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日比谷シティ(ほぼひとりごと(2月1日(土))

(写真は、日比谷シティ地下階にあった案内板です)

#富国生命ビル #日比谷国際ビル #プレスセンタービル


社会人になってからの20年間のうち11年、内幸町、霞が関エリアのオフィスで勤務していました。最初のころは、高層ビルは霞が関ビルだけ。日比谷公園もあったので、空が広かった記憶があります。


1980年代初頭になって、富国生命ビルと日比谷国際ビルという高層ビル2棟が出来、何年か前に竣工していたプレスセンタービルとあわせ、日比谷シティというネーミングの地下商店街がオープンしました。


日比谷シティは、都営地下鉄三田線の内幸町駅と地下で直結し、一応、当時では珍しかったバリアフリーになっていました。その先はビルの地下同士がつながって、ひとつの商店街になっています。


今でも、同じフォーメーションで営業しています。日比谷通りの帝国ホテル側にあった高層ビル、やまと生命ビルも同じころまでに出来たと思いますが、こちらは会社がなくなり、ビル名も変わりました。


勤めていたビルも、忘れられませんが、近所に出来た日比谷シティにも良く通いました。お店もだいぶ入れ替わってはいますが、何軒かは、懐かしい昔の名前で営業を続けています。


今は、この先、数年前に、愛宕通り沿いの土地で改築した飯野ビルの地下まで通路が続いています。ワンブロック、雨に濡れずに移動できるようになり、回遊できるお店も増えています。


日比谷シティが出来てから40年近く経過しました。古さを感じるところもありますが、まだまだ現役。昔と同じように、地下で営業している万世麺店で名物パーコー麺を食べたくなりました。

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