#れいわ性加害問題
被害を告発した経緯と目的 私の思い
6月12日草津町冤罪事件での黒岩町長の言葉「こうした冤罪事案が発生すると、本当に性被害を受けた方が声を上げにくくなることに留意してほしい」という記事を偶然見て、被害者が口を閉ざされ小さくなっていることに疑問を感じ、発信してきました。
目的は
【次の被害者を生まないこと】
【被害者の実態の周知と社会変革】
私の発信から気付きを得た人は声をつないでほしい…
#声を消さないで
#MeToo
私の提起はれいわ落選運動でも、アンチ化でもなく【人権問題】です
性犯罪はもちろん、被害者への安易な提案や誹謗中傷は時に生死を分けることも周知したいと思います。
"私たちのことを私たち抜きで決めないで"
あらゆることの根幹に人権の尊重を
時系列
令和5年6月15日 紫波町街宣指導で加害者と知り合う。
夫、紫波町ボランティアに選挙カーの運転指導。
私にアナウンス指導を行った。
※加害者は補佐への指導も行う立場であった。
6月22日〜23日 紫波町選挙で帯同
選挙指導として加害者が紫波町選挙に派遣された。
選挙前後のトラブルの相談、対応をしていた。
当選後は、事務連絡のみ
8月3日~4日 柏市議選中の業務中に加害者から電話が入る。
盛岡市の選挙応援(盛岡市議会議員選挙8月6日告示、8月13日投票)に私がいつ入るのか、柏市議選中の業務中に電話で確認あり。「自分(加害者)は8月9日〜13日まで盛岡に入るので、10日〜12日の夜に紫波町で会食できないか?(私のコアボラさんも一緒に)」と言われた。
夜間に子育て中のコアボラさんを会食に誘うことや、私自身も選挙や議員の懇親会が続いており、子育てを優先したかったので回答を保留した。
LINEで予定を送ったのに、なぜわざわざ電話をしてきたのか不思議に思った。
8月9日~8月13日 加害者が盛岡市議会議員選挙に派遣される。
8月9日の午前にA補佐を、夕方にB補佐を加害者の権限で相次いで帰していた。
8月11日個人演説会当日まで、B補佐を帰していたことを知らず、「なぜ最終日まで残さなかったのか?」と加害者に問い詰めたが、「B補佐は使えないから帰した。」と返答。
8月11日 個人演説会 被害当日
18:00~18:30個人演説会
加害者は個人演説会の統括。私は弁士として呼ばれていた。
個人演説会終了後、靴事件が起こるが詳細は割愛します。※この時の様子は盛岡ボランティアさんが「みさとさんを、何もできない子どものように扱って、まるでグルーミングのようだった」と証言している。
19:30頃、「候補者も帰ったのでこのまま二人で会食に行かないか?」と誘われたが、20時までしっかり選挙活動したかったのと、事務所に寄らずに二人だけで会食に行くのはおかしいと思い断った。
20時まで2人きりで選挙カーで街宣。
後日、「なぜ、選挙事務所にウグイスさん、盛岡選対もいたのに、街宣に同行します。ということにならなかったのか?」と盛岡選対に確認した所「来なくていい」と加害者から言われ、盛岡選対は街宣に同行できなかったと聞いた。
20時マイクオフ→事務所で最終日の確認をする。
選挙事務所にいた盛岡選対のスタッフに、会食に行くことを告げ、二人で盛岡市のすし店へ。
会食時の会話は主に選挙活動について、議員活動、党勢拡大についてであった。
プライベートではなく、翌日の動きなどの確認も含む。この時の会食はプライベートなものではなく、上司からの誘いを受け、仕事上の付き合いだった。
会食後、私は駐車場へ、加害者は宿泊先のホテルへそれぞれ向かうと思っていた所、加害者が「村上さんの車に忘れ物をした」と言い、車に乗せることになった。
この時の忘れ物は、翌朝渡してもよいものだったと振り返っているが、加害者はタクシーを拾い、加害者のペースで私の車を置いている駐車場に向かうことになってしまった。
車でホテル近くのコンビニ前の交差点近くに送る。
この時の車内での会話は恋愛関係ではなく、師弟関係のものだった。私が依頼している弁護士に、党が聴取した被害者ヒヤリング概要を見てもらった所、師弟関係であり恋愛関係ではないと、ハラスメントである見解を示している。
※2023年刑法改正により【不同意性交等罪】に罪名が変わり、【同意しない意思の形成・表明・全うが困難であることや不意打ち、上下関係】などの状況下で、行為を行うことは犯罪構成要件になった。
