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まれ天サンプル(第71回)、『草食系ライオンと肉食系シマウマ』

草薙 渉

「風間だろ。そうだろ。うーん、変わってないなあ。十年ぶりか」
 美浦トレーニングセンターに近いパチンコ屋。風間は派手なジャケットの男にいきなり肩をたたかれた。サングラスを外して、にやりと笑ったその顔に見覚えがあった。
「島崎か。なんだ、帰って来てるのか」
「ちょっとな、土地のことで帰ったんだ。どうだ、この先の吉野鮨で一杯やらないか」
「そうだな、じゃあこの玉がなくなったら行くよ」
「おう、先行ってる」
 島崎か。おかしなやつに会った、と風間は少なくなっていく玉を見つめた。彼は高三のとき、斜め前の席にいたやつだ。いつも後頭部に寝癖があって、退屈だった授業の沈鬱な風景の象徴として心に残っている。ちゃらんぽらんながら女や遊びごとにはマメで、腹立たしくもありうらやましくもあった。実家は、たしか土浦の大地主で、最近は東京で不動産屋を構えてはいるが、ほとんど遊んで暮らしている、と誰かに聞いた。
 
 そういえばあれは、秋の体育祭の帰りだったか、と盤面に踊る球を見やりながら風間は目を細めた。
「おまえを見てると、イライラする」とあのときの島崎が言った。「ナオミが好きなんだろう。おまえの目線を見ていればわかるさ」
「そんなことはない」と、僕は首を振った。
「何か幸運なきっかけを待っているんだろうが、自分から起こさないと何も起こらないぜ」と島崎は笑った。そして「おれが、何とかしてやろうか」と言った。
絶対、やめてくれ」と真顔で言ったら、心底あきれた顔をしていた。あのときはそれだけのことで、何も起こらないままやがて卒業式になった。
 その後ナオミは東京のOLになり、僕は北海道の牧場に就職した。そしてその後厩務員になるために入った千葉の競馬学校の休日に、僕は暇にまかせて丸の内にあるナオミの会社を二度ほど見に行った。が、何の目算もないまま、広い道路の反対側から高いビルを眺めただけのことだった。
 何年かして、彼女は結婚して子供が出来たと、風のうわさに聞いた。まあ、言ってみればそれだけのことだった、と小さく笑ったとき、パチンコ玉がすべてなくなった。

 風間が美浦トレーニングセンターの厩務員になっていることは、ひと月ほど前に初めて知った、と島崎は思った。
 吉野鮨のカウンターの一番奥の席。島崎はモツ煮込みをつつきながら目を細める。そう、夏休みに彼も含めた級友四人で、九十九里へ行ったことがあった。当然、女の子が目当てだった。
 大勢の海水浴客の中を歩き回って、三人連れの女の子の隣にビーチマットを広げた。クーラー・ボックスからコーラを取り出して、「どう、よかったら」と、おれは素早くコネをつけた。黄色いビキニの女の子がコーラを受け取って、おれたちはたちまち盛り上がった。にわかにハイテンションになった仲間を見ながら、風間だけはつまらなそうにコーラを飲んでいた。
 だがすぐ後ろにいた三人連れの男たちにとっては、トンビに油揚げだったのだ。その三人の男たちが女の子たちを狙っていたのはミエミエだったが、おれは知らん顔で先を越したのだ。世界は自由競争の早い者勝ちなのだ。ほどなく一番大きな男が、あからさまな因縁を吹っ掛けてきた。
 盛り上がり沸き立っていたその場が、いっぺんに険悪な空気になった。とりわけおれが目標にされて、おれはしどろもどろになった。怒声が飛び交い、成り行きで向こうの一番小さな男がサバイバルナイフを取り出した。女の子たちは信じられない速さでビーチマットを片づけ、たちまちいなくなった。
 おれが逃げ腰になりかけたとき、おれをかばうように風間が前面に出た。そして、「刺せよ」と低い声で言った。
 全員が息をつめて風間を見た。逆上している男のナイフなど交せる自信があったし、刺されても平気だと思っていたと、風間は後で笑っていた。だがおれたちは風間のあの一言に度肝を抜かれた。
 ナイフを手にした男が、風間を見上げて躊躇し、ひどく怯えた顔をしていた。そのまま睨みあって、やがて「つまらねえ」とか「くだらねえ」とか、三人の男たちはそれぞれ勝手な捨て台詞で体裁を繕い、「やめやめ」と背を向けた。
 風間のあの「刺せよ」は、ほんとに凄かった。だれだって、いつだって自分自身に夢中だけれど、あいつはそのあたりが、どこか違った奴なんだと感動した。
「天安門事件の、戦車の前に立ちふさがった青年を思い出したよ」と、おれが言った。「普段は大人しい風間に、あんな度胸があったなんて。おまえは草食系のライオンだな」
「となると、おまえは肉食系シマウマか」と、だれかが言って、その場がどっと沸いた。
 おれは、牙のあるシマウマか、と思い出し笑いをしながら新しいビールを注文したとき、風間が暖簾を分けて入って来た。
 
「知り合いにイラストレーターのタマゴがいて、馬の絵を描きたいと言うんだが、馬を見に行ってもかまわないか?」
 カウンターに並んで、ひとしきりこの十年の話が終わったとき、島崎が煮込みをつまみながらそう言った。実のところこの話のために、友人から聞きだしたパチンコ屋に風間を捜しに行ったのだった。
「そのマグロとアジ、切ってくれる」と、風間が指さして店の大将に言った。そして、「曳き運動が終わってからなら、問題ないよ」と焼酎グラスをなでた。
「そうか、だったら明日は?」
「そう、二時以降ならOKだ」
「わかった」と、島崎はケータイを取り出してボソボソやっていた。
 
