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漢民族が中秋節を月餅で祝うわけ その起源や由来

月餅の起源

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  月餅は、唐王朝の軍隊であるZhujieFoodから生まれました。唐代の高津皇帝の治世中、李淵将軍は月餅の隠蔽によりトルコ人の征服を勝ち取り、8月15日に勝利を収めて帰国しました。
それ以来、月餅を食べることは毎年の習慣となっています。
当時、商売をしていたトルファンの人々は、唐王朝の皇帝とケーキで勝利を願う多くの美女たちに提供しました。


再び、漢民族が中国を統治したのは明王朝です

《ここからは、以前アメブロに書いたものですが、noteに再upします》


中国占術に詳しい方ならご存知と思いますが、
劉伯温と言えば明王朝建国の立役者で、一般に宰相として、あるいは軍師として名高いです

また劉伯温と言えば学問に秀出たとあります

占術家としては【滴天髄】という八字のバイブルは名高く、断易や未来予測も有名です

私は【滴天髄】というタイトルを見た時、すごい含蓄を感じました
天の骨髄という発想に、雷に打たれたほどの衝撃を受けました

劉伯温の命式は、斬新さと精緻さをもって、特殊な能力が活かされる命。
軍師としても、やはりすごい作戦を考え出したのです

これが月餅の由来でもあるらしいです


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【月餅の由来】

元朝の終わりの頃、
中国の中心地とされていた黄河中流から下流にかけての人民は、
元王朝蒙古の冷酷無比な統治に耐え切れず、幾度となく一揆を起こしていました。

後に明朝の創始者となる朱元璋は、これら元軍の抵抗勢力の連合を結んでいった
でも元軍の眼は厳しく、なかなか情報の伝達手段が見つかりませんでした


そんな時、軍師劉伯温が妙案を思いつきます。
部下の義士王昭光に饅頭を作らせ、餡の中に(中秋節の夜に決起)と、
反乱軍決起の日時を書いた伝言文を入れて、各地の仲間に配らせました。

『近々疫病が発生するが、中秋節の時に月餅を買って食べれば災難を逃れることができる。』と言う噂を流したのです

それを信じた人々は、皆月餅を買って帰り、
人々は中秋節まで食べずにとっておいたのです。

そこで中秋節に中を割って見ると、

決起を呼びかける紙切れが入っていたのです

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その結果、元軍に勝利し、再び漢民族が統治する明王朝が誕生しました


8月15日の中秋節に月餅を食べる風習とは、

まるで建国のお祝いのような習慣



国民の喜びがぎっしり詰まった、深く濃厚な味わいは、
ご贈答に喜ばれ、皆でシェアして食べる習慣がある


今の豊かさと幸福は、あの時の勝利、

月餅にツキがあったから!


月餅って凄い縁起の良いお菓子(ケーキ)のようですね!

歴史を知ると、月餅をもう一度味わって、自分の幸福と重ね合わせたい!

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■劉伯温 命式

壬乙乙辛
午卯未亥

興味深いのは年干の辛です
辛こそ月を表しています
月支が未ですから、まさしく仲秋節の決起!

乙乙は【雑草生乱】凶局で、モンゴルの草原地帯をイメージしてしまいます

辛の象意は、ハサミや小刀、小市民の武器で草を伐採します。これが吉
壬は傷官で官殺を剋しますから、元軍を撃って、勝負する!

なんか、歴史の断片ともいえる命式で驚いてしまいます!

劉伯温は断易といい、子平推命といい、
ハッキリ決着をつける判断を求める占術を政治に、軍事に
活用した軍師です

明確ではっきりさせることを好む壬の人
勝負運強く、賭けにでたこの日を見事に表す命式と思われてなりません

体と用で明確に合否を分ける占術

漢民族の習慣をうまく使った作戦で、モンゴル人の盲点を突いた作戦ですが、
ごくありふれた習慣と心理を見事に用いて、こんなスケールの大きことができちゃうとは!
何か狐につままれたような出来事です

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万里の長城は唐時代の建造物ですが、修復されたのは明の時代

日本は唐の時代から親交が深く、多くを学んでいるんですね。

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