ここで、注目すべき点は、夫婦関係でも恋愛関係であっても、同意がなければ犯罪になる可能性があるということ。れいわ新選組の報告書やれいわ支持者の誹謗中傷の中には恋愛関係だったというものも見られるが、関係性の有無ではなく、同意の有無が焦点です。
加害者は酒に酔っており「プラトニック」だの「議員には手は出さない」などと、わけのわからないことを口にしていたが、聞き流して運転していた。
コンビニ前の交差点付近に着くと、私がスライドドアのスイッチを押すまもなく
『ねえ、むらかみー、キスしよう』と迫ってきた。
→同意のないフレンチ・キス後、不意打ちでディープキス。
『ねえ、むらかみー、キスしよう』と言われた瞬間から5F反応が起こる。
迫っている加害者は私が知っている上司ではなく、性的な行為を求めている男性に変わっていた。
加害者は気が済むまで続け、その後満面の笑みで車から降りた。
気が動転していて、車を走らせた後に「あー、やられた…」と思った。
錯乱状態で、どこをどう走って帰宅したか覚えていない。
帰宅後、私は「他の地方議員にもあのようなことをしているのですか?」と加害者にLINEしている。
すでに否認や迎合など反動形成(防衛機制)は起こっていた。
以後、心身ともに不調。
8月12日 選挙最終日
ほとんど眠れぬまま選挙最終日を迎えた。
「候補者に迷惑をかけてはいけない」「とにかく、何もなかったように振る舞おう」としていた。
紫波から盛岡へ向かう車内で、私は紫波ボランティアに「〇〇さん(加害者)を私に近付けないように見張っていてほしい」とお願いしている。
昼食時、ぐったりしていて何も注文しない私の様子を周りが心配していたので、サイドメニューを1つ注文し、やっとの思いで食べた。
選挙カーでのアナウンスも、いつもの調子が出ず、隣に座っていたウグイスさんに「昨日、何かあったの?」と勘付かれたが、何もなかったように振る舞うのがしんどかった。
夕方、豪雨のため街宣予定を1つ減らして事務所で休憩していた際も、コルセットを外して私が横になっている所を、加害者はついたての隙間から何度も覗いていた。
その様子はボランティアさんも見ている。
20時、マイクオフ。選挙を終えてウグイスさんとB補佐を盛岡駅に送る際、ロータリーで自損事故を起こした。
※B補佐は、8月9日に加害者の命令で選挙事務から外されていたため、私費で盛岡に来ていた。選挙後の会食にB補佐も誘っていたが、新幹線の都合で帰宅した。
事故報告のため、上司である加害者に電話をかける。加害者と紫波町ボランティアが駆け付け、事故処理後、そのまま会食の流れになったため、盛岡選対とは別行動となった。
会食時、何度もホテルに誘われたが、断固拒否し、紫波町に帰宅した。
8月25日 仙台にて二人で会う
手を握られたり体を触られ、「やっと二人きりになれた。(8月11日の行為で)下半身が反応した」などと言われた。
加害者の発言や行為に対して苦笑いをしながらずっとため息を付いていた。
この頃は反動形成
会って「なぜ、性的行為をしたのか」聞こうと思った。また、自分に起こったことを否認しようとして中学生の時に遭った性被害を思い出して調子が悪くなっているとすり替えようとしていた。
とても調子が悪かったが、LINEのやり取りでは迎合していた。
反動形成
10月6日心療内科で指摘を受けた。
被害時の不快な思いを好意に転換して何事もなかったかのようにやり過ごそうと防衛反応が起こったのではないかと心療内科の先生に言われた。
9月2日 紫波町ボランティアに打ち明ける
怯えて「どうしよう…大変なことが起こったの…」と言い、やっとの思いで被害の内容を打ち明けた。
「え?なにそれ!!怖い!」と紫波町ボランティアさんが反応。私も「怖い」と言っているのに、上司(加害者)を慕う様子に違和感を感じ、以後、私が被害に遭ったと完全に気付くまで傾聴に徹してくれた。
9月3日 セクハラを加害者に問いつめる
「あれ以来メンタル不調が続いている。いつもの私なら家事や育児をこなしながら仕事できるのにできない。〇〇さんがあんなことしなきゃ、私は普通でいられたのに!!」「東北補佐に離党の旨を伝えます」と加害者にLINEした。
補佐に離党の旨を伝えたが、保留。
