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にっぽん怪盗伝『正月四日の客』

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角川文庫「にっぽん怪盗伝」 『正月四日の客』本番 & 取材の模様など。
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#かたりと和LIVE

江戸名代の店〔無極庵〕

実在した蕎麦店…ご存じだろうか。 (池波正太郎作『正月四日の客』より)…上野仁王門前にある蕎麦屋、無極庵に奉公することを得た庄兵衛は、この江戸名代の店で修業をし、三十五まで勤め上げた。… 因みに、上野仁王門前<うえのにおうもんぜん>は、今の〈あんみつ みはし〉辺りから〈鈴本演芸場〉付近一帯の旧町名らしい。 『正月四日の客』主人公の庄兵衛は<無極庵>で蕎麦の腕を磨き、本所の枕橋に女房と店を開く。それが本作の舞台〈さなだや〉であり、屋号の由来〈さなだ蕎麦〉がストーリーのカギ

浅野屋というその蕎麦屋は、京浜東北線の上中里にあった

昨年から今年にかけてー 世情の変化に、どんな影響を受けたか文学作品を語る表現活動は激変した。自主企画で多い時は100人規模の公演を打ってきたが、その一般的には小さくとも有難い営みはガイドラインという価値観の中に入らない。5000人とか、キャパの半分とか…物差しが違いすぎたり、「はい、赤字覚悟ね」みたいな枠でくくられても、身動き出来ない。助成金も、何か事を起こす人への制度であり、動けない者への施策ではない。 何が起こっても自己責任。当然の覚悟+低リスクな企画とは? 考え続け

彼方に浅草寺の大屋根がのぞまれると言った風景で…

池波正太郎作『正月四日の客』取材で、向島から馬道を通って浅草へ。 本作の主な舞台は、蕎麦「さなだや」。 (『正月四日の客』より)店は枕橋の北詰にあり、西は大川、東は水戸家下屋敷と言った静かな場所だし、源兵衛掘の対岸は中ノ郷の瓦町で瓦焼の仕事場が堀川に沿って並び、煙がいつも上っている。大川を隔てた対岸は、花川戸、山の宿、今戸の町並みの彼方に浅草寺の大屋根がのぞまれると言った風景で… 隅田川の向う、浅草方面を眺めても、今や浅草寺の大屋根は見えない。こんな思いをするごとに、都

ほれ、常泉寺という寺があるね…

1596年(慶長元年)創建の古刹。 池波正太郎作『正月四日の客』では、ここに大泥棒の手下が寺男に成りすまして住み込む。 作品に登場する寺が現存するのは有難い。登場人物が行き来する場所の位置関係もイメージしやするくなる。 昭和3年、言問橋の完成にともない新たに作られた言問通りは、常泉寺の境内の中央を分断する形となった。政府は常泉寺に対し、代替地を用意し寺院を移転するよう提案したが、常泉寺は歴史が古いことを重要視し寺域を縮小して現在地にとどまった。 『正月四日の客』の主たる

「さなだや」というその蕎麦屋は…

池波正太郎作『正月四日の客』の舞台は、本所の枕橋にある蕎麦屋。「鬼平犯科帳」の『蛇の眼』で覚えている方もいらっしゃるかもしれない。美味い蕎麦屋だ。亭主は庄兵衛。両作ともに同じ名前だが、キャラクターが異なる。 現存する枕橋へ向かった。 枕橋「古いなぁ」…思わずこぼれた一言。耳を傾けるとブツブツと昔語りをしてくれそうな趣がある。橋の袂にある石碑によると、 寛文2年(1662年)、関東郡代であった伊奈半十郎により、中之郷(現在の吾妻橋)から向島に通じる源森川に源森橋が架けられ

上田の蕎麦に喉鼓(『正月四日の客』)

池波正太郎に『正月四日の客』という短編がある。「にっぽん怪盗伝」に収められたピカレスク小説のひとつだ ・さなだそば『正月四日の客』には、黒々と光った無骨な手打ちそばを、辛み大根おろしの絞り汁とそばつゆを合わせた〈真田汁〉なるもので食べる〈さなだそば〉が出てくる。作中、信州・上田松代で食される〈さなだそば〉に思いが募り、旅に出た。 池波正太郎が通い、〈真田そば〉をメニューにする〈刀屋〉。営業時間は11~18時とある。もちろん売り切れ御免だ。一体間に合うのか。道々、収穫期の田