箱の世界〜愛が導いた奇跡〜⑩

9th world  生きててさえいてくれれば


香澄side

  3日前の日曜日、俺が帰ってから数時間後の夜。瑚々の病状が悪化したと電話で瑚々のお母さんから連絡を受けた。

「急に血圧がおかしいくらい下がって呼吸が止まりかけた。」

その一言で俺の心臓が異常なくらいの速さで鳴り始め頭がおかしくなったような気がした。

「さっきまで、楽しそうに今日のこと話してたのに......。今は意識がなくて血圧もさっきよりは上がってきたけどまだ安全な状態ではない。」

電話の向こうで瑚々のお母さんが泣きながら教えてくれた。

今日は水曜日だけど、瑚々のことが心配で昨日も一昨日もほとんど集中できなかったから部活を休んで病院にいくことを決めた。

「宮槻っ!」

後ろから、女っぽいが苗字で呼ぶ声がして声の主ははっきりと分かるが一応振り返った。

『どしたの。佐藤』

声をかけてきたのは瑚々が一番信頼を寄せている佐藤 華鈴。

「今日ね、瑚々のお見舞い行ってくるの。伝えといたほうがいいこととかある?」

おそらく、佐藤の家には連絡がいってないのだろうと佐藤の言動から分かった。

こういう場合、言ったほうがいいよな。変に勘違いさせて混乱させるほうが危ない。

『今日。俺も行くんだ。』

「えっ?だって、宮槻は部活あるじゃん。」

『休む。』

「そんなことして大丈夫なの?宮槻レギュラーなんじゃ......。......まさか瑚々に何かあったの?」

直後に、ありえない。ごめんね、こんなこと聞いて。と言っている佐藤の手は若干震えていて......。

『瑚々の病状が悪化したらしい。今は、意識があるかわからない。』

悪化。という言葉を聞いた途端、佐藤の顔が一瞬引きつったように見えたが、すぐに

「そんな、瑚々に限って......。宮槻、残念ながらエイプリルフールはもう終わったよ?」と現実を受け入れたくない佐藤の言葉。

でも、体は理解しようとしているらしい。足が小鹿のように震えている。

『本当だ。佐藤、これは現実で、瑚々は3日前の日曜日に悪化した。と聞いているんだ』

「そんな......。だって私のところにはそんなこと......。」

聞いていないとでも言いたいのだろうが、上手く言葉が出てきていない。

『そのはずだ。あの時の瑚々のお母さん、そうとう焦ってたからそんな余裕なかったんだろう。連絡が行き渡らないのも当然だと思う。』

あくまで推測だが、当たっているはず。

「じゃあ、宮槻はなにしに行くの?」

何しに?こいつ、ふざけてるのか......?

『瑚々の意識が戻っているかもしれないし、戻っていなかったとしても傍にいたいんだよ』

若干、怒りが混ざってしまった口調で言ってしまったが佐藤には響いたみたいで。

「私も行く。瑚々に会いたい」

『その返事が聞けてよかった。』

心底ホッとした。これで行かないとか言ってたらブチ切れてたかも......。

今日は母親が休みで家にいるはずだから帰ったら佐藤を乗せて行こう。出来るだけ早く。


コンコン。

どうぞ。と聞こえた声は瑚々のものではなかった。

部屋に入ると瑚々のお母さんにビックリされた。

きっと日曜日でもないのに俺がきたからだろう。とすぐ理解したけど。

ホッとしたのもつかの間で......。

部屋の中には、見たこともない機械がいくつも並んでいてそれは全て瑚々のベットにつながり、この音はなんだろうか。一定のリズムでピコンピコンとなるこの音、音の方に目を向けるとドラマなどでよく見る心拍の音なのだと理解した。

そして、瑚々も起きてはいなかった。

瑚々の名前を呼んで駆け寄った佐藤もベットの前で絶句していて。

瑚々の顔みたら泣いてしまいそうだったけど、見なかったら後悔する気が頭のどこかでして、見ることを決意した。

っつ......。

目の前にいる瑚々は、3日前一緒にいた元気な瑚々ではなくて、腕はさらに痩せて顔色もいいとは言えなくて、呼吸もしているのに血液が流れているのか。と疑ってしまうくらい顔や腕が、見えている肌全部が雪のように白かった。

雪のように白いなんて、美白のように聞こえるかもだが、決して健康的な色ではない。

腕の所々には血管が浮き出すほどのところもある。

「ごめんね。せっかく会いにきてくれたのに」

固まっていた俺達に後ろから声をかけた瑚々のお母さんの声は泣いている時の声としか受け取れなかった。

『瑚々、目、覚ましてないんですか......?』

自分でも驚くくらい声が上手くでなくて聞こえるくらいのボリュームで話すので精一杯だった。

瑚々のお母さんも、頷くことしか今はできないくらい震えていた。

「今、脳の中でパニックみたいなのが起きているらしくて......意識が戻ったとしても、後遺症が残る可能性が......あ、る......って......」

震える声で説明してくれた瑚々のお母さんは喋るうちに涙が零れていて佐藤が駆け寄り、近くの椅子に座らせた。

後遺症......?

