Plot:1stシーズン*そらの章
【プロフィール】
南牧村、野辺山の野菜農家に生まれる。父の記憶はなく、祖母と母に育てられる。兄は、そらが高校の時に都会の大学に進学し、卒業後は連絡がとれないまま。農業高校を卒業したそらは、 9年間実家で農業に従事し、最新の種苗や肥料、農薬の技術、売値の動向や出荷時期の調整、作付け計画など経営を支えていた。
【農業について考える】
突然帰郷した兄に、そらは嬉々として農業の実務を教える。が、兄は実家を一気に近代化(機械化、大規模化、会社化)しようとする。祖父母が開拓したこの地で従来の生活を受け継ぐものと思っていたそらは、反発し家族との会話を失くしてしまう。心配した兄嫁のりささんに白州町の「まりえんけいふぁファーム」を紹介され、そらは、実家を離れ住み込みで働き始める。
仲間と共に暮らし働く協働型農家で有機農法を実践するファーム。そこでの体験は新鮮だった。高校でも有機農法は教わっていたが、高付加価値の販売戦略ぐらいにしか意識していなかった。文化祭で『不都合な真実』を取り上げた時も「だから農業だ」と思っていたのが、「農業も地球を傷つけている」ことや「価値観(生き方)としての農業」という視点に出会っていく。
ファームの生活や仕事、自給自足の食事、文庫や図書館で読む先人達の考察、都会や世界から訪れる人々との交流を通して、そらは、「地球や社会や歴史の中での農」について考え始める。
【台風一過・四人の出会い】
陽が昇る前から畑にでて様々な野菜を育て、自分たちで料理して食べる。スーパーやホームセンターにあるものから選択するのではなく、必要なものは作り方を知っている人に教えてもらい、自分たちで作る。そんな生活を体験しに人々が訪れ、ネットで情報を交換する。暮らすことと働くことが実感の中で繋がっている生活に額にシワを寄せていたそらの心はほぐれていく。 台風一過、カフェ・ロッコへの配達の帰り、台風の後片付けを手伝うために同乗していた夏海とそらは、釜無川沿いの国道20号線の土砂崩れに足止めされる。旧落合小学校で様子をみることになり、夏海のツイートした避難所の様子を、森のオフィスで「SOSツイートサーベイ」に参加していた千秋が見つける。 長野県の富士見町では、山梨県側の土砂崩れの情報が把握できていなかった。夏海とそら、千秋と森のオフィスに差し入れを持ってきた紗雪の協力により避難の支援体制が整備されていく。一段落して森のオフィスに集まった4人。実は同い年なのを知り打ち解ける。
【旅するように生きること】
ファームでの収穫祭に集まった多様な人々。共通なのは同調圧力で硬直した都会生活から距離をとって「旅するように自由に生きている」こと。そらは、同い歳の夏海や千秋や紗雪のそれぞれの想いを知り、世界から訪れるウーファー(農作業と食事や宿泊を等価交換する人々)と交流して視野を広げていく。
タイから来たヌーイからは「アジアの中の日本」を、ドイツから来たフリードリッヒからは「世界の中の日本」を、特に日本固有の縄文時代における狩猟採取生活と農業との関係への好奇心を触発される。
そんな中、兄嫁のりささんから祖母が認知症を発症、兄を祖父と混同するようになったと知らされる。自分のことしか考えてこなかったそらは、自分の祖母や生まれる前に亡くなった祖父のこと、女手だけで育ててくれた母や自分の記憶にはない父のことに興味をもち始め、そらの家族がこの野辺山の地でどのように生きてきたのか、りささんとともに調べ始める。その中で、帰農するまで兄が父と同じ電波望遠鏡の仕事をしていたことを知る。
【そらの選んだ自由】
祖父は、野辺山での特攻機の訓練兵として終戦を迎えた。野辺山で祖母と出会い結婚し、開拓を進めながらの苦しい生活の中で、唯一育ったのが母だった。母は、電波望遠鏡の建設に来た技術者の父と駆け落ちし、祖父が他界した実家には祖母ひとりが残された。母は数年後、兄と乳飲み子のそらを連れて祖母の元に帰ってくる。この地に深く根ざして生きてきた家族。そらは、自分の家族も旅するように生きる人々と同じく、自ら選択し生きてきたのだと思う。生活や家族、土地や建物に刻まれたそれぞれの思いと歴史。今年、野辺山の電波望遠鏡も臼田の後継機に役割を譲る。
八ヶ岳は分水嶺でもある。南西部に降った雨は諏訪湖に集まり天竜川から太平洋に、南東側は釜無川から富士川になって駿河湾に、北部は千曲川から信濃川を経て日本海に流れていく。それぞれの道をいく4人。そらは流れない。地中深く浸み込む。でも、繋がっていると感じていた。何万年もの時間をかけて全地球規模で対流する深層海流に至り、水たちはいつか再会するのだから。
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