女性職員に、セクハラに遭ったため離党したいと相談するLINEを打つも、不安になり送信を躊躇ってしまった。
同日18時30分 加害者と電話
「村上さんの政治判断なので止める理由はない。離党する理由は、政治判断なのか、私との関係があったからなのか。」と事務的に言われ、党にセクハラ被害に遭ったため離党したいと申し出ても、党本部に加害者がいて、私が悪いように言いくるめられるのではないか?と不安になり、諦めて、加害者に懐柔することを選択した。
9月4日〜 徐々に疎遠になる
この間、セクハラだと認識できたり、これは寵愛だったのだと思い込もうとしたり、精神的に不安定な状態が続いた。
東北補佐には8月中旬からメンタルがおかしいことを何度も報告している。
8月11日〜四六時中フラッシュバックしている状態。
10月1日 性被害を認識し始める
10月2日 職員に被害を打ち明ける
女性職員より
党内にハラスメントが横行しており、報告してももみ消される可能性が高い。
加害者の上司もパワハラ。自分の力では難しい。
内部通告制度があるが、地方議員には周知されていない。
窓口の幹事長はこれまでの党の問題に対処しきれていないため当てにならない。
社外通告窓口の弁護士が信頼できる人かわからない。党から依頼されているので党の味方になる懸念がある。
ハラスメントガイドラインを作成しようとしている参議院政策委員が加害者と仲が良いこともあり、本当はその人に相談したいが、加害者を守る可能性もある。
今はどうすればよいという方法がない。
と言われ、絶望した。
以後、東北補佐と女性職員は性被害を実際は知っているが、「知らないこと」にしていた。
二人が私のセクハラの件で党から不利益を受けることを憂慮して、私からも「党には知らなかったことにしてください。」とお願いした。
10月5日~ 被害者支援センターに相談
「これは明らかに性暴力である」と指摘を受け、#8103(性犯罪ダイヤル)に電話することを提案され、その後被害届につながる。
11月16日 被害届を提出
11月17日 山本太郎代表へ報告書を提出
盛岡市議選中に起こったパワハラ、セクハラを、盛岡選対と私と紫波町ボランティアの3名で提出。
※加害者が党内にいるため、党には被害届の件は報告していない。
11月20日 代表秘書から連絡
代表秘書から「村上さんはどうしてほしいのか?」と東北補佐を通して連絡あり。
以下の要望を代表秘書にB補佐を通じて送る。
11月22日~ 党の男性職員とのやりとり
党はヒヤリング、ヒヤリングと、ヒヤリング担当者が誰なのかも決まっていない状態で何度も打診してきた。
ヒヤリングは応じるが、心的な回復ができていないこと(ヒヤリングによる二次被害を懸念)、12月議会も迫っており、被害後から集中力低下、事務処理能力の衰えがあるため、一般質問のサポートを先にしてほしいとお願いするも、噛み合わず疲弊。
11月23日夜 葛藤をB補佐に伝える
党内に加害者がいるので、この告発の取り扱いが見えず怖くなってしまったこと、被害後の後遺症で集中力低下に悩まされており、議員辞職をして楽になりたい気持ちと紫波町民の付託に応えたい気持ちで葛藤していることを、正直に補佐に伝えた。
11月24日 B補佐からLINE
『被害の洗脳から解けきれてない。仕事は仕事。仕事に感情を入れるな』
→以後精神安定剤の頓服を毎日服用するほど憔悴した。
同日 地方議員グループLINEを退会。
加害者と被害者が同じグループLINEに入っている状態だったため、私は3回出入りを繰り返していた。
私が退会後、ある地方議員がアウティングを行い、その後、地方議員や支持者にデマDMを拡散させた。
同日、B補佐から紫波町ボランティアへのLINE
党が業務委託した職員から受けた加害に対して生じた集中力低下や事務処理能力の衰えに対し、党にサポートを求めたら「党への依存だ」「危険な議員だ」と言われ、もう何も党に言えないなと思った。
そもそもハラスメントに対する体制ができていないので、行き当たりばったりの対応で、被害者側が疲弊。声を上げた人が変人扱いされる状況に追い込まれた。
11月30日 ハラスメント対策室聞き取り
21時~23時
※文書の調整があり最終24時
聞き取り担当者は専門職ではないため、事前に資料提供していたが聞き取りは長時間に及び、聞かれたくないことや、肝心ではないことまで聴取された。