そんな、たった3日前まで俺と話していた瑚々が......?

急変でさえ、ありえないと思ったのに......何。今度は後遺症?

全く、バカげてる。

バカげてる。そう思っているのに、顔をいくつもの水の筋が通り、そのまま落ちていく。

俺......泣いてるのか......?

もう一度、瑚々を見ても、真っ白で落ち着いた呼吸をしないで人工呼吸器をつけていて体に何本もの管らしきものがついている瑚々の姿は、数日前まで元気だった瑚々とは違う痛々しい姿しか目に映らなかった。

一瞬でも、瑚々がいないこれからを想像してしまって息が止まりそうになった。

病室で俺が泣くことは許されない。

泣いてしまったら、瑚々が目の前で痛々しく苦しんでいることを他人事として捉えてしまいそうだったから。

俺は、瑚々の彼氏だ。瑚々のことがこの世界で誰よりも一番大好きだ。

瑚々と出逢わせてくれた神様にずっと感謝してたけど、今は違う。

瑚々をこんなめにした神様が憎たらしくて仕方ない。

こんなことになるかもしれないとは瑚々から聞いていたから状況を飲み込めるんだろうと思っていたけど、そんなはずなかった。

どんなに覚悟してても、好きな人が苦しんでいる姿を目の前でみて、......何も自分に出来なくて、今すぐ起こしたいのに、その願いが簡単には叶わなくて。

どうしようもないくらい、今、瑚々の声が聞きたいのに。

瑚々って呼びかけたら起きてくれそうなのに......。


帰りの車内で、佐藤は病室で泣けない分の涙をずっと流していた。

俺も、瑚々に何もしてあげられない自分が醜くて、ただひたすら太ももの上で手を握り締めていた。

俺は、瑚々になにがしてあげられる......?

瑚々は俺といて幸せなのか......?

瑚々の後遺症......ってなんなんだ......?

その日の夜は眠れるはずがなくベットに寝っ転がって暗闇のなか、ずっとそんなことを考えていた。

次の日、俺は学校に行ったが佐藤は体調不良で休みだった。

昨日の瑚々を思い出すと、何もかもやる気が失われていくようであっという間に1日が過ぎていく。

瑚々、今日は起きてくれた?

