あなたもOK」です。「私はOK あなたもOK」になることは、お互い率直であるため、時には大きな対立を生むこともあります。なので、「私はOK あなたもOK」の考え方は、まだあまり自分自身に馴染みがないんだと思います。

 そして、これは親子という多くの時間を過ごす人だと、「私がOK」になるために、わたしメッセージを使うことは避けられないことのような気がしますが、他人だと、距離を置くことによって「私がOKになる」という方法があるのではないかと思います(得手して距離置くことが1番楽)。

 親業は、親子はこれからも関係性を続けていく必要があるという前提があります。まずその人と、これからも関係性を続けたいか?という視点はありません。

 「わたしメッセージ」を言うことへの抵抗感を考えた時に、わたしメッセージを言っても良いという確信がないんだろうなと気付きました。
 「自分が問題を持っている」ということが、相手に自分の思っていることを率直に言ってもいいということを正当化する理由になると心から思えていないんだと思います。

 解決策のない「わたしメッセージ」に違和感があるのだと思います。「わたしはこう思っている だから、これからこうして欲しいんだ」なら、相手に解決策の提案をしたいため、と伝える理由がわかります。何かしらの解決策を行うことによって、2人の関係性を良くしていく糸口になると思います。
 しかし、ただ「わたしはこう思っている」と伝えられても、「で?」と思ってしまうんだと思います、自分が。ただ気持ちを伝えるという行為が、どうしてなされるのか?自分でも解決策の思いついていない自分の感情に対する解決策を、相手にも一緒に考えてもらうのでしょうか。
 ただ相手が聞いて、わかってもらうだけでも、気持ちが楽なることがあることも理解しています。しかしそれは、ただ自分のマイナス感情を相手に分けているだけなのではないでしょうか。ここは、自分が相手からマイナス感情を受けることが苦手なことが影響していると思います。 
 自分が「こういう気持ちだ」と伝えても、理解はしてくれても、「でも俺は俺だし、変えられない」と、一緒に解決策を考えるフェーズに移行した覚えがないことも、影響しているのかもしれません。

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