とある新人女性声優のオタクが2022年に「凪のあすから」と向き合った話

先日、「凪のあすから」というアニメを見た。
2013年10月から2014年4月にかけて全26話で放送されたテレビアニメだ。
放送開始から9年が経とうとしているアニメを2022年に"ほぼ"初見で見たわけだが、今回はその「凪のあすから」というアニメと、このアニメを見るに至った理由である、とある新人女性声優に絡めた話だ。
「凪のあすから」本編のネタバレもちょくちょく出てくるので未見の人は注意してほしい。


「凪のあすから」

P.A.WORKSによるオリジナルアニメであり、「元は海で生活をしていた人間が、ある時から海と陸にわかれて生きるようになった」という世界を舞台にした、ファンタジー恋愛青春群像劇である。
通称は「凪あす」。
監督は近年では「色づく世界の明日から」や「白い砂のアクアトープ」を手掛けた篠原俊哉さん
シリーズ構成は「とらドラ!」や「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」等、様々なヒット作品を手掛けた岡田麿里さん

実は僕は「凪あす」が放送されていた2013年当時、このアニメを「1話切り」している。
いや、もしかしたら3話ぐらいは見ていたのかもしれない。
何話ぐらい見たのかまったく覚えていない。
今よりもずっと深夜アニメに対するモチベーションは高かったので、さすがに「ゼロ話切り」では無かったと思うが。

ともあれ、当時の僕には「凪あす」はまったくと言っていいほど刺さらず、いつ切ったのかも曖昧なほどに記憶に残らないアニメとして分類されていた。

そんな「凪あす」をどうして2022年に見ることになったのか。
その理由は、とある新人女性声優の存在にある。


内山悠里菜さん。

スターダストプロモーション所属の新人声優。そして、声優アーティストユニット「DIALOGUE+」のメンバーである彼女を、僕は1年ほど前から推している。

彼女は様々な場で「凪のあすから」を好きなアニメとして紹介しており、P.A.WORKSのアニメに出るのが声優としてのひとつの目標であると語っている。
僕も当然そのことを知っていた。

だが、だからといって「凪あす」を見てみようと思うことは無かった。

「凪あす」が評判の良いアニメであることは放送当時から知っていたが、やはり自分に刺さらず一度切ったというアニメにもう一度手を出す気持ちにはなかなかならなかったのだ。

しかし、今年、2022年6月にある出来事が起きた。

内山さんの、体調不良による無期限の活動休止が発表されたのだ。

推しの活動休止によって僕はだいぶしんどい日々を送ることになるのだが、それはそれとして、この活動休止が発表された日に内山さんのツイッターのプロフィール欄にある一文が加えられた。

マタアオウネ!🐟

これは「凪のあすから」に登場するセリフであり、物語の中で大きな意味を持つ言葉だ。
内山さんのファンであり、「凪あす」を見た人ならこの一文に込められた彼女からの想いがすぐにわかっただろう。
しかし、活動休止が発表された日の僕がこの一文の意味をすぐに理解することは出来なかった。
「凪あす」のネタだということに気づくのに時間がかかった。

当然である。


「凪のあすから」をちゃんと見てないのだから。



これは良くないんじゃないか????



見てないくせに「マタアオウネ」のネタを使うというのはめちゃくちゃにダサいことであるし、内山さんが記した「マタアオウネ」をちゃんと理解するために今こそ「凪あす」に手を出すべきなのではないか???
そして、内山さんのことを毎日心配し続けているのは正直言って精神的にだいぶしんどいし、キツいので何か気晴らしがしたい。


