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ロリコンの歴史と誇り

最近、自分以外のロリコンと話していて興味深かったものがある。

ロリコンにはぞれぞれ、自分がロリだと思う年齢、見た目の範囲があり、それが他のロリコンとずれていているから話しずらいという意見だ。
 

俺はいつも社会とロリコンという軸で話をしてきたし、あまり他のロリコンと関わる機会というものが無かったから知らなかったのだが、ロリコンの中にも社会があるらしい。

だから今回はそもそもロリコンとは何なのか、ロリコンの中にある社会性とは如何にして成り立ちどのようなものなのか、そういうロリコンの在り方を紐解いて、最後に誇りの話をしたいと思う。
 


 

ロリコンはどのようなものであるか


「ロリコンはどのようなものであるか」については個人的に、自分が何故にロリコンなのかを明らかにする試みの中でいくつか文献を漁っており、その中で今のロリコンに関係がありそうなものと、その歴史を記述していこう。

 
ロリコンが好む年齢層については下記の書籍に記載があった。
 

 
1999年の児童買春・児童ポルノ禁止法の直前まで発行されていた少女ヌード雑誌『アリス・クラブ』1998年5月号において「許容範囲は何歳までか?」というアンケートがなされたらしい。そのアンケートでは12歳をピークに11歳~13歳と答えた人が多かったようだ。

本著ではロリコンが何故その年齢を好むのかをその時期が第二次性徴期であり、身体的な特徴として性別が分たれて体が女性に、また精神が子供から大人になり始める不安定な時期であるからだと予想している。
 

では理由の方はどうか。
ロリコンがどのような道理で11歳~13歳という青い果実を好むか。それについて最も疑わしくない記載をしているのはこの書籍だろう。
 

 

こちらでは小児性”愛者”と小児性”犯罪者”が分析されている。警察として小児性”愛者”と小児性”犯罪者”を分ける目的であったり、犯罪を立証するに当たって小児性”犯罪者”のタイプを分けて尋問方法を変える目的で用いられている。

前者をグロス博士の小児性”愛者”分類方法、後者をディーツ博士の小児性”犯罪者”分類方法として紹介する。

 

グロス博士の小児性”愛者”分類方法

書籍内では「今日、最も広義に用いられている分類」とされている。
彼は小児性愛者を2種類に分類している。
 
①固着型小児性”愛者”
・主要な性的嗜好が子供に向いている
・性交の相手として子供を好み、子供と自分を同一視している

②退行型小児性”愛者”
・性交の相手としては同年代を好んでいる
・何らかのストレスにより、大人との辛い人間関係の代償として子供を選んでいる
  

ディーツ博士の小児性”犯罪者”分類方法

この分類は「小児性”犯罪者”がどのようにしてその犯罪を行うのかを知り、発見、逮捕し、有罪に持ち込むことを目的としている」とされ、警察にとって実用的価値があるものらしい。

彼は小児性”犯罪者”を2つに分類した上で、さらに行動パターンで区分している。それぞれ紹介しよう。

①状況的小児性”犯罪者”
子供に性的魅力を感じているわけではないが、様々な理由から子供と性行為を行う。以下はそのパターンだ。

(1)退行型
・自己評価が低く、ものごとへの対処能力が劣っている
・本当は同等の相手と関係を持ちたいのだが出来ないので子供と行う
・その対処能力故に自分の子供を被害者にするケースが多い

(2)倫理観欠如型
・周囲を傷つけ虐待することが人生そのもの
・バレさえしなければ平気で嘘をつき、相手を騙し、ものを盗む
・被害者を選ぶ理由は弱さとチャンス、故に子供を狙う

(3)性的倒錯型
・要はロリもイケる人物
・性的なことは何でも試してみようとする
・最も定義が難しいタイプとされている

(4)社会不適合型
・次いで定義が難しいタイプ
・精神病患者、人格異常、精神遅滞、老衰も含まれる
・一般的な定義からすると、落ちこぼれや脱落者、変人
・同い年の友人がいないティーンエイジャーであったり、親元に居る孤独癖のある奇矯な人物であったりする
・不安や好奇心から子供と性行為を持つと考えられている
→子供なら自分にとって脅威でなく、性的夢想を存分に探究できる
 
