見出し画像

母親との関係

私は、自分の母親が好きではない。ずーっとずっと私の中にある気持ち。あまりに嫌いすぎて、ストレスになって、産後、職場に復帰する前にカウンセリングを受けに行ったこともある。でも、私の中で、なぜ、彼女が嫌いなのかは、まだ、ちゃんと理解しきれていない。

なので、ここに書き出すことで、気持ちをすっきりさせようと思う。

私自身が母親となったとき、悪阻がつらすぎて、母もこんな思いをして私を産んでくれたのかと思った時は、感謝の気持ちが自然にわいてきた。実際に感謝の気持ちを伝えた。

その一瞬だけだった。母に心から感謝したいと思ったことは。

今、世の中で言われている、毒親だったのか?というと、それはどうなのか分からない。私の母は、22歳という若さで私を授かり、その3年後にはもう一人の子供(弟)を授かり、ワンオペ育児の中だった。でも、私は、自己肯定感が高く、親に愛情を注いでもらって育ててもらったと思っている。

なのに、母親を好きになれないのだ。

弟と自分への愛情の差などは、もちろん感じたことはあったけど、逆に弟は姉である私ばかりずるいと思っていたようだし、どちらかに偏重した愛情を注いでいたわけではなかったと思う。

大学生くらいの頃から、自分で、自分の生き方を考えていく中で、この人の生き方、憧れないなって思ったのが、原因なのかもしれない。

いくつかの彼女の選択や発言が、少しずつ少しずつ積もっていって、そう思わせたのかもしれない。

①母親が、長男の嫁というイメージに縛れた故の選択

私と弟が小学生の頃、義母(私の祖母)の体調が悪くなり、長男の嫁という概念に縛られた母は、病院に泊まり込み、私の祖母であり、夫の母であり、自分にとっての義母の面倒に全力を注いだ。彼女の子供である私と弟は、彼女のその行動のために、転校を余儀なくされ、彼女の実家に住み、祖母が亡くなるまでの三か月ほどの間、母親も父親も不在の生活をさせられた。(私たちが住んでいる家と祖母が住んでいる家は、むちゃくちゃ遠かった。都会と田舎くらい遠かった)

私には、自分の家族を犠牲にして、こういう選択をする母親の思考回路がまったく理解できなかった。なぜなら、父の弟家族は祖母の近くに住んでいるのだ。

今でも、「長男の嫁」という誰がつくったか分からないイメージに縛られた自分にとって何が大切だったのか?優先順位をつけて考えることをしなかった母の行動は、理解できていない。(まぁ、それをさせた父親もだが)

そういう生き方を自分はしたくないと強く思ったことを覚えている。

②子供の出来=母親の教育次第というイメージに縛れた発言

母は、学校の偏差値という意味ではあまり頭がよくなかった。私の父親は学校の偏差値という意味では頭がよかった。私の父の母(祖母)は、意地悪な人だった。だから、彼女は、義母に意地悪なことを言われないために、私たちに無茶苦茶勉強させた。頭が悪いのは彼女のせいだって義母に言われないために。

私がいくつの時だったか、忘れたが、母は私にそう言っていた。「おばあちゃんに、あなた達が勉強できないと私のせいだって言われちゃうから、本当に勉強してもらいたかった」と。←このことを、子供である私に言っちゃう頭の弱さが私は好きではない。そういうことを言われた子供が、どう思うのか?ということを考えられないところが、自分の母親としてのがっかりポイントなのだ。

私の母親は、子供のためではなく、自分がどう思われるかをとても重要視しすぎる。そして、子供がどういう気持ちになるかの想像力が働かない。

とはいえ、彼女のその自己保身のおかげで、私は、第一志望には合格した。高校も大学も。もちろん、その後の人生でもそれほど生活に苦労するような生き方は送っていない。(有名には、なっていないけど)

でも、どこかで、彼女の気持ちを満足させるために、勉強をしてきてしまったのか?という大人になれない私の気持ちが叫びだすことがあった。大学生くらいの頃かな。

③親を演じきれない側面がある

彼女は、夫(私の父親)の浮気に悩んでいた時期があった。(それを子供である私に言っちゃうあたりが、とっても幼稚なわけだが。)

私はその時、高校3年生の受験期で、無茶苦茶勉強していた。そんな受験生の私に、「お父さんが浮気していて、お母さん離婚するかもしれないから、そうなったら大学に行かせてあげることはできなくなる」って言ってきた。

その時の衝撃は今でも忘れられない。そして、「私は、もし離婚することになったら、お父さんについていく。私は、大学に行きたい」と伝えたようなことを覚えている。経済力がないくせに、子供を一緒に連れて行こうとするその思考が本当に理解できなかった。

まぁ、一人きりで生活する勇気がなくて、子供を道ずれにしたかったんだろうな~とは今なら思うけど。

この時、この人は私の幸せが何か?を一番最初に考えてくれる人ではないんだって強く思った。

そして、結果、両親は離婚していない。

この時の彼女は、父親に裏切られてズタボロだったんだと思うが、彼女がやっていることは、父親の悪いところを子供に伝え、子供を自分の味方につけようとした。そのことで、子供がどんな衝撃を受けるかも考えもせずにだ。

そして、自分に嫌なことがあったときに、「離婚」という選択肢を選べず、かつ、子供に負担をしいる可能性のある「専業主婦」という職業を選択する生き方を私はしないと思ったのも、これがきっかけだった。

**********************************************************************************

他にもいろいろある。嫌なことを言われたこと。多分、キリがない。

根拠のない「三つ子の魂、100」までって言葉があるけど、正直、多分3歳くらいまでは、母親から嫌なことなんてされていないだと思う。

いいことも、悪いことも、なんにも覚えていないのが正直なところ。

3歳のよりもっと後の方が、されたいいことよりも、された嫌なこと、全然忘れられなくて覚えている。

そして、今、ここに書き出して気づいたこと。

母親が、自分を利用して生きているということが、嫌なんだということ。

「勉強ができるいい子を育てたの、私。」

「有名な企業に就職できた子を育てたの、私。」

「孫をちゃんと店に来てくれる子を育てたの、私。」

って言いたい人生をおくりたいんだよね。ってことがわかって、なんだかそんな人が自分の親なのか・・・とがっかりしちゃってるってことなんだって。

自分自身が母親になった今、これからだ、と思う。娘の記憶が残るこれからの接し方が大事だと。

娘にとって、がっかりするような母親にだけはなりたくない。嫌いになってほしくないというのではない。母親に失望してしまう、そんな母親から産まれたんだって思ってしまうことは、娘という立場の人間には、とても重く、とてもつらく、とても悩ましいものだからだ。

親だって、もちろん失敗はする。親だって、悩む。親だって人間。親は絶対的な存在なんて、無理だとは思う。でも、自分の人生をきちんと生きていれば、娘の人生を利用して自分の人生を生きるなんてことはしないはずだ。

娘の人生は娘のものであって、親のものではない。

娘が生きたいように、楽しむためのものだ。

どれだけ、ここに、言葉を書き連ねても、母へのがっかりする気持ちは何一つ消えないけど、自分は、そういう母親にならないということを改めて強く思えたってことで、よしとしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?