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赤坂見附交差点(ほぼひとりごと(2021年2月13日(土)))

(写真は、外堀通りから撮った赤坂見附交差点。たまたま、クルマがほとんど見えません)

#赤坂見附 #立体交差 #五差路


1964年、東京オリンピックが開催されたころ、国道246号線(青山通り)が外堀通りの上を立体交差で通るようになりました。お堀に沿って首都高速4号線が出来て、景色が大幅に変わることになりました。


同時にオープンしたと思っていた赤坂東急ホテル(今は、赤坂エクセルホテル東急)が開業して白とピンクのボーダー塗装の軍艦パジャマと呼ばれるようになったのは、その5年後、1969年だったようです。


世田谷通りに近いところに住んでいたので、都心に行く時は、小田急線の経堂と東京駅丸の内南口とを結ぶバスに乗りました。そのころには、何路線かあった、東急バスと都営バスの相互乗り入れ路線でした。


赤坂見附付近で覚えているのは、火事を起こしたホテルニュージャパン、米軍の山王ホテル、外車ディーラーや、キャバレーミカドなどです。東京駅から世田谷の東京見物、戦後の変化を定点観測することができました。


赤坂見附交差点で外堀通りを走る都電が四ツ谷方面と青山方面に分岐していましたが、立体交差が出来て、今とほとんど変わらないような景色になった時、青山通り方面の路線が廃止されたと記憶しています。


免許を取って、クルマで走るようになった時、赤坂見附の五差路、直進、右折、左折、何度も経験しましたが、毎回必ず、少し緊張し、無事、通過するとホッとしました。エキサイティングな交差点です。


そんな忙しい赤坂見附交差点。たまたま、ほとんどクルマと人が見えない瞬間に遭遇しました。弁慶橋から、外堀通り、青山通りの側道を越えて赤坂見附駅。一回の青信号では渡れません。

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