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行き当たりバッチリ!

「行き当たりばったり」じゃなくて「行き当たりバッチリ」。
これは先日、バーに行った時に隣の若い女性が言った言葉。長男と同学年の私にすれば娘みたいな彼女は、専門職を生かして、フレキシブルな生き方を実践していた。専門職であっても、専門職だからこそ、「こうあるべき」みたいな縛りを自らに課したり、家族や環境や経済的なことを理由に不自由を選んでいる人は少なくないのかもしれない。だから、彼女の在り方がシンプルに素敵だなと思った。
 バーには、いろんな職業の人が来ていて、お話しできるのは私にとって貴重な時間。それぞれいろんな道のりがあって、今を生きている。順風満帆に見えて、大変な最中だったりもするし、その逆も。現時点でのポイントがどうあれ、それは全てではないのも、面白い。私たちも、変化の中で生きているから、当然いろんなことがある。
 私は自他共に認める「行き当たりばったり」を絵に描いたような生き方をしてきた。それもかなり真面目に笑。結局のところ、結果オーライに辿り着き、そして、そこで立ち止まらずに、性懲りも無く、また行くのだ。何の保証もないけれど、心の示すままに。
そんな話をしたら、彼女が
「行き当たりバッチリ!ですね」と言ってくれたのだ。正に的を得た最高の言葉だと思った。これからは、それを合言葉に真面目に行き当たって行こうと思う。もう自分の中の導きに逆らうことはできないのだから。完全なる自由の中で、もう赦された気持ちでその導きは働く。

 そんなこんなで、行き当たりバッチリだからなのか、私たちは裕福だと思われることがしばしばある。これは今に始まったことではなく、若かりし頃、明日のお米さえ、どうしようという時もそうだった。すごく裕福な親やパトロンがいるのではないかと噂になったこともあった。笑。
 どうあれ、「今の状況は、自分で選んだ結果」だと受け入れ、その受け入れた世界で「今」どう生きるかは、自由。お米の心配をして、悲嘆にくれることでなんとかなる訳じゃない。だったら、できる限りの工夫をすることで心はハッピーになれる。「今できることで最大に愉しむ!」これが行き当たりバッチリの極意。どんな状況も、例外なく自分で選んだ結果だと受け入れれば、愉しむこともできる、もちろん、現状が気に入らなければ、違う方向へ舵を切ることもできるのだ。こうするしかないという状況は、幼少期の特別な時期を除き、長続きすることはない。

 行き当たりバッチリの道で、今はわかりやすくベタな華やかな場所に居るから、それこそ、裕福だと思われる機会があるし、言われることもある。でも、心の中の豊かさは、どんな時も変わらないことに気づかされる。それは今、豊かだからじゃないかと言われても、それは違うんですよ、と説明して伝わることじゃない。どんな時も、気分がいい時があるし、落ち込むこともある。そして、やっぱり結局のところバッチリなのだ。
 
 「いろんなことを受け止めるだけの何らか理由や状況があるから、いろんなことを受け止められるのだ。」という人に、そうじゃないんだよ、と伝えたくなるが、しないことにしている。でも、私の中で「あなたが思っているほど、そんなに持てる者じゃないんですよ」と言いたくなる自分がいた。でも、そんなことは何の説得力もないし、全く意味がない。だけど、自分は「どんな時も大丈夫なんだ」という経験を無謀にも積み重ねていること、それを欲していることを受け止めた。誰にも証明することでもなく、私の中の信頼を積み重ねるためであり、純粋な好奇心だ。そして、もう一つ最重要なことは、自分の中の導きがあるから。信頼と好奇心と導きは、バラバラではないのだ。

「もはや、ないとか、あるとか、超越したところにいる」
と、夫は言うけど、カッコいい言い方だ。私の中では、もっと泥臭い。正に行き当たりばったりで、結果、行き当たりバッチリになっているという感覚。もがきながら、自分にとってコレだ!コレしかない!とその時思える道を邁進する。何の保証もない世界へ飛び込んでいく。その連続なのだ。その結果として、自分への信頼や自分の弱さを含めた強さを磨いてきた。私はきっと有事には最高に力が湧いてくる。恐れに飲み込まれることなく、ハッキリ可能性を見ることができるようになった。可能な限り、どんな時も愛を選ぶよう、自分の内に導きがあるから。



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