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木根尚登 弾き語りツアー2023「ウィンナートーンの風に吹かれて」

 5月20日に福岡市のROOMSで行われた、木根尚登のライブを観た。
 近年の木根尚登は、出演者は自分一人だけで弾き語りによる音楽を届けるツアーを敢行してきた。今回はパブリック・イメージのギターは持ち込まず、ピアノ演奏の形をとった。曲目も、自らの持ち歌ではなく、他のアーティストに提供してきた曲を、改めて自ら歌い直すという試み。
 過去から継続的にライブに訪れているファンにとっても、新鮮味のある内容だろう。筆者も、こういう的の絞り方は面白いと思った。
 演奏曲目も、事前にある程度公開してしまうスタイルで、開演前に場内に流すBGMでも、提供先のオリジナル版の音源を聴いてもらう形にしてある。TM NETWORKの3人が揃う活動には興味津々でも、個別のソロ・ワークまでは追いきれないというリスナーに配慮して、こうしたのだろうか。筆者は一度も聴いたことのない曲や、未発表音源をいきなりライブで歌われても、特に抵抗はないが、知らない曲が続くのを好まないリスナーもいる。本編以外の所にも、隅々まで気配りを感じられた。

 演奏曲目は会場によって微妙に変更があるのだが、筆者のお目当ての曲『あてのない闇』が聴けたのは幸運だった。オリジナル歌手は、小学生のときからの付き合いの、宇都宮隆。MCでは編曲者の浅倉大介の音にも触れ、「あんなにカッコ良くはできない」とか、「こんなの弾けない」などと、あらかじめ聴き手のハードルを下げにかかる弱気な発言。それすらも面白みのあるジョークとして、エンターテイメントに変えてしまうのが、木根尚登の持ち味だ。
 見ず知らずの歌手が歌う前からこんなことを言っていたら、「じゃあ聴かない」となるところだが、早速ひと笑いを巻き起こす。木根尚登のMCのエンジンがかかってきたなと思わせる瞬間だった。
 発売当時からお気に入りの曲。木根尚登が歌っている間、オリジナル歌手の宇都宮隆が、この歌声の仮歌を聴きながらレコーディングに臨んでいたのかと、感慨深く思いながら、作曲家自身による生歌を堪能した。

 曲中の「僕の頬に触れるけれど」という一節は、宇都宮隆によるレコーディング音源とは微妙に違う譜割になっていたのが興味深い。作曲した木根尚登の意図はこうだったが、宇都宮隆のジャッジで変えたのか。それとも、弾き語りアレンジに伴って、発売当時とは違う歌い回しに変えたのか。どちらなのかは本人に訊いてみないとわからない。
 歌い手がどのように曲を解釈するのかは、カバー曲の楽しみ方のひとつ。巷に溢れる「Get Wild」のカバーを例にとってみよう。聴き込みが甘いせいで、サビの「一人では」や「この街で」の音程が捉えきれていない歌唱では盛り上がれない。しかし、オリジナル・アーティストへ敬意を払いつつ、自分ならこう歌うという意志表示を明確に出して、違う表現方法を模索した歌唱なら大歓迎だ。

 田中裕子に提供した『恋と愛の距離』を歌うときは、木根尚登がかつて沢田研二と田中裕子の結婚式に招待されたときのエピソードが語られた。当初は、知り合いのいない会場で寂しい思いをしたくないから「絶対に行かない」と決めていた木根尚登だったが、せっかくの機会だからという周囲の声もあり、出席に至る。
 沢田研二は、木根尚登が小学生のときに部屋にポスターを貼っていたほど、憧れのミュージシャンだった。当日、会場で沢田本人から直々に「素敵な曲をありがとう」と声をかけられ、感無量だったという。
 尚、このときラジオ番組で共演したばかりの吉川晃司と偶然にも同席となり、寂しい思いをせずに済んだそうだ。
 木根尚登の心中には「たった1曲書いただけなのに、なぜ呼ばれたんだろう?」との思いもあったようだが、その1曲が思いがけない引き合わせを生むこともある。これが音楽制作の妙だ。

 今回のMCも笑いどころ満載だったが、中でも面白かったのは、アンコールについて観客に問いかける場面だった。アンコールの前に出演者が一度退場するのを、どう思うか尋ねていた。「どうせまた出てくるじゃん!」と観客から思われているのなら、一度退場するのも面倒。最後の曲を弾き終わったら、そのままアンコールへ移ればいいというような、身も蓋もない発言には笑いをこらえきれなかった。
 今回のRoomsのような会場なら、出演者としても退場のし甲斐があるけど、小さい会場だと出演者が待機するスペースが半畳ほどしかない場合もある。舞台裏の掃除道具入れの前の、少しでも態勢を崩すと身体がステージにはみ出そうなほど狭いスペースで身を縮こませながら、アンコール前に待機したこともあったと話していた。なるほど、これなら退場した気にはならないか。心得のある方なら、すぐにでも漫画に描き起こせそうなエピソードだった。これが一番笑ったなあ。
 筆者としては、そんなに退場を面倒がるなとは思う。観客としても、さすがにステージに主役の姿があるのに、アンコールの拍手は打てないだろう。そんな滑稽な状況…考えただけでも、もうひと笑いだ。木根尚登のMCは今回も一段と冴えわたっていた。

 TM NETWORKは、まず宇都宮隆がひと足早く今年のソロツアーを無事に完了。小室哲哉も、浅倉大介・Beverlyをゲスト出演させたオーケストラ公演を実施した。そこからの、木根尚登ソロツアー完了である。3人それぞれがソロ活動で別々の道を辿ってきたわけだが、ついに合流するタイミングが訪れた。今秋、TM NETWORKが集結して全国を回る。大きな注目の的となるに違いない。

宇都宮隆『あてのない闇』


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