TAKE

 日当たりの良いフローリングの床にベッドの側面を背にして坐っている。時折カーテンが膨らみ、五月のさわやかな風が部屋に吹き込んでくる。膝の上のギターを爪弾くおれの横にはTAKEが居る。TAKEとこうして二人きりになるのは久しぶりのことである。
 世界でも屈指のサッカー選手であるTAKE。
 スペインリーグでの試合をこなし、また日本代表チームの中心選手でもあるTAKEが実家に戻ってくることは滅多になかった。たまに帰省して、こうして兄であるおれと二人で居ても、どこか気を遣っているようで、居心地が良さそうには見えない。おれは、そんなTAKEがなんだかいじらしく思えてきた。
 ギターを壁に立て掛け、TAKEの坐る正面に坐り直し、TAKEの眼を覗き込むように言ってみた。
「なあ。おまえはおれと違って、大変な成功者になったわけだが、やはり、そういうの星の下に生まれてきたてことかい?」
 TAKEはおれから話しかけられたことが嬉しいのか、ピッチでは見せぬ柔和な表情になった。
「ちがうよ、兄さん。気力だよ。全ては気力がものをいうんだよ」
 TAKEは右手のこぶしを握り、上腕部を軽く振りながら言った。
「気力か。そういうものかもな。おまえは子供の頃から根性があったし、ストイックに生きてきたものな。そこへゆくと、おれはむかしから不埒なまま、それを売り物のようにしてきて、結局いまはこのざまさ」
「兄さんには兄さんのやりかたがあって、それはそれでひとつの生き方だよ。誰に後ろ指を指さたって、そんなことは気にすることないよ」
「ハハ、おまえからいわれると、勇気百倍だな。ところで、おまえが持って帰ってきたそのギターを見せてくれよ」
 TAKEはベッドの脇に立て掛けれた長方形のハードケースを開け、ボディに角がない、淡い紫色にペイントされたギターを取り出した。
「それ、琵琶みたいな形だな。エレトリック琵琶ってやつか? それにしても、おまえはいつからギターが弾けるようになったんだ? ずっとサッカー漬けだった記憶しかおれにはないのだが」
「兄さん、知らなかったの? おれはサッカーしてないときは、下北沢のライブハウスでパフォームしてたのに。これは、自分へのご褒美にドイツの楽器メーカーに特注でつくってもらったものなんだ」
「へー、特注か。ってことは、あれか? 値段もすげーのか?」
「うん。五百万くらいしたかな?」
「五百万って、おまえ、そりゃ中古のポルシェが買える値段じゃないか。あ、おまえはポルシェも既に持っていたっけな」
「うん。サッカーだけじゃ、なんだか人生に彩りがないじゃん。ちょっと自己投資してみたんだ」
 TAKEはアンプにプラグを刺しこみ、弦にピックをぶつけるようにしてリズムを刻みだした。
 ふむ。悪くない。むしろ良いセンスといえる。さすがにおれの弟だけのことはある。
「兄さん。おれ、最近はこんなのもやるんだ」
 TAKEは弦をオープンDにチューニングし直し、真鍮製のスライドバーを左手の小指に装着した。スライドバーが十二フレット辺りを滑る。しかし、仔猫が鳴くような音しか聴こえてこない。
「まだまだだな。スライドバーをもっと繊細に弦に触れさせないと」
「兄さん。兄さんはどうしておれにギターの弾き方を教えてくれなかったの?」
「なんでかな。別に意地悪でそうした覚えはないんだが。だって、おまえは子供の頃から倶楽部の合宿所で寝泊りしてたし、Jリーガーになると、何年もしないうちにスペインに行っちまったじゃないか」
「そうだったね。でも、こうしていま兄さんに聴いてもらえるのは、おれ、嬉しいよ」
「なあ。もしかして、おまえ、親のつくった借金を肩代わりしたんじゃないのか」
「うん、したよ」
「やっぱりそうか。大変だったな」
「そうでもないよ。蓄えは半分に減ったけど、母さんが安心して墓の下で眠れるなら、その方がいいよ」
 本当に良くできた弟だ。それにしてもこんな男がおれの弟だなんて、だから夢ってやつはありがたい。

 明日は、エンゼルスの大谷あたりにでも出てきてもらおう。
 おれはTAKEのギターをミニチュアにしたようなハルシオン3錠をビールで流しこみ、おれの人生を司る青い翼を持つ天狗に祈りを捧げてから、ベッドにもぐりこんだ。

#約1700文字掌編小説 #アスリートが夢に出てきました  


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