こうしてついに僕は、リアルタイムで「切ったアニメ」と9年越しに向き合うことになった。
「凪のあすから」と向き合うことにした。




めっちゃくちゃ素晴らしいアニメだった。


がっつりとハマってしまったし、何回も泣くぐらい感動してしまった。


この作品は、全編を通して「人を好きになる気持ちの素晴らしさ」を描いている。

物語は、海の世界に生まれ育った4人の少年少女が、通っていた学校の廃校を機に陸の世界の中学校へ転入するところから始まる。
1クール目では、海の世界から来た主人公・光(ひかり)たちが、陸の世界で出会った新しい級友たちとぶつかりながらも交流を重ねていく姿が主軸として描かれる。
それと同時に光の姉・あかりと、その交際相手である陸の世界の男やもめ・至(いたる)を巡る、海と陸の人間のいざこざが展開されていき、子供たちの物語と大人たちの物語が交差していく。

主要登場人物は、海の世界の光・まなか・ちさき・要(かなめ)。陸の世界の紡(つむぐ)。至の娘の小学生、美海(みうな)とその親友のさゆの7人。

主人公・光は共に海で育った幼馴染のまなかに幼馴染以上の感情を寄せているのだが、まなかは転校初日に陸の世界の少年・紡と特別な出会いをする。
まなかは紡に興味を持ち、光も紡と交流を重ねるが、まなかが紡に興味津々なことに光は複雑な思いを抱いていく。

これが1クール目のおおまかなストーリーなのだが、シリーズ構成を担当する岡田麿里の手腕によって高濃度な恋愛青春群像劇が展開されていく。

この、随所に見られる「岡田麿里節」は好き嫌いのわかれるところだとは思う(たぶん2013年当時の僕にはこの岡田麿里節が合わなかったのかもしれない)が、ストーリーの巧妙さや印象的なセリフには何度も唸ってしまった。

そうして、1クール目後半。物語は衝撃の展開を迎え、海の世界と陸の世界は断絶し、主要登場人物が離れ離れとなり2クール目に突入する。



2クール目は1クール目から5年経った世界で物語が展開していくのだ。



この、「海と陸の世界が断絶し5年経つ」という展開は放送当時も話題になっており、すでに「凪あす」を見ていなかった僕でもどこかで目にしたか耳にしたかで、海と陸の世界が断絶し5年経つ」という展開だけは知っていた。


しかし、海と陸で離れ離れになるのが、そういう振り分けになるとは予想外だった。
1クール目のラスト。第13話を見終わったとき、とあるキャラに対して、

「え、陸に残っちゃった!!??」

と声に出して驚いてしまった。

2クール目は1クール目から5年経った世界で物語が展開していく。
陸の世界の人間は当然5歳年を重ねているわけだが、海の世界へ戻って行った人間は「ある理由」から、5年前のままの姿で登場する。
ここで5年のずれが発生し、人間関係がより複雑になり深さを増していくのだ。

こうなって来るともう岡田麿里の独壇場である。

物語を作るにあたって、反復と差異という表現はストーリーに勢いをつけるためにとても重要になってくるのだが、「凪あす」の2クール目は反復と差異のラッシュである。
毎話毎話、1クール目にさりげなく描いたものの反復と差異が飛び出し、その度に声を上げてしまった。

特に16話以降はすごかったと思う。
18話の木琴とかエグかったな。

僕が1クール目の前半を見ている時に、とても印象に残ったあるセリフがあるのだが、このセリフも反復だった。
第5話。父と交際するあかりに対して複雑な感情を抱く美海と、そんな美海に向けての光のセリフだ。

美海 「大好きにならなければ、あんなに苦しくならない!」
光  「誰かを好きになるの、ダメだって、無駄だって、思いたくねえ」

このセリフがすごく好きで心に残っていたのだが、2クール目の後半でこのセリフが再び登場した時は頭を抱えてしまった。
完全に岡田麿里の手のひらの上だった。

こうしてストーリーは凄まじい勢いのまま最終回まで走りぬけていく。

「凪あす」を見たことがない人は、ここまでの僕の解説を読んでずいぶん重い話だなと思うかもしれないが、安心して欲しい。この作品は清々しいまでに爽やかなラストを迎える。