そう思い、ただ瑚々の名前を呼ぶだけのメッセージを送る。

「どうしたの?」って返事が来てくれますように......。

その日、瑚々からメッセージの返信がくることはなく、不安でいっぱいの一日に幕を下ろした。

次の日の朝になっても、既読はつかず「おはよう」と送って学校へ向かった。

週の最後の日なのに、休みが楽しみではない。瑚々に会える日曜日が近づいているのに。

自分が不思議で仕方なかった。

瑚々に会いに行くことが1週間の俺のモチベーションのはずなのに。

瑚々は起きてる。いつもより少し苦しくて返事を返せないだけで起きてる。

そう祈ることしかできない毎日がそろそろ限界に近かった。

日曜日。

俺は、いつも通り瑚々の病室に向かった。

「香澄くん、来てくれてありがとう。」

そう言って出迎えてくれた瑚々のお母さんは帰ってないのか、睡眠をとってないのか、どちらかは分からなかったけど、かなりやつれているように見えた。

「ん......。」

突然、瑚々の声が聞こえて駆け寄った......けど、意識が戻ったわけではなくて、ただ、何か苦しんでいるような。そんな様子だった。

瑚々のお母さんは、最近こういうことがあるんだ。という。

担当医の先生も、 こんなに意識が戻らないとなると最悪の事態も考えておいたほうがいい。と回診にきたときに言ったと教えてくれた。

瑚々はまだ生きてるのに、心臓が動いて、呼吸をして、起きてはないけど声も出てる。のに最悪の事態を考える?頭がついていかない。

その日、俺は瑚々の担当医の先生に時間をとってもらい話すことをお願いした。

『こんにちは。彼氏さん。話したいって聞いてたんだけど......』

時間をつくってくれた担当医の先生は、なんでも答えられるかは分からないけど聞くよ。と言ってくれた。

『瑚々のお母さんから色々聞いてて、その......後遺症って何があるんですか。』

最悪の事態のことも聞きたかったけど、聞いてしまったら、もう瑚々が目を覚まさないみたいなことになるから辛さが勝って聞くのをやめた。

『後遺症っていっても、先天性。つまり生まれつき病気をもって生まれてきてしまった子と後天性。成長してから病気になっちゃった子でかなり病気の進行スピードやその症状、悪化する条件というか理由が違うんだ。
先天性でこの病気にかかっている患者さんを見たことは僕もなくて外国の症例。つまり珍しい病気の報告書みたいなのを見比べることしかしてないから
後天性の患者さん。瑚々ちゃんがこんなに長く意識が戻らない理由、後遺症が残る可能性しかはっきりはしてない。』

後天性感覚神経失感症 瑚々は今、一生懸命それと戦ってる。

『意識が戻らない理由は分かってるんですよね?それは何なんですか。』

『日頃からのストレス、疲労、酸欠になることが多かったみたいで、瑚々ちゃんが急変したあの日、発熱してて39.8度を示していたんだ。』

瑚々が俺に病気のことを教えてくれた日、瑚々は言ってた。発熱したときに発作を起こすと呼吸困難になる。と。

『あの、瑚々にとって、その......キスとかそういうのも酸欠になることってあるんですか?』

『ないとはいえないけど......、彼氏さん。いや、宮槻くん、君が苦しい思いしながら自分のせいだと悩んでも瑚々ちゃんは喜ばないよ。』

俺のせいだ。と思い始めたときに、瑚々は喜ばないときいてマイナスになるのをやめた。

『瑚々ちゃん、言ってたよ。君が会いにきてくれる日曜日に元気で迎えられるように治療を頑張る。って。彼氏が出来たって教えてくれたとき、今までで一番元気そうで、すごく、嬉しそうな顔して君のことを教えてくれた。
カッコよくて、いつも助けてくれて、優しくて、自分のことを一番分かってくれてて、なにより、笑ったときの顔がとてつもなく可愛いんだ。こっちまで笑顔になれるんだ。って』