 

②嗜好的小児性”犯罪者”
子供に対してはっきりと性的嗜好を持っており、彼らの性的夢想や性欲をそそるイメージはもっぱら子供を中心としている。ストレスや不安からでは無く、子供に性的に惹かれ、好みに合っているが故に性交渉を行う。

パターンとして誘惑型、内向型、加虐型が挙げられているのだが、彼らは嗜好がはっきりしており、犯行方法の話になっているので割愛する。

 


  

ここまで読んで、ピンと来た人も居ればそうでない人も居るだろう。それは当然でロリコンという言葉を社会は曖昧に使っているが故に、ロリコンを自認している人間の中にはペドフィリアだって含まれているし、二次元のロリだけを好む「ロリコンオタク」も居る。小児性愛者とは限らない。恐らくだが、ピンと来なかったとしたらそれはロリコンオタクだからだろう。というわけで次はそのロリコンオタクの話をしていく。

 

ロリコンオタクについて

 
ロリコンオタクという存在がいつ頃から表象したのか。簡単に説明すると、まず芸術としての3次元のヌード写真集を始めとするロリコンブームが興り、後に大人向けのアニメとして注目された『宇宙戦艦ヤマト』から始めるアニメブームが興り、そこにロリコンというミームが持ち込まれた形で可視化されるようになった。

それぞれブームになる前の、いわば地盤を創った作品としてロリコンブームであればナボコフの『ロリータ』やルイスキャロルの作品からなるアリスブーム。アニメブームであれば手塚治虫、女性の同人活動、少女漫画などがあり、エロであれば自販機本文化まで関わってくるがまずは2文化の合流点付近から話を始める。
 

この2つの流れが合流したのは1980年頃のことだ。
ロリコンブームのきっかけになったと言われている写真集『LITTLE PRETENDERS 小さなおすまし屋さんたち』が発売されたのが1979年のことで、奇しくも同じ1979年に宮崎駿によるアニメ映画『ルパン3世カリオストロの城』が放映された。
 

 

この作品に登場する「クラリス・カリオストロ」というヒロインはこの時代を象徴するキャラクターとなっている。この1980年頃はアニメブームと共に「美少女」という単語が、ロリコンブームと共に「ロリコン」という単語が散見されるようになり、この2つの属性を備えた「クラリス」は当時のアニメファン・ロリコン、もといロリコンオタクから関心を集めたのだろう。

彼女を中心とする流れはクラリス・コンプレックス、あるいはクラリスシンドロームと呼ばれ、アニメ雑誌『アニメック』1981年(4月)第17号にてロリコン特集が組まれた際に話が組み込まれていたり、『クラリスMAGAZINE』という同人誌が人気を博したりした。

次はそのアニメ雑誌から当時のロリコンがどのような意味であったか、同人誌を含むロリコン漫画からは如何にしてオタクはアニメ調のイラストでシコるようになったのかを説明していこう。
 

当時のロリコンオタクはどうであったか(アニメ雑誌編)

ロリコンについて最初に取り上げた雑誌は当時の若者をターゲットにしたサブカルチャー雑誌である『月刊OUT』(後にアニメ路線を強め、日本発のアニメ雑誌と呼ばれる)で、1979年12月号に2ページの特集が組まれている。
 

 
『病気の人のための漫画考現学 第1回 ロリータコンプレックス』というタイトルで綴られた文章では精神病理の分野から病気としてのロリコンを、当時流行っていたマンガ(吾妻ひでお・内山亜紀など)・写真集(LITTLE PRETENDERS)・自動販売機本(少女アリス)などから趣味としてのロリコンについてそれぞれ記述し、両者は違うものであるとしている。

この時代、「オタク」という言葉も「ビョーキ」という言葉も生まれておらず、前者は1983年以降にぽつぽつと流行り始め、後者は1981年から「オタク」が馴染むまで同じような意味で使われていた語で、その中でロリコンという言葉は「マニア」の中にある少女愛好者程度の意味で用いられていた。また若者文化であったことから、少年が少女が愛することはまったく正しいとまで書かれており、現代の意味とはまったくことなることが分かる。