最後まで「人を好きになる気持ちの素晴らしさ」を描いてこの物語は終わる。

と、一気に解説をしてしまったが、それだけどハマりしてしまったわけだ。

ここまでどハマりしてしまった原因は何か。

それは、間違いなく「推し補正」なのだ。

推しである内山悠里菜さんの好きなアニメを理解するため、彼女の活動休止を機に「凪あす」を見始めたのだが、活動休止したことが辛すぎて内山さんに対する感情が大変なことになっている今の僕には、この作品のテーマである「人を好きになる気持ちの素晴らしさ」がとても刺さった。

作中で描かれるのは男女の恋愛だけではない。
友人。親子。共に生きていく人々。
他者のことを理解し、向き合うこと。
そして、自分の気持ちも大切にすること。

この作品は様々な「好き」の感情を描き、そこから生まれる複雑な感情の交差を描いている。
しかし、徹底的に「好き」の感情を肯定していく。


僕は内山悠里菜さんという新人声優を応援している。
この気持ちも「好き」だ。

「好き」であるがゆえに、彼女の活動休止に苦しみ、そこから色々なことを考えるようになってしまった。
正直、揺らいでしまった。

好きになってなければこんなにしんどい気持ちになることもなかっただろうに。

彼女を応援していた気持ちはこのまま無駄になってしまうのだろうか。


先述した、「凪あす」1クール目で心に残った美海と光の言葉。
あの言葉が刺さったのは、その時の自分の心境に重なるものがあったからだろう。

だからこそ、このセリフが2クール目にも登場した時はとても驚いたのだが、2クール目の中にも特に印象に残っているセリフがある。
美海の親友・さゆの言葉だ。

さゆ 「人を好きになる気持ちがなくなったら、楽だったろうけどさ。今の私じゃなくなってる。きっと」

泣いてしまった。
この辺の話数ではさゆにめちゃくちゃ泣かされてしまったなぁ。

僕もこの言葉の通りなのだ。

好きになってなかったら。
出会ってなかったら。
そうしたら、ひとりの新人声優の活動休止でこんなに苦しむこともなかった。

しかし、そうしたら今の自分じゃなくなっている。きっと。

内山さんのことを知って、名前を覚えてから約1年半。
ファンになり、推すようになってからは約1年。

たった1年とちょっとではあるが、楽しいことがたくさんあった。
自分の中で世界が広がった。

どれも内山さんのことを「好き」になったからだ。

好きになって良かった。

無駄じゃなかった。

活動休止によって揺らいでいた内山さんへの気持ちを、「凪あす」にまっすぐにしてもらった気がする。

「凪あす」と向き合って良かった。無駄じゃなかった。



こうして2022年7月に「凪のあすから」を完走して見事にハマった僕は、ようやく「あの一文」を大手を振って使えるようになったのであった。


「凪あす」を見て、この作品を好きだと内山さんが言ったことも理解できるようになった。
人間関係に対して平和主義者であり、いつも「ひとつ引いたところ」に自分を置きがちで、本心をなかなか周りに見せようとしない彼女らしいなあと、オタク特有の異常解釈をしてしまったりした。


長々と書いたが、本当に素晴らしい作品だ。
来年の10月で放送開始から10年になるアニメであるが、まだ見たことがないという人がいたらぜひ見てもらいたい。
恋愛モノであるが、自分の中に「推し」という存在がいる人には特に刺さる作品だと思う。

「凪のあすから」という作品に関わったすべての人に感謝を。

そして、「凪のあすから」という作品ともう一度向き合う機会をくれた内山悠里菜さんに感謝を。
今度内山さんに出す手紙は「凪あす」の感想報告にしよう。


そういえば、今年の夏はまだ海を見ていない。
近いうちにどこかで見に行ってみよう。
そして、内山さんが無事に戻ってくるのを待とう。


知ってます?
好きは、海と似ているんですよ?


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