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「CODA コーダ」の魅力と俳優マーリー・マトリンの35年の歩み

主要な国際映画祭での話題作のお披露目も終わり、
アカデミー賞の賞レースが本格的に始まりました。

映画専門誌などでは、早くも予想が出ています
例えばVariety

ケネス・ブラナー監督の「Belfast」、そしてジェーン・カンピオン監督、ベネディクト・カンバーバッチ主演の 「The Power of the Dog」、テニス選手のセリーナ&ヴィーナス姉妹の父親を描いた 「King Richard」、そして「Dune」と上位には巨額の予算をかけた映画が並びます。

その中で10位に食い込んだのが、「CODA」です
1977年生まれのシアン・ヘダー監督。エリオット・ペイジ主演の「タルーラ 〜彼女たちの事情〜」に続き、長編2作目です。

今年のサンダンス映画祭で、観客賞と審査員大賞など主要な賞を独占。アップルTVが、同映画祭史上最高額で買い付けたことでも話題になりました。

今月中旬、ロサンゼルスの映画館「Aero  Theatre」で、ヘダー監督、主人公の母を演じたマーリン・マトリン、父を演じたトロイ・コッツァー、そして主人公を音楽の道に導く教師役のエウジェニオ・デルベスを迎えた無料上映&トークイベント という太っ腹な企画がありました。

あらすじ

「CODA」の舞台は、米国東海岸の漁村です。
漁を終えて港に戻る船の上で、高校生のルビー(エミリア・ジョーンズ)は手慣れた様子で魚を選別する場面から始まります。船に乗っているのは、父フランク(トロイ・コッツァー)と兄レオ(ダニエル・デュラント)の3人。彼らのやりとりから、どうやらルビーだけ耳が聴こえることがわかります。

この映画のタイトルになっているCODA(コーダ)は、ろう者の両親から生まれた耳の聴こえる子供 という意味です。
筆者もかつて日本手話の取材をしたことがあります。コーダは幼い頃から、ろう者と聴者の世界を行き来しています。子供ながらに両親の「通訳」を担う重圧に苦しみ、ろう者への差別や偏見に憤ったり、自分の境遇に孤独を感じたりするときいていました。

小さな町では、誰もがルビーのことを「ろう者の家族で唯一聴こえる子供」として扱っています。早朝の漁を終えた後、ルビーは魚がきちんと適正価格で降ろされたかを、周りの漁師のやりとりに耳を傾けながら目を光らせてます。
ルビーはこうやって幼い頃から家族を差別や不当な扱いから守ってきたのでしょう。いまや、体が自然と先回りしてしまい、何もかもやってしまいます。
ですが、兄レオは、両親がルビーに頼りがちなのに不満の様子です。

 この映画では、ルビーや家族の状況や心境を表す場面で、音や音楽が実に上手に使われいます。
 母ジャッキーが夕食のテーブルにお皿やワインボトルを乱暴に置く音、ルビーを車で迎えに来た父フランクは周りの聴者が驚くほど大音量でラップをかけていました。聴者とろう者の置かれた世界の違いが示唆されています。

 兄レオは、漁師仲間とビアホールに飲みに行きます。お酒が入り皆が大きな声で会話を楽しむ中で、レオは1人で愛想笑いを浮かべています。
 レオの孤独とジレンマ。自分が中心となって家族を支えたいのに、耳が聞こえないが故に一人前扱いされない状況にもがいています。レオとルビーのシーンは兄妹の仲良さ、そして置かれた状況が異なることからの葛藤もよく表現されていました。