そもそもとして、「ロリータコンプレックス(ロリコン)」という言葉は1970年代に日本において自然発生した言葉で、前述した『ロリータ』とこの時期に認知され始めた「マザー・コンプレックス」を合わせた和製英語である。定義を持って生まれた言葉では無く、その為に意味がふんわりしていたり時代と共に移ろってしまうのは仕方が無いことだと言える。

面白いのは「今や病気もファッションの時代」という記載があることから当時の流行語であったロリコンを名乗るのはファッション、つまり当時のロリコンはファッションロリコンの心持ちであったということだ。同じように、1982年5月号の『アニメージュ』ではロリコンを「アニメファンのビョーキスタイル」であり、昔ほどロリコンという言葉に暗いイメージが無くなってきたと記述されている。

 

そしてそのファッションとしてのロリコン傾向はアニメブームと合流することで強まっていく。その傾向を後押ししたのは前述した『アニメック』1981年(4月)第17号だろう。
 

 

まず25ページ(表紙を除いて24ページ)のロリコン特集のうち、6ページがクラリスに関連したものになっている。クラリスは16歳の少女であり、ロリコンが好む年齢である11~13歳とは隔たりがあるが、アニメ業界もアニメ雑誌も売り上げを伸ばすために少女ブームとロリコンブームを合流させようとし、結果として彼女の熱狂的な人気を利用する運びになったのだろう。

続いて4ページではその時代のアニメにおける人気の少女キャラクターを紹介している。それは見境がなく、『アルプスの少女ハイジ』からハイジとクララ、『未来少年コナン』からラナ、『女王陛下のプティアンジェ』、『若草のシャルロット』、果てはロボットアニメの少女、『エースをねらえ』や『火の鳥2772』のオルガまでと、今の感覚からすると節操がない。

そのように少女ブームとロリコンを関連付けた後には「SFファンでなければロリコンではない!」と語る驚きの内容の2ページを挟み、残りのページで「ロリコンに必要な10の基礎知識」としてロリコンブームに関連した10つの実写・文学作品を紹介し、ロリコンブームを考察、また少女漫画・エロ漫画・エロ同人誌の話を行っており、マニア達をロリコンの世界に入門させることへの必死さが伺える。

続いてはその漫画の話からロリコンオタクを見て見よう。
 

当時のロリコンオタクはどうであったか(漫画編)

アニメ雑誌がロリコンブームと少女ブームを引き合わせたかのように書いたが、その前に地盤を固めた者達が居た。業界人は彼らを利用し、その小さな兆候から大きなうねりを引き起こしたに過ぎない。

この話を始めるに当たって少しばかりエロ漫画の歴史に触れたいと思う。完全に寄り道なので、区切り線で区切られた範囲は飛ばして貰って構わない。
 


 
漫画は当初1932年の漫画集団結成前後から続く「大人漫画」が主流であり、後に赤本や紙芝居、貸本から「子ども漫画」が隆盛し、その2つが区分される時代が続いたが、1960年からの劇画ブームにより大人漫画は廃れ、現代では手塚治虫の系譜に連なる「子ども漫画」が主流となり、区分は無くなっている。

さて、エロ漫画は当然「大人漫画」の区分だ。当初は風刺とナンセンスが主流でありその中でお色気要素が強いものは「艶笑漫画」「ピンク漫画」と呼ばれ、それがエロ漫画であった。この時代の大人漫画はサザエさんのような画風であり到底シコれるものではない。

その状況が動いたのは1960年頃から始まる劇画ブームであり、『ヤングコミック』『プレイコミック』『ビッグコミック』から始まる「青年劇画誌」の隆盛と共に、本格的なエロ漫画として「エロ劇画誌」が登場した。(劇画は『ルパン3世』とか『ゴルゴ13』の絵柄)