瑚々はそんなふうに俺のことみてたのか......。

目からは涙が止まらなくて目の前が見えなくなるくらいだった。

珍しくて、治るか分からない。もしかしたら死ぬまで一緒の病気かもしれない。

瑚々が学校で倒れた日に泣きながら教えてくれた。

もう、俺が好きだった瑚々じゃないとも言われた。

そんな瑚々に腹が立ったんじゃない。あのときはそんな瑚々が可愛すぎてキスをした。

お互いに初めての。

『希望を持ち続けよう。宮槻くん。起きないわけじゃない。起きるんだ。瑚々ちゃんは目を覚ます。宮槻くんが信じないと何も始まらないんだよ。』

俺が、瑚々を信じる。希望を持つ。

今の俺には出来ることがないと思ってたけど、あったんだ。できること。

信じて希望をもってその場で立ち止まらない。前に足を踏み出して、目の前の道を進み続ける。

『はい。』

泣いてた俺の気持ちは悔しいでも、辛いでもなくて、頑張ろうだった。

瑚々のこと大好きだから。愛してるから。

1週間後の日曜日、瑚々に変化があったって聞いて病院に走った。

目を覚ましているかも、意識だけでも戻ってて欲しい。

コンコン。

部屋に入ると、瑚々は起きてこそいなかったけど瑚々のお母さんも俺と同じことを先生に聞いたらしい。

駆け寄って、手を握るとしっかりとしたぬくもりがあった。

顔色も、ちゃんと血液が全身を流れている。正常な人の顔色だった。

その時、

「ん......。」

目の前の瑚々が声を出した。

そして、ゆっくりと目を開けた。2週間ぶりにみる瑚々の目を開けている顔。

『瑚々っ!』

衝動的に名前を呼びながら顔を覗いた。

瑚々のお母さんもその様子をみて近くにきて瑚々の様子をみていた。

「お母さん......と、」

瑚々はお母さんと口にした。瑚々が目を覚ました。

『瑚々!良かった......。本当に良かった。』

もう、今はただただそう言うことしか出来ないくらい嬉しくて、俺はその場に崩れるように瑚々の手を握りながらしゃがみこんだ。

でも......。

「......あの、あなた......誰ですか?」

瑚々が俺に向けたものは、毎日、好き。と言い合っていた瑚々ではなくて、初対面の人に向ける他人行儀な目、言葉、雰囲気。

『瑚々?』

名前を呼んでも、「なぁに?」と笑顔で返事をしてくれる瑚々ではない。

明らかに、瑚々の目に映っているのは知らない人と認識された俺の姿......。

「瑚々、どうしたの?」

その様子を見ていた瑚々のお母さんが発した言葉への返事で事態が、瑚々の不思議な言動と一致した。

「どうしたのって。お母さんは、この子のこと知ってるの?なんでこの子は私の名前を知ってるの?」

瑚々がこの子と言っているのは紛れもなく俺だった。......まさか......そんな。

驚いているのは、俺だけではなかった。瑚々のお母さんも絶句してて病室には沈黙が続いた。

沈黙を破ったのは、瑚々のお母さんの発言。

「瑚々、まず、先生の診察をうけましょ。目が覚めてホントに良かったわ。飲み物も飲んで......ね。」

しばらくして担当の先生が焦った様子で瑚々の病室に来た。

あの場にいるのが怖くなった俺は廊下に出ていた。

瑚々の部屋の扉が開いたのは診察が始まってから20分後くらいだった。

瑚々のお母さんが担当の先生と出てきて、説明をうけるそうだった。

瑚々のお母さんに「香澄くんも。来て。」と呼ばれたので、後をついていった。

『瑚々ちゃんの意識が戻り、体のほうも回復にむかっています。ですが、
海外からの論文や資料に書いてあったとおり、瑚々ちゃんには後遺症となる部分的な記憶障害がみられます。』

記憶障害......。テレビのドラマでしか聞いたことのない単語だった。

『宮槻くん』

『はい。』

『今、瑚々ちゃんは、おそらく君の学校に転校したところまでは覚えているが、君と付き合っていたことは忘れている。』

あり得なかった。信じたくなかった。

転校したことを覚えていても、付き合っていたことは忘れている。ということは、

俺のことをただのクラスメイトとして認識してるということを意味していた。

『もちろん。僕のことも、瑚々ちゃんは誰?と言っていたが僕は思い出してもらわなくても医者だから何度か経験したことはある。』

その後も、症状のことを淡々と説明していく先生の言葉は俺の耳には入らないくらい頭がいっぱいだたった。

転校した後の記憶がないのだから、担当の先生のことまで忘れていた。

頭が真っ白になった。瑚々が俺と付き合っていたことを忘れるなんて......。

大好きと言い合っていた輝かしい日々に亀裂が入った。

『辛いかもしれないけど、前に言ったとおり、希望をもって待つしかないと思う。部分的に忘れているから、全て忘れた記憶障害より思い出すスピードは速いんだ。』

希望を持たなきゃいけないのは分かってる......。けど、

今は、忘れられたことのほうがショックで言葉がでてこなかった。

部屋に戻った後も、瑚々は思い出してくれなくて、さっき瑚々のお母さんと決めた最終手段に踏み切った。

『瑚々ちゃん、さっきは驚かしてごめんね。俺は、君のクラスメイトの宮槻香澄です。
ちなみに隣の席。瑚々ちゃんに学校のプリントとかを渡しに来てたんだ。』

思い出すきっかけをふんだんに詰め込んだ自己紹介をする。

ちゃんを取って呼んだら、親しい関係の人と認識するかもしれないから、新川くんと出会う前と同じように"瑚々ちゃん"と呼んだ。

もう、名前を呼んだだけで、付き合っていたことを思い出せないのなら、もう一度最初から。

名づけて、「ただのクラスメイト作戦」

そんな自己紹介をしても瑚々は疑うような視線をやめてはくれない。

すごく心が痛かった。でも、思い出してもらうために頑張ることを決めた。

何秒か沈黙が続いた。

最後に、瑚々が好きだといってくれた笑顔をみて、やっと瑚々は安心したようで、

「よろしく。宮槻くん。」とハニかんだ笑顔で言った。

そのハニかんだ笑顔を俺がなによりも可愛くて愛しく思っていたことさえも忘れてしまったなんて、信じられなかった。

『よろしく。瑚々ちゃん。』

可愛すぎて今にでも、抱きしめたい衝動を抑えて、『じゃあ、俺はこれで。』と言って病室を出た。

泣いても、瑚々は喜ばない。ただそれだけを考えて家に帰った。

瑚々のことが好きだという自覚を忘れないように。

瑚々が俺と付き合っていたことを忘れてしまってから、早1週間。

今もなお、記憶障害がいい方向に進む様子は見られない。

少しでも、一緒にいてあげたい。たとえ忘れられていても俺は君に「どんな君でも好き」と言ったことを忘れはしない。

たとえ、君が今好きでいなくても、必ず好きにさせて見せるから。

                                  香澄sideFin


                                                                           次回に続く