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茅場町の水路(ほぼひとりごと(2021年8月28日(土)))

(写真は、だいぶ前、冬から春になるころの茅場町の水路。永代通りにかかる橋から撮りました)

#水路 #茅場町 #永代通り


江戸時代に水運のために作られた水路を埋め立てたり、水路の上を使って、1964年のオリンピックに間に合わせるよう、首都高が作られました。東京の中心部を中心にあちこちで見られる風景です。


日本橋の上を通る高架道路は、あと10年くらいで撤去され、地下道路に生まれ変わる計画です。最初、この話を聞いた時、無理だと思いましたが、50年くらい経った社会インフラは更改する時期だったようです。


首都高下の日本橋にある乗り場から、下町お花見クルーズに乗ったことがあります。水路から隅田川に入ると、大河に出たような感じになり、クルーズの小舟が揺れ、大丈夫かなと思ったくらいでした。


永代通りを、日本橋から東に向かって歩くと、茅場町交差点の先で、水路を渡ります。両側の建物、左手前は新しそうですが、歴史を感じさせる倉庫風の建物など、経済の中心地だった風景です。


隅田川のような大きな川と違って、街に張り巡らせるようになっている水路を見るとホッとした気持ちになります。50年くらいから寿命を迎える近代建築よりも、長い寿命と存在感を示しているようです。


碁盤の目になった道や広場が今でも実用的な奈良や京都、水路も加わった大阪や江戸。数百年前の都市計画が今でも現役として活用されているのは大したものだと、先人の偉業を尊敬します。


永代通りを散歩すると、日本橋の交差点、茅場町の交差点を越え、永代橋に向かって、風景が変わって行くことになります。水路を渡る橋の際には、古めかしい飲食店など、魅力的なお店も残っていました。

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