 翌日の二時過ぎ、風間が二頭目の馬を洗ってブラッシングしていたとき、島崎が厩舎に現れた。なんだよ、イラストレーターのタマゴって、女の子かよ、と風間は額にしわを寄せた。
「よろしくお願いします」
 ペコリと頭を下げた女の子を見て、風間は息をのんだ。あのころのナオミ……。いや、ナオミをもっと美しく、明るくした顔がそこにあった。
 島崎が女の子の後ろでニヤついたまま、「風間は大の馬好きで無愛想なやつだが、見た目ほど悪いやつじゃない」と、エラそうに紹介した。
 風間は小さく会釈しただけで、黙々と飼葉桶をセットした。馬栓棒(ませんぼう)の前に吊るされた飼葉桶に顔を突っ込んで、持ち馬のモンタが知らん顔で飼葉を食べていた。
 翔子と名乗ったその女の子は、ブラッシングしたばかりのモンタを様々な角度から眺め、さかんにデジカメのシャッターを切った。
「あとでこの画像をデフォルメして、イラストに仕上げるの」と、花が咲いたような笑顔を見せた。
「このニンジン、やってみる?」と、風間は精いっぱいの愛想笑いをした。
「ぜひ」と、手渡されたニンジンを馬の口に持っていこうとする翔子に、「だめだめ。普通に持ったままやると指まで噛まれる。こうやって手のひらに乗せてやるのさ」と、ひろげた手のひらに乗せたニンジンを馬の口にあてがった。
「うわあ、ふにゃふにゃ!」
 馬の大きな唇と舌の手触りに、翔子が嬌声をあげた。
 普段なら、おれは絶対に行動を起こしている、と後ろで観ていた島崎は思った。こんな極上な女の子を、おれがほっとくわけがない。だが、おれは今度こそ自重しなくてはいけない。高三の秋、風間が密かに想いを寄せていたナオミを何とかしてやろうと、おれは義侠心にかられてナオミに声をかけたのだ。派手さはないが清楚な、感じのいい子だった。風間にはお似合いの女の子だった。だのにおれは、マワシをつけた行司だった。本気で風間のためにとナオミに声をかけたのに、いつもの癖と言うか、気がついたらナオミとラブホテルのベッドに入っていた。風間には本当に悪かったと、ずっと思っている。
「また来ても、いいですか?」と、翔子が訊いた。
「いつでもいいよ」と風間が答え、二人はメールアドレスの交換をしていた。

 それから三月ほどして、風間と島崎は吉野鮨の、前と同じカウンター席にいた。
「アジにコハダにサバか、さっきからヒカリものばかり食ってるな」と、島崎が指折りながら言う。
「キミは、トロ、トロ、イクラ、アワビに鯛か」と、風間が小さく笑う。「美味いものに目がないんだな」
「おまえも、そうすればいいんだ。それくらいの稼ぎはあるだろう」
「金じゃなくて、生きていく上での快楽と言うか、そういうものにはなるべく臆病でありたいんだ」と、風間は言った。
「なんで」
「その先が怖い、からかな」
「ん?」
 島崎が眉に皺を寄せる。
「つまり、キミのように眼前の快楽や欲望に貪婪でいると、必ずどこかで行き詰る。自分が破たんする。キミはシレっとそこを乗り切れるかもしれないが、僕にはその自信がない。僕はキミのように容易に自己合理化することも、思い捨てることも出来ない」
「難しい言い回しで、よくわからんな」と、島崎が首をひねる。
「いいんだ。僕は僕の範囲で、いつもうっすらと飢えていたいのさ」
「うーん」と、島崎が焼酎のグラスを口に運ぶ。気取った言い方をしやがって、得を取って損を捨てて行く、そういう二進法こそが、合理的な生き方というもんじゃないか。だのにこいつは、高校の時からそうだ。損得を度外視している。まったく草食系ってのは、おれには理解不能だ。「しかしそれにしても、翔子ちゃんにはまいったよなあ」と、島崎はまた天井を仰いだ。
「彼女を最初に見たとき、僕にとっては極上のトロだと思ったよ。まぁそれだけのことさ」と風間が言った。
「だけどあの翌週、彼女が厩舎の正門の先で、二浦ジョッキーに出会ったとは知らなかった。新聞情報では、最初に彼女がサインを頼んだのがきっかけだった、と書いてあった」
「そりゃあそうさ。二浦といえばリーディングを何度も獲ってる超有名騎手じゃないか。凱旋門賞にも乗ってる。会えば、サインくらいねだるだろう」
「二浦来春挙式。今朝のスポーツ新聞にでかでかと載ってた写真には、心底驚いたよ。金屏風の前に並んだ笑顔は、まぎれもない彼女なんだもんなあ」
「縁ものだ。仕方ないさ」
 うーん、難しいけれど、どこかで草食系の雌ライオンを見つけてこなければ。それでないと、おれはこのライオンに一生借りが返せない。
「大将。こいつに大トロ食わしてやってくれないか。トーストくらいの大きさで、分厚く切ったやつ」と、島崎が言った。
「へッ?」
カウンターの中の大将が、目を丸くしていた。(了)


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