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「さなだや」というその蕎麦屋は…


池波正太郎作『正月四日の客』の舞台は、本所の枕橋にある蕎麦屋。「鬼平犯科帳」の『蛇の眼』で覚えている方もいらっしゃるかもしれない。美味い蕎麦屋だ。亭主は庄兵衛。両作ともに同じ名前だが、キャラクターが異なる。

現存する枕橋へ向かった。

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枕橋

「古いなぁ」…思わずこぼれた一言。耳を傾けるとブツブツと昔語りをしてくれそうな趣がある。橋の袂にある石碑によると、

寛文2年(1662年)、関東郡代であった伊奈半十郎により、中之郷(現在の吾妻橋)から向島に通じる源森川に源森橋が架けられた。またその北側にあった水戸屋敷内に大川(隅田川)から引き入れた小さな堀があり、これに架かる小橋を新小梅橋と呼んでいた。この二つの橋は並んで架けられていたため(注:枕枕のように見えたため)、いつの頃からか枕橋と総称されるようになった。
 その後、堀は埋められ新小梅橋もいつしか消滅した。明治8年、残った源森橋は正式に枕橋と呼ばれることとなった。
 現在の枕橋は昭和3年(1928年)に架け替えられたものである。昭和63年、本橋は東京都著名橋に指定された。

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「まくらばし」と思い込んでいたが…、危ない危ない。

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隅田川八景

橋に刻まれたレリーフは、二代目歌川広重『枕橋の夜雨(やう)』(隅田川八景)。

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原版は、夜の画面に隅田川の流れと人物が色鮮やかな錦絵。画の解説などに因ると、橋のそばに向島八百松楼という立派なお茶屋があり、焼き鳥とシジミ汁が名物で大変にはやったとか。

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枕橋の隅田川側にある源森川水門。八百松楼のあった場所は水門の右側辺りらしい。現在は東武鉄道の橋脚が建っている。

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東京ミズマチ

(『正月四日の客』より)店は枕橋の北詰にあり、西は大川、東は水戸家下屋敷と言った静かな場所だし、源兵衛掘の対岸は中ノ郷の瓦町で瓦焼の仕事場が堀川に沿って並び、煙がいつも上っている。大川を隔てた対岸は、花川戸、山の宿、今戸の町並みの彼方に浅草寺の大屋根がのぞまれると言った風景で…

水戸家下屋敷は隅田公園となり、枕橋付近「東京ミズマチ」にお洒落な店が並ぶ。

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大川今昔

スカイツリーライン沿いの歩道橋「すみだリバーウォーク」からの眺め

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対岸に、渡船の碑

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物言わぬ橋や河に江戸の面影を微かに偲んだ。

この日は、とうきょうスカイツリー駅から地元まで約9キロを徒。終盤は足が自分の物とは思えぬ感覚で、やけに自動的な運ぶ。もうガクガク状態いう体たらく。鍛えねば…。

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