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「あ!そうか!」という分かり方

前の記事にも書いたのだけれど、今更ながら「佐藤雅彦さんってすごい。。」が再燃して、そしてここしばらく佐藤雅彦さんの本をメルカリでせっせと発掘して手に入れて読んでいる。

この『佐藤雅彦全仕事』は1996年発行の本だし、過去のCMが作られたのは1988年から1994年くらいだから30年近く前なのだけれど、すべてが全く古くない。根元的なことを捉えて表現されているからなんだろう。そのおかげで読んだり聞いたりしていると心が解きほぐされている感じがあって落ち着く。

短編映画作品のKino(1999)も素晴らしかった。そもそもVHSをガシャッといれてウィーンと巻き戻す、ってこと自体がもう懐かし過ぎてグッとくるのだけれど、くすくすっとしてあたたかくなる作品たちは、弱った時に繰り返し見ると思う。

佐藤さんは

”ある難しい概念にいろいろなメディアデザインを施して、みんなが「あ、そうか!」と分かること”

をやられてきている。

”どの表現でもその人が主体的に理解するっていう。単純にわかりやすいとかそういうことではなくて、その人が主体的に解釈するというのを目標に作っていました”
(略)
”受け取る人にとって「あ、これは新しいわかりかただ」「自分はわかってしまうんだけど、新しい」ということがないと、その表現をみとめてもらえない”
 - 平成25年秋の褒賞 佐藤雅彦さんインタビュー動画(文部科学省チャンネル)

「新しいわかり方で主体的にわかる」。これはものすごく気持ちがいい。

それを実体験したのは、最近聞いた「解きたくなる数学」という新しい本の発売前の佐藤さんの特別講義

まさに「あ、そうか!」の連続だった。

文系の自分は数学を面白い!、と思えなくて遠ざけてここまできたけど、こういうわかり方で数学というものに触れていたら、もっと違う姿勢で数学とつきあってこれたんじゃないか、と思え、生まれて初めて「数学の楽しさ、美しさ」の一旦に触れた感覚があった。

もう一つの、「あ、そうか!」体験はこれ。(『毎月新聞』 ケロパキ名作選から)

毎月新聞

佐藤さんは”クラクラする”、という表現をされるけど、まさにそうで。ものすごい「あ!そうか!!」だった。


(a +b)²=a² +2ab+b²

は確かに知っている。でもそれは当時「(a +b)²=a² +2ab+b²なんです」と言われて、暗記しただけで、自分の中で納得して「わかって」はなかった。

長年その状態で生きてきたわけだけど、上の図を見て、ようやく、主体的に「わかった」感覚があった。

(a +b)²の例はほんの一例で、私の人生は、「そうだから」と言われて、それをそのまま「そうなんだ。はい。」と受け入れて、飲み込んできたものがものすごく多かった気がする。つまり、「主体的にわかって」いなかったことがとても多い。

小さい頃、そういう見方に触れさせてくれる人がいて、その視点で世界をみて、ちゃんと「主体的にわかる」ことを探求して年を重ねてきたらすごく豊かになるだろうなぁと思う(多少面倒くさい、とか言われたとしても)。

思えば遠くへ来たもんだ、な年齢になってしまったけれど、「わかった気」にならないで、本当の意味で、主体的にわかる、「あ、そうか!」を、今からでも、掴んでいきたいと今思っている。


(そう思いながらも同時に、「世の中そうやってはっきり答えがわかることばかりでもないんだよなぁ、、」とも思っていたら、それに対しても、『佐藤雅彦全仕事』で言われていた)

世の中は、ちっともカオスばっかりじゃなくて、カオスがある一方で、はっきりわかっていることだって多い。そこを見逃してしまっては、本当にわからないどころか、いつまでたってもわからないじゃないですか。わからないことを大事にしている人は、同時にわかることも大事にしていると思うんです。
(略)
わからないことだって、すごく大事ですから。いやなのはわかっていないのにもったいぶって、曖昧なままにしていること。- 『佐藤雅彦全仕事』


上で引用した平成25年秋の褒賞 佐藤雅彦さんインタビュー動画(文部科学省チャンネル)とても素晴らしいので置いておきます。





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