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『アビスパ福岡と「福岡嫌い」のわたし』の蛇の足という名の語り

(見出しの写真は2010年のゴール裏からの写真です)

note本体やXでの意外な反響の大きさに驚いている私がいます。まずは拙い自分語りを読んでいただきありがとうございます。そのお礼も込めまして、少々蛇足させていただきたいと思います。お時間があればお付き合いくださいませ。

まずはぺけちゃん、「じすぺけお」という私の夫のことについてです。
ぺけちゃんと付き合ったのは当時流行っていたパソコン通信のメール交換からでした。今ではインターネットで男女が出会うのは自然な話です。ネットゲームから始まる交際、なんてものもあるぐらいですからね。でも30年前ぐらいのあの頃は「ネットで知り合う」なんてことは珍しいことでした。
1996年に「ハル」というパソコン通信で出会う男女の物語の映画がありましたが、まさにそのリアル版です。(私達が結婚したのは1995年なので、ハルの先駆者だったとも言えますね!)
結婚式の馴れ初めの話を考えるのが大変だったことを鮮明に覚えています。まさか「パソコン通信で出会った」なんて参列者に言えませんよねw なので「友達からの紹介」ということにしていました。ぺけちゃんがアビスパの前身だった福岡ブルックスを応援していることを知ったのは実は結婚してからだったんです。サッカーの話はメールでしたことありませんでしたから。
結婚した頃はホークスもあったんですが、当時は存命だった父が阪神タイガースの大ファンだったということもあってその話はご法度でした。(よく考えると南海ホークスが福岡に来たのですから、応援しても良かったのでは…という思いもありますが、当時はパリーグは人気なかったですからね…)
父は野球と競馬が大好きな人だったので、サッカーの話が実家で上がることは全くありませんでした。つまり私がアビスパ含めてサッカーに触れたのは結婚して初めてということになります。
前回の自分語りで「サッカーのルールが分からなくてぺけちゃんに聞きまくった」と書きましたが、ぺけちゃん本人もそれを覚えていて「あの時は正直梱包材がうざかった」と苦笑い気味に話してくれました。でも今では私もルールに詳しくなりこの前なんてゴールが入ったと大喜びしているぺけちゃんに冷静に「あれ、オフサイドだよね?」と言って実際その判定が出て彼をスンッ…とさせてしまったことがありました。本当にアビスパが大好きで、運営ボランティアを始めたのも彼が先でした。楽しそうな姿を見て、「私もやってみたいなぁ」と思ったのがきっかけでしたから。
ちなみにあの野郎wはちゃっかりnoteを載せたXのポストにリポストしていやがります。あんたのおかげなのに何やってんだと。

次に私の「福岡嫌い」について。
この話題をこの時期に出すのは、正直憚られた部分がありました。アビスパが好きっていうことは福岡が好きっていう人がほとんどのはずです。そんな中あえて「福岡が嫌いだった」というワードを出すべきなのかと。実際、福岡で嫌な思いをしたからって嫌いになることないじゃない?と福岡で出来た友人に以前言われたこともありました。それはごもっともです。だからこの話題は軽々しく出すものではなかったのです。
きっと私があの自分語りの中でその"暗部"を出したのは、過去がそうであってもこれからも家族とアビスパと共に歩んでいきたいな。というお気持ち表明だったのかもしれません。

noteをアップしてから、色々な感想をいただきました。私自身ひとつひとつにお返事する余裕がないのは申し訳ないというか…でも印象に残ったのは「アビスパを好きになってくれてありがとう」という一言でした。アビスパが好きな理由は沢山ありますが、そのひとつにスタジアムのあの雰囲気を作り出している皆さんのおかげもあるんです。お礼を言うのはこちらの方です。

本当にこの「街」にアビスパがあって良かった。
だからこそ私は救われた。
嫌いなものを好きになるということはパワーが大きい、という感想をいただきましたがまさにその通りです。アビスパを好きになることで、今まで狭かった世界が大きく広がりました。好きなものが沢山増えました。嫌いだ嫌いだ、毎日昔の街に帰りたいと泣いていた40年前の私にやっと頭を優しく撫でて「大丈夫、貴女はこの街の良さをたくさん見つけていくよ」と語りかけられるようになった気すらします。

これは私なりの「アビスパ」に関わる全ての皆さんへの感謝の手紙でもあり、ラブレターでもあるのです。


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