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広聴のはなし【自分(の仕事)史㊳(www.akihiko.com)サイドストーリー 】(ほぼひとりごと(2020年9月14日(月)))

(写真は、新宿駅で見つけた公衆電話。昔と同じように何台も並んでいました)

#オレンジセンター #広聴活動 #公衆電話


2011年3月11日金曜日、東日本大震災の当日は広島に出張中でした。14時46分の直後、会社と自宅から、携帯に電話がありましたが、お客様訪問中だったので出られず、留守電が入っていました。


会社にはつながりましたが、自宅にはつながりませんでした。帰京するため、広島空港で待機しましたが、結局、その日は、広島にもう一泊し、翌朝飛んだ朝一番の便で羽田空港に向かいました。


広島空港で待っている間、携帯電話がつながりませんでした。こんな時に、何度も何度もかけようとしてはいけないと教えられていましたが、公衆電話に気づいたのは、だいぶ時間が経ってからでした。


あとで聞くと、東京では公衆電話に長蛇の列だったようですが、外が暗くなってきた時間の広島空港の公衆電話には誰も並んでいませんでした。テレホンカードを買って、自宅にかけることが出来ました。


携帯電話のない時代、外出した時は、公衆電話を使うしかありませんでした。それだけでなく、公衆電話は、自宅の電話より、災害時でもつながりやすくなっています。すっかり忘れていました。


以前は、至る所に、写真のように、並んでいる公衆電話がありました。いろいろな付加サービスもありますが、一番の使命は、つながることだと思います。広聴活動の原点になるような話だと思います。


あらかじめ決められた避難所には、公衆電話と同じようにつながりやすい電話や携帯電話、Wifi設備を準備しています。社会インフラ企業としての公共的なミッションを引き続き、大切にしてほしいと思います。

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