この時代は「三流劇画ムーブメント」という劇画を3段階に捉える流れがあり、「エロ劇画誌」は「三流劇画」とも呼称される。

「エロ劇画誌」の成功と共に「艶笑漫画」を掲載していた「エロ実話誌」は「エロ劇画誌」へと転向していき、「大人漫画」は衰退する。

そしてその「エロ劇画」の時代を変えたのがロリコンブームであり、「ロリコンエロ劇画」の時代が来るのだが、その後アニメブームが合流したことによりすぐにアニメ調で少女漫画チックな絵柄の「ロリコン漫画」が現れ、その流れの中で劇画ともロリコンともいえない、美少女絵柄が生まれている。
 


 
前述した小さな兆候は「コミケット」、現代ではコミケと呼ばれる「コミックマーケット」にて興った。コミケットは1975年に始まった同人誌即売会であるが第1回は参加者の90%が少女漫画ファンの女子中高校生だったようだ。(この時代、同人活動は漫画家志望のアマチュアが行うものであり、また女子大で漫画研究サークルが相次いで創られていた)

そこで頒布されていたのは当時流行っていた少女漫画を原作とする「やおい」作品やアニメキャラに同性愛をさせるようなものばかりであり(その背景には「二四年組」と呼ばれる人気少女漫画家達がおり、彼女らは少女漫画の世界に少年愛を定着させたとされている)、二次元的なロリコンブームは「腐女子」と命名される前の無名だった彼女達のフィールドに混ざり入る形で始まったのだ。

1978年、「コミックマーケット10」にて蛭児神 建による日本初のロリコン同人誌『愛栗鼠』が現れた。しかしながら本格的なきっかけとなったのはその翌年1979年の「コミックマーケット11」にて蛭児神 建と当時プロ漫画家であった吾妻ひでおと彼のアシスタントで創刊された『シベール』だろう。
 

 
『シベール』には吾妻ひでおによる「こども漫画」的で絵柄で描かれた少女の裸体が載っていた。これが歴史的な転換点となった。当時、エロ戯画や同性愛エロが席巻していた時代に「リアルでない記号的で丸っこい絵柄でもエロは描ける」という世紀の発見を為したのだ。

しかしながらコミケット主催者である米澤氏の言によると、当初そのようなものはパロディ、ただの遊びであったという。現代の人であればおもしろフラッシュ倉庫にあった「ドラえもん」や「ドラゴンボール」「アンパンマン」の二次パロを想像すれば良いと思われる。つまり、エロパロは美少女キャラを題材した悪趣味でアングラ風なギャグ、悪ふざけであった。

されど数年を経ずして「それでオナニーすることを表明する人々」が現れる。『シベール』をきっかけに、現代まで続く「それでオナニーすることを表明する人々」が生まれたのだ。
 

1980年には自販機雑誌である「少女アリス」にて吾妻ひでおのロリコン漫画が連載され始め、続く1982年は彼らの存在を背景として吾妻ひでお内山亜紀を2枚看板とするロリコン雑誌『レモンピープル』が創刊。1983年には三流戯画誌であった『漫画ブリッコ』がロリコン雑誌(美少女漫画雑誌)としてリニューアル。この「2大ロリコン漫画誌」に続く形でロリコン雑誌は増えていき、同人作家が雑誌でデビューする時代が訪れる。

余談ではあるが「おたく」という言葉は1983年6月号、7月号の『漫画ブリッコ』に掲載された「おたくの研究」という文章でコラムニストである中森明夫という人物がコミケに居るような「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」を侮蔑的な意味で「おたく」と命名したことで概念として定着した。背景としては彼らが互いを「おたく(ら)」と呼び合っていたことによる。

1980年には前述した同人誌である非エロの『クラリス狂専誌 クラリスMAGAZINE』が創刊され、アニメマニア向けのアニパロ同人誌も開拓されていく。

1984年には森山塔がデビュー。彼はエロ漫画のパイオニアとも言われることもあり、劇画調、ロリコン調でもない現代まで続く美少女絵柄を生み出し、それが人気もあったのでエロ漫画誌は美少女絵柄主体になっていく。
 

 
彼は山本直樹名義で現在も活動をしているので興味があれば調べてみるといいかもしれない。(直近の作品は『田舎』であるがロリエロを一般誌として出版したので都の有害図書になり、取り扱う店が少ない)
 

 

当時のロリコンオタクはどうであったか(まとめ)

