日航機墜落事故の記事

 ASIOS著『増補版 陰謀論はどこまで真実か』を批判する。今回は日航機墜落事故の記事について。
 この記事、前著の記事があまりにも酷かった。僕はかつて、それについての批判をASIOSの公式ブログのコメント欄に書き込んだ。今回はそれを紹介する。『増補版』にはその返答がある。記事を読む際、比較して読んでも面白いだろう。

ブログへの書き込み

 以下はリンクにある書き込みのコピペです。詳細の検討は後日やります。

https://asios.org/revision3

① >垂直尾翼の大部分は回収されている(P87)

 これは間違い。少し前に「海底で発見」のニュースがありましたね。mixiで指摘すると、この致命的な間違いに対し
「機会あれば、そのことがより明確にわかるような形に直すとしましょう」
と言っていましたが、この正誤表でも直されていませんね。

>また、垂直尾翼に近い後部の圧力隔壁の破片はすべて墜落現場で回収されており、そこには内部からの力で変形した跡こそあれ、ミサイルのような外部からの衝撃をうかがわせる痕跡はなかった。(P87)

 圧力隔壁の破損説は調査委員会の説、ミサイルによる誤射説はそれを否定するもの。何を言っているのか。

>むろん調査委員会の報告でも解明されていない点は多く、異説を唱える余地はある。しかし、今のところ、回収された機体やフライトレコーダーに残された飛行記録・交信記録が示す状況を最もよく説明できるのが事故調査委員会の仮説であることは否定できない。

 冗談じゃないですよ。
 事故調査委員会の仮説は後部圧力隔壁破損説。しかし、圧力隔壁が破壊されれば必然的に急減圧が発生し、人や物が外部へ吸いだされるような大惨事が発生します。それにより垂直尾翼が破壊された、ということになっているわけですから。が生存者の証言・写真・フライトレコーダー記録などから、急減圧が起きなかったのは誰の目にも明らかです。

>123便は当初、養生で異常が置き、さらに内陸部を迷走したため、墜落地点の特定は困難を極めた。自衛隊をはじめとする各期間が機体捜索や救助開始のために手間取ったのはそのためである。

 あり得ませんよ。
 墜落が8月12日の18時56分。墜落場所が特定されたのが翌4時55分。実に10時間。さらに生存者が救出されたのが16時間後ですよ…。
 5キロ離れたところに村があり、墜落の目撃者もたくさんいるんですよ。また、「アントヌッチは証言」はTVニュースでも放送されて有名です(10年後の退役後に証言、彼の操縦する米軍機が直後に墜落地点に到達し、別のヘリをそこまで誘導し、救助隊員を下ろそうとしたところで、日本側の意向により帰還命令が出た)。ついでに、朝日新聞のヘリも上空に到達していますよ。

 ミサイルによる撃墜ではないと言う。では何が墜落の原因なのですか? 書かれていないじゃないですか。
 そもそも事故調査委員会報告書が参考文献に挙げられていないし…

 ぜひ先に上で紹介した二冊の本を読んで頂きたい。


② 一ヶ月待ちましたがレスがありませんね。この間に、記事の参考文献として挙げられている本を大方読みました。その上で再度書き込みします。

>垂直尾翼の大部分は回収されている。
>123便の垂直尾翼について海底に沈んだ部分の破片探索が短期で終わったのは事実だが、実はその大部分は自衛隊の洋上調査と墜落現場での捜索とで回収されている。(P87)

 これは嘘です。
 ご存知のようにこの事故の発端は、相模湾上空で垂直尾翼が破損・脱落したことです。それゆえ、垂直尾翼の回収状況については多数の本で言及され、また図を使って分かりやすく示されています。間違えるはずのないことです。

>また、垂直尾翼に近い後部の圧力隔壁の破片はすべて墜落現場で回収されており、そこには内部からの力で変形した跡こそあれ、ミサイルのような外部からの衝撃をうかがわせる痕跡はなかった。

 事故調の「後部圧力隔壁破壊破壊説」も「自衛隊演習用ミサイル誤射説」も、共に垂直尾翼の破壊を説明するもの。この最も重要な部分が整理されて理解できていないのです。これは「顔を洗って出直して来い」という代物ですよ。

