主語の大きな主張をしたくないなぁ、と思う

何万回と言われている話だし、たいがい誰でも「そらそう」と共感するであろう題材だけど、なんとなく自分のスタンスを書いておこうかなと思った。

ついやっちまう場合もあると思うし、対外的にハッタリ(あるいは覚悟)を突き通さねばならない場面もあると思うので、なにがなんでもアカンとは言わんけども。

ポジショントークとしてそういう過激寄りなことを狙って発言する方もまぁいらっしゃると思う。多分、100% の本心からそう思ってるわけじゃないが、それで注目を集めることが自分にとって利益になるから言う…といったところか。

ただまあ、私の感性からすると、主語の大きな主張って考察として雑だし、耳目を集めようとする意図が透けているし、扇動的だしで、浅慮な印象が最初に来てしまう。そして、少々品が悪く、褒められた行いではないよな、とも映る。

仮にポジショントークとして or ビジネスとして狙って過激なことを言う芸風でやっていたとしても、それを繰り返し言語化して主張していくうちに、中長期ではその行動が自分の中の土台として染み込んでいくものだとも思っている。それは長い目で見て自分の人格形成に対する損失と考えているので、やりたくない。人格形成で被った損失はハードスキルの欠如よりも取り返せない。

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単純明快に、誰でもすぐに理解できるような構図で「問題」をぶった切りできることの方が少ない。非常にコンテキストが限定されたシチュエーションでの話ならいざ知らず、広い「世の中」の話ならなおさら。

私が所属する IT 業界で例えを挙げるとすれば、「SIer にまつわる批判」「JTC (Japanese Traditional Company) への批判」「技術選定」「スキルアップの方向性」「きれいなコード」などなどの話題はこうした雑な言説が流れがち。また、技術者自身も、自分が出したい結論ありきな視点や情報に偏った、安直な意見に流されやすい傾向が出やすい印象があるように思う(もちろん私も同類なところが多々あると思うし、過去何度も同じ過ちをしてきた自覚がある)

安直な言説に流されるのは楽だし、手っ取り早く自分の報酬系を満足させることができる。だが、その引き換えとしてより深い「理解」からは遠ざかるし、自ら思考/試行して成長する機会すら自らの手で奪うことになる。おそらく、それは良くないことだと思う。

「わからないこと」のストレスから手っ取り早く逃れるために、安直な意見に流される、あるいは自分がみたい情報だけ取り込んで安直な考察に流れる、こうしたことは非常によくある話だと思うが、それがよい選択であることは少ないように思う。意識的に抗う理性が大事。こういうのは「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼ばれる概念らしい。次の記事から定義の説明を引用する。

容易に答えが出ない事態にも性急に事実の解明や理由を求めず、不確実さや懐疑の中にいることができる能力を指します

https://jinjibu.jp/keyword/detl/1569/

思うに、こうした「わからない」「ままならない」に対する耐性が重要なのではないかと思う。

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「アテンション・エコノミー」という言葉がある。

現代の「商売」に少なからずこうした側面があることは事実だと思うし、私だって自社の商売や個人のプレゼンス向上を考える上でこうしたことを全く意識しないわけじゃない。ただ、その中でも筋の悪い注目の浴び方というのはあるように思う。ただ勝つんじゃなく、どう勝つのかまでが重要。

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自分の過去の行動や発言に対して整合するように、自分の認識というのは都合よく捻じ曲げられる。だから、自分は普段から "そういうこと" をしたくない。そして、願わくば、自分はそうした過激で雑な主張を良しとしない価値観の人たちから評価されたいなとも思った。

ただ、最後に。

「雑な主張」をした人の発言内容が故意でないのなら、おそらくそれは「現時点でのその人が見えている視野、あるいはメンタルがそうさせた」に過ぎないと捉えておくことも大事なように思う。全方位でなんでも深く考察できるなんて所詮無理だし、そもそも深堀りも際限なくできる話題だって多い。

なので、自分から見て雑な意見に見えたとしても、そこで「何も知らんのな」とか「雑な意見を喋るなよ」などと申し立てるのも、なんか違う気もするんだよな、とは思う。自分も同じことを山ほどやっているだろうし、今後もたくさんやらかすと思うので。

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