写真集や文学作品から始まった3次元的なロリコンブーム、漫画や同人誌から始まった二次元的なロリコンブーム、宇宙戦艦ヤマトなどの大人向けアニメから始まったアニメブーム、この3つのブームがアニメ雑誌により「少女愛好者」という意味で「ロリコンというビョーキ」が流行ったのがロリコンブームと呼称されているものの正体である。

その裏にはロリコンブームの火付け役と呼ばれる編集者川本耕次による自販機本『少女アリス』もある。自販機本は一般書店の置ける雑誌では規定で不可能であった制服物を扱うことで人気になったエロ雑誌であるが、『少女アリス』は1980年から吾妻ひでおによる漫画を掲載し、それが商業誌で初のロリコン漫画になった。また、制服ではない”少女”を追求する姿勢を見せたことも要因となりロリコンブームの中において30号まで続く長期的な人気を見せた。彼が火付け役と言われる理由は他に様々にあるのだが、彼の自伝の中で””ロリコン漫画の帝王””と呼ばれる内山亜紀を輩出したことにもあるだろう。
 

 
また1980年代にはビデオ(VHS)の普及が始まり、アニメブームからはOVAが生まれた。1984年には当時人気であったロリコン系漫画家の中島史雄作品を原作とする史上初の成人向けOVAである『ロリータアニメ』シリーズが生まれ、当初は劇画調の絵柄であったが3作目の『仔猫ちゃんのいる店』でロリコン調の絵柄にしたところ人気になり、5作目までつくられた。

また、同じ年に発売された『くりぃむレモン』シリーズの1作目である『媚・妹・Baby』は当時動画マンであった富本たつやが稚拙な絵コンテを見て「これじゃ売れませんよ」と訴えた結果、キャラデザインと作画監督に大抜擢され、絵コンテを美少女調に書き直して発売した結果大ヒットする。『くりぃむレモン』は人気のシリーズとなり、制作陣には声優から原画まで現代では大御所になった人物が居たりと面白い。
 

くりぃむレモン part4 『POP♥CHASER』

 
小説やフィルムコミックにもなっており、その小説は復刊されているので手に取ってみても良いだろう。
 

 
前述の『ブリッコ』が関わる形として作成された成人向けOVA『魔法のルージュ りっぷ☆すてぃっく』は正統派ロリコンアニメであるのにメカメカしい戦闘場面があったりと今とは違う、アダルトアニメの底力のようなものを感じさせる。

1985年に成人向けOVAとして始まった『ドリームハンター麗夢はすぐに全年齢路線になったが、未だにコンテンツ展開がされている稀有な作品だ。


1982年には黎明期であったアダルトゲーム業界において、写実系とは別にロリコン系のアダルトゲームが出始めた。1番有名なのはPSKから発売された『ロリータ』シリーズだろう。また、スクエアと合併前のエニックスからは1983年に『ロリータ・シンドローム』が、1985年にはテクモと合併前のコーエーから『マイ・ロリータ』が発売されている。
 

まとめると、このロリコンブームは少女愛好者の時代であったのだ。何処もかしこも「少女」を担ぎ、少女を愛し、少女を愛する自分達を愛した時代であった。1980年代後半からはロリコンブームも落ち着いたとされ、美少女絵柄主体となっていく。

しかしながらその時代が続かなかったことはご存知の通りだろう。あるきっかけによりオタクバッシングの時代が始まり、ロリコンが少女愛好者という意味では無くなって犯罪のニュアンスを含むようになる。

次はそのきっかけとなった事件から話を始めよう。

 

イメージ悪化と表現規制について

 

(1)オタクの転換点

1983年の「おたく」命名を皮切りに、本が出て2ヶ月後のコミケでは既にマニア達は自分のことを自嘲するスラングとして「おたく」を使い始めていた。しかしながらその自嘲語は差別語になってしまった。そうたらしめたのが1989年に発覚した「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」である。

犯人となったのは宮崎勤という男だ。この事件が歴史に名を残すほどになった原因にはその内容のショッキングさは勿論あるが、もう一つの理由として彼の供述が不明瞭で非現実的なものであった為に犯人の精神構造までもが注目され、事件の着地点を求めて絶え間なく報道が為