ひとり語り「レモン哀歌」 高村光太郎『智恵子抄』より

智恵子が亡くなったのは、昭和13年10月5日午後9時20分。
この日は、レモン忌と呼ばれる。
彼女の脈が細くなり、呼吸が乱れがちになると、
「もうお注射はおやめください」と光太郎は力を込めて言ったという。
ゼームス坂病院は、患者を拘束などしない当時稀な治療方針だったと記憶する。
智恵子にとっては、第二のアトリエでもあったろう。
今、病院跡には「レモン哀歌の碑」が建つ。

*高村光太郎氏、智恵子女史の敬称を略しますこと、お許しください。

とっても感謝している文献
『智恵子抄』の世界 大島龍彦、大島裕子(新典社)
「智恵子抄を読む」大島龍彦 (新典社選書) 他

高村光太郎連翹忌運営委員会のblog
http://koyama287.livedoor.blog/

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