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2-3 意識の違いで

 我が道を歩みだした18歳の私。自分にとっては、人生最大の勇気を振り絞って歩き出したのだけど、父の逆襲など、そう簡単に全てがハッピーにはならなかった。父の反応は予想外でショックだったけど、私は少し変わったけど、私が少し変わったからといって父まで変わらないか。父は、今まで通りの感覚の世界に生きているわけで、父は父なりに私を心配して、離れていってしまう寂しさとか、恐怖があったのだと思う。
 それでも!自分の中で自分のために決断できたという感覚の違い、意識の違いは大きくて、今まで従うしかないくらい大きな存在だった父の存在感が変化してきた。しかも、家に居る時間は圧倒的に少なくなった。学生の頃は休日も外出する私に小言を言う父だったが、休日も出かける私に何かいっていたのかもしれないけど、私が気にしなくなった。「お休みの日の過ごし方につべこべ言われたくありません。」なんて当たり前のことなのに、私はやっと社会に出て、その感覚を得た。それまでの休日は、母がパートに行っているので、父のお昼の支度をしたり、買い物の手伝いをしなければならないと思っていたんだもの。自分がやれば家の中が平和におさまると信じていたから。

 私のプライベートについて、あれこれ言わないでください。
 私は私の人生を生きます。

 そんな心境だった。今思うと、なんだかくすぐったく感じるけど、当時は、ものすごい覚悟だったのだ。
 自分の世界は家だけではなく、外にも世界があると気づいていたし、役所が私にはとても合っていたのか、本当にあっという間に職場に慣れた。早く自分の居場所のひとつとするために頑張っていたのかもしれないけど、みんな優しくて可愛がってもらった。なにせ、男性がほとんどの職場。新人の女の子というだけでちやほやされるよね。御局様にはお小言いただいたりもしたけど、誰にでも好意的な態度な私(笑)だから、結局、可愛がっていただく。気難しく、突然怒りまくる父の元で育ってきたのだから、空気を読み、部屋の雰囲気をよくすることは、死ぬほど頑張ってきた。ご機嫌が悪い人を笑顔にする術は鍛え上げてきた。最強のあざと女子ばりに(笑)。思わず、父のおかげだと思ってしまうくらい、仕事場は居心地が良かった。
 検察庁という特殊な職場で、しかも検事長という認証官がトップ。年に数回、皇居で「宮中午さん会」があり、通知がくるのだけど、最初、全然わからなくて「みやなかごさん」という人を囲む会だと思っていた。何度もその通知がくるので、みやなかさんは、すごい人なのかと思ってた。検事長が午さん会からお戻りになると、お土産を持ってきてくださって、みんなに配ってくれる。そのお土産には、全て菊の御紋が付いていて、「きゅうちゅうごさんかい」皇居での午後の会合だということを知った。恥。(晩餐会は夜で、午後だから午さん会。漢字で書いてくれればいいのに、そこひらがななんだもの。)私も、菊の御紋のついたおまんじゅうをいただいた。ありがたいお味がした。いろんなグッズ(灰皿とか、工芸品みたいなものとか)やタバコにまで御紋入りだった。
 検事長のオーラは、本当にすごくて、言葉少ないのだけど、お優しかった。奥様が耳が聞こえない方だったので、官舎に電話やドアベルが鳴った時に光が点灯・点滅する機会を設置する工事をしていたことを思い出す。お引越しの時にお手伝いにいったのだけど、奥様もお優しい方だった。検事長ご夫婦は、とても睦まじくて、なんだか癒されるような気持ちになった。
 オーラといえば、当時、伝説の検事総長と呼ばれた伊藤栄樹検事総長が現職の時に東北に視察にいらして、会食のお世話などでお会いしたけれど、もう半端ないオーラだった。信念と正義をひたすら貫いていらっしゃる方の特有のオーラ。眼光鋭く、怯んでしまうほどの強いオーラだけど、そのオーラに触れられる光栄を感じたものでした。役所のトップの方特有の眼光の鋭さは、他の官庁のトップの方もお持ちだった。今はもうそうではないのかもしれません。怖いんだけど、でも部下に責任をなすりつけるようなことは絶対にしない人々の眼。いろんな意味で、いい時代で恵まれていました。

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