 映画の中でなんといっても印象的なのは、「無音」が数十秒続くシーンです。その無音の時間を、ぜひ映画館で体験していただきたいです。

 ルビーは合唱部の顧問教師ベルナルド(エウヘニオ・ダルベス)に歌の才能を見出されて、名門バークレー音楽院の奨学金を得るために懸命に練習します。

 ですが、母ジャッキーにとって、音楽は不安材料でしかありませんでした。ジャッキーは、音楽にのめり込むルビーがどこか遠くに行ってしまうと感じたのでしょう。ジャッキーは「もし、私の目が見えなかったら、絵を描いたのか」とまで言い放ちます。(上映後のトークショーで、マーリー・マトリンはジャッキーのことを「無邪気だが自己中心的な側面がある」と分析していました)

 家族と自分の夢との板挟みになり、ルビーは悩みます。幼い頃から苦労を重ねてどこか達観したような雰囲気のルビーは、学校では周りから浮いた存在でした。ですが、音楽で自分を解放する喜びを味わいました。気になる男子とも歌を通じて深く知り合い、かなりいい雰囲気で(↓)一緒に練習に励んだりして距離を縮めていきますが……。

「私たちは、ろう者の俳優ではない、“俳優”です」

トークショーでは、手話通訳が2人つきました。
観客は手を頭上で振って歓迎の気持ちを表しました。


 監督は「手話には字幕が必要です。米国の観客に字幕付きの映画が受け入れられるかか不安だった」と明かしました。ですが、それは杞憂でした。
監督は、手話は「Inventive, Imaginative,Unimaginable」であり、とてもシネマティック(映画的な)ビジュアル言語だとも言いました。


「手話」という漢字から、手指だけで文字を表す言葉だと思われがちです。ですが、実際の手話は、手だけでなく上半身全体を使い、そして眉や唇などの顔のパーツや表情を豊かに動かしながら意思を疎通させます。
「手話から多くの感情が伝わってきて、字幕が必要ないとすら思える場面もあった」と監督は振り返ります。主演のエミリア・ジョーンズは、この映画の撮影に際して手話を学んだのですが、実に繊細な感情表現を手話を通じてしています。彼女の歌もとてもいいので、ぜひ聞いていただきたいです。ちなみに合唱部の学生たちは、実はバークレーの音楽学生たち。最初のシーンで、各自が「ハッピバースデー」を歌うシーンがあるのですが、少し下手に歌ってもらうのに苦労した、と監督は振り返っていました。

母ジャッキーは、無邪気で愛情と感情表現豊かです。家族が一緒にいることが最優先のあまりに周りが見えなくなるタイプ。父フランクはそんなジャッキーを1人の女性として深く愛しています。その一方で、ルビーのことも気にかけていました。夫婦のシーンはユーモアたっぷり。トークショーでも2人の息がぴったり。
「2人からまるで本物の夫婦みたいな愛情を感じる」という質問がありましたが、マーリー・マトリンは「我々はプロの役者ですから、そう見えるよう演じているのです」と茶目っ気を交えて答えていました。

マーリー・マトリンは35年前、つまり1986年公開の映画「Children of a Lesser God (愛は静けさの中に)」で、アカデミー主演女優賞をとりました。映画初出演でした。当時21歳、最年少での受賞という記録を打ち立てました。
 その後は、映画界で役を得るのに苦労したとみられ、テレビ界に活躍の場を広げました。そして、ろう者のために、手話通訳や字幕を義務化する運動に長く関わってきました。

今回の撮影現場は家庭のようにアットホームだったそう。ろう者の俳優としてだけでなく、脚本段階からろう者が加わり、スタッフとしても多くのろう者やCODAが参加したそうです。
「これまで多くの現場で私はひとりぼっちでした。でも『CODA』では休憩や食事の時間にもみんなの輪の中にいることができた」とマトリンは振り返っています。

「私たちはろう者の俳優ではない、俳優です」

「ハリウッドでは、聴者がろう者の役をやってきた。ですが、ろう者の俳優はたくさんいます。カメラの前にも後ろにも、もっと多くの ろう者を。我々はこの多様な社会を構成する一員です」

マーリー・マトリンが35年かけて訴えてきた思いが、この映画に込められています。