私は私に価値がある

偉そうなこといってすみません
この話、生きてる上でのとかそんな大きな括りじゃないです。
SNSにおける価値(ビジネス的にいうと市場価値?というの?しらんわからない)の話なんですけど。

instagramもTwitterも、投稿するにあたって"系統"ってのがあるじゃないですか。
例えば黒っぽいふりふりの服を着てる女の子が、一貫してダークな雰囲気の投稿をしていたり、
artや神話が大好きな子の投稿は儚かったり耽美的だったり。
あと使うハッシュタグも人によって異なりますよね。

それ、凄く良いなあって思ってるんです。
あまり綺麗じゃないこというと、フォロワー増えると思うし。要は"私はこういう子"っていうブランディングができるじゃないですか、しかもインスタとかだとそれが一目で分かりますよね。そうすると見てる人たちもその子をとりあえずフォローしたくなる。
例で先ほど言った"インスタでダークな雰囲気の投稿を続けてる女の子"を挙げます。インスタを使う人ならたまに見かけるのではないでしょうか。ずらっと同じ雰囲気の投稿が並んでいて、完成度が高いというか、個性をちゃんと主張できてるといった風に思えますよね。最初こそそういう雰囲気が好きな子が集まってきますが、「可愛い女の子が好きな人」とか「ロリータが好きな人」とか、若干離れたところからフォローしてくる人が増えてきます。(あくまで例なので、どこまでフォロワーが広がるかは投稿する雰囲気によりますが)
そうしていって一貫した個性とは逆に広いニーズに答えられると思うんです。
それがすごく良いなあと思っています。

まあそれはそれで、私が本当に話したいのは、「本当に"見られる主体"の生き方になりそうで危なかった~~~!!!」です
私思うに、先程のsnsの使い方、人によって向き不向きがあると思うんです。
私みたいな欲張りな人間には向いてないですね。
私自身、どういった系統も好きなんです。服で言うとパンク調だったりゴスっぽいのだったり高い服だったり真っ白のドレスだったりシンプルでカジュアルなのだったり、全部好きなんですよ。まるで定まらない。
すると、いいなと思った投稿を見るとすぐにそれにしたくなる。「この人はこういう人だから」ができないんです。全部やりたくなる。
結果収集付かなくなって、自分が分からなくなる。
これが馬鹿馬鹿しいことだと気付くのに、とても時間がかかってしまいました。
系統が分からないというまでなのはよくあることだと思うのです。しかしそれによって自分が分からなくなるのは、自分をブランディングしようと、snsに見られることが生きる軸になりつつある危険信号です。

『まあ私はそのとき可愛いと思った服をそのときそのときに着ます 実際系統とか毎日違いますでもいいよね?顔可愛くするんで てか顔私なんで』

恥ずかしながら、これは今朝アカウントでなんとなく勢いのままに呟いたツイートです。
まさか自分の言葉で答えを見つけるとは思いませんでしたが、このツイートでやっと自分の悩みが晴れました。笑うとこです。

今まで服とか雰囲気とかまとまらんし一貫するものないわって思ってたんですけど、いや全部私じゃん
私というところに重要性がある。
ここまできたらあとは簡単です、自分自身を磨く。
毎日筋トレしてストレッチして2Lの水を飲み、私の価値をあげていく。価値というのは流行で変動するものだから、とりあえずそのときの私が良いなと思えばいいかな。

これからも色んなことするけど、全部私だからずっと見てて。私だから好きでいてね。

あとこれは、この考えを忘れないようにするためのメモでした。以上