>むろん調査委員会の報告でも解明されていない点は多く、異説を唱える余地はある。しかし、今のところ、回収された機体やフライトレコーダーに残された飛行記録・交信記録が示す状況を最もよく説明できるのが事故調査委員会の仮説であることは否定できない。

「急減圧はなかった」については長くなるので、以下を参考にして下さい。これは日乗連(日本乗員組合連絡会議)が公式サイトに載せているもの。一例を挙げれば、事故調の想定する急減圧が発生すれば、機内の気温はマイナス40度まで下がるそうです。

「日本航空123便 事故調査報告書の問題点」
http://www.alpajapan.org/cp-bin/wordpress/wp-content/uploads/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF-%E4%BA%8B%E6%95%85%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%82%B9.pdf
 
 日乗連がこういった文書を発表するくらいですから、事故調の仮説を肯定的に扱った見解は少なく、参考文献では加藤寛一郎『壊れた尾翼』くらい。しかしこれも
「急減圧はあった。ゆるやかな急減圧があったのだと思う」
とか書いてある怪しげなものです。


③ >123便は当初、洋上で異常が起き、さらに内陸部を迷走したため、墜落地点の特定は困難を極めた。自衛隊をはじめとする各機関が機体捜索や救助開始のために手間取ったのはそのためである。

 これはとんでもない大嘘ですよ。
 まず、123便は緊急信号を発信し、各地のレーダーでモニターされていました。参考文献『御巣鷹の謎を追う』から引用します。

「123便の航路は各地のレーダーで補足されていた。埼玉県所沢市にある運輸省の東京航空交通管制部(ACC)、米空軍横田基地の横田空域管制レーダー、同海軍厚木基地レーダー、空自峯岡山レーダー等がある」(P65)

 同書によれば、墜落現場の3.8Km手前でレーダーから消失、5分後に自衛隊機が発進、その20分後に現場上空へ到達しています。民間のヘリ(朝日・読売)も火災を目印に容易に現場上空へ到達し、二度飛んだ朝日の記者はこう言っています。

「われわれの現場位置確認が絶対正しいな。自衛隊はどうしたんだろう」
           ────参考文献の『日航ジャンボ機墜落』(P83)

 なぜ救助が遅れたか。これにはいくつか理由がありますが、最大の理由は、米軍や自衛隊ヘリが何度も正確な位置データを報告したにもかかわらず、防衛庁上層部が4度にわたり、見当違いの場所を発表し続けたからです。

 このあたりも基本的な知識のはずです。「迷走」が原因とする『検証 陰謀論はどこまで真実か』の記述は、どう考えても故意の嘘です。


④ 原田さんが「後知恵にすぎない」とする救助の遅れの疑問について、少し説明します。

 アントヌッチ証言はこれです。米軍は123便の墜落直後の救助が可能でした。日本側がそれを断ったのです。
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/acea0c09dd04784b61172500fc4edc23

 防衛庁は墜落の翌朝になってからも、見当違いの場所を発表し続けました。朝になり、明るくなり、TVのヘリからの映像を観た地元の消防団が「あれはスゲノ沢だ」と救助に向かった後にすらです。

 さらに、これは当日の実際の映像ですが、自衛隊の救助ヘリが現場に到着したのは8時49分ですよ。遅すぎるでしょう。
https://youtu.be/a43jshIUH28?t=2744

 垂直尾翼の記述の問題についても補足します。以下は、垂直尾翼の回収割合の部分に続く一文です。

>それにより垂直尾翼はミサイル攻撃などで一気に吹き飛んだわけではなく、まず一部が相模湾上空でちぎれ、残りは機体についたまま墜落現場まで運ばれたことが判明している。(P87)

 実際には、相模湾上空で約80%が脱落しています。これを「一部がちぎれた」と言いますか。80%が一気に吹き飛んだと表現して何の問題がありますか。
http://f.hatena.ne.jp/Takaon/20080819111536
 また、どうも通常のミサイルで攻撃したかのように書かれていますが、池田昌昭氏も「爆薬非搭載のミサイル」だと言っています。

 この123便墜落事故の記事、ページの多くを占める「生存者のダブルカウントによる誤報」や「中性子爆弾説」などは、米軍または自衛隊による誤射説・撃墜説を考える際の本質的な問題ではありません。残るは「巣直尾翼の回収」「救助の遅れ」「後部圧力隔壁破壊説」ですが、これらはこれまでに指摘したようにボロボロです。

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