12月末 ヒヤリングの日程調整の連絡
党が依頼した弁護士からヒヤリングの日程調整の連絡あり、ヒヤリングを令和6年1月18日に行うことが決まった。
令和6年1月某日 ハラスメントガイドラインの説明
審議会は公認地方議員と推薦地方議員の2名。
フローのおかしさに気付き、連帯議員と幹事長に申し入れを検討。
→申し入れたが実現せず。
令和6年1月18日 党弁護士ヒヤリング
(13時~15時)
収支報告書から、以前から党と関係がある弁護士事務所であることがわかった。
聞き取り内容について、私に関わった複数の弁護士から「性犯罪に詳しくない弁護士の可能性がある」と指摘を受けた。
ヒヤリング後、メールにて追加情報や確認事項をやり取りする。1月末まで。
まだ自責の念が大きく、ヒヤリング時、自分が悪かったのではないか、迎合反応について上手く伝えられていなかった。
その後の審議内容は不明。
2月13日 1回目の離党届提出
2月16日 加害者の先輩から脅しの提示
ハラスメント対策室の担当者ではない人物(加害者の先輩)から、離党届を「批判文だ」とし、離党届の分離処理やSNSにバラさないなどの提示を受けた。
同日、被害届が国策捜査と言われ、党内が法廷闘争も辞さない動きになっていることを知る。
2月27日 法廷闘争の動きに恐怖を感じ、一身上の都合に離党届を書き換え提出。
仲介議員を使って離党届を書き替えさせたことについて、党内では代表、共同代表が公益通報を恐れていたと聞こえてきた…
(それなら、はじめから脅さなければよかったのに…)
3月31日 離党受理の書類とともにハラスメント報告書が届く。同日離党。
4月1日 離党公式発表→離党バッシング
※離党理由が言えない旨の投稿に、理由が言えないから議員としての説明責任を果たせていない!議員辞職だ!!というれいわ支持者からのバッシングが多かったため、その記述部分のスレッドは削除してあります。
5月1日 被害者検察聴取
6月12日 SNSで被害を告発
党から「お互いに傷付くのはやめませんか」と仲介議員を通して連絡あり。
告発はひとりの性被害者の訴え、次の被害者を生みたくない思い、ソーシャルアクションの意味があり、貫く決意をする。
6月15日 大阪道頓堀街宣山本代表の説明
報告書の「〇〇氏の行為は明らかに不適切な行為であった」→「党内で何らかの不適切な関係性」に言い換え、算出根拠不明の「61日間、123時間の電話のやり取り」を説明。
11月30日のヒヤリング以外は「みさとちゃんのことが心配だった」など個人的な電話や介護相談もあり、実質的なヒヤリングは11月30日の3時間であった。
以後、誹謗中傷が激化。
6月19日 嫌疑不十分の通知
不同意わいせつ罪の不起訴率は約8割。
性犯罪のハードルは高く、被害者に多大な負担がかかることがわかりました。
※PTSDにより体重が10キロ減少し、体力的にも精神的にも限界であったために、検察審査会・民事は弁護士と相談の上、保留している。
7月3日 秋田能代おしゃべり会 拍手で決を採る
秋田の支持者が「6月15日の街宣で、被害者への二次加害を止めるように代表はなぜ言わなかったのか?」という問いに対しても回答はなかった…
7月26日 山形おしゃべり会 審議会に身内の地方議員がいたことを公表
実際の審議会メンバー(当時)は公認地方議員と推薦地方議員の2名だったと記憶している…
9月28日福岡街宣 性被害は個人間の問題
10月4日 公正な第三者による再調査の申し入れ
10月24日 警察からの安否確認
2024年衆院選が始まり、私がXやnoteに声を上げることに対して、取り下げを身近な人から直接言われました。
無力感に苛まれ、アカウントを消しましたが、反響が大きくなってしまい、警察から安否確認が入り、復帰しました。
noteの取り下げ要求と、「テロ」と言われた私の思い
現在
誹謗中傷の悪質なものは警察に相談済み。
弁護士を通じて開示請求中。
誣告罪、国策捜査については警察も聞き取り済み。
他党の国会議員、県議会議員、市町村議会議員、ハラスメント被害者団体、性被害者など、連帯表明や心配の連絡が入っている。
「れいわに対応を求めて問い合わせをしたが何の返事もなかったため、支持をやめた」という支持者からの連絡が多数入った。
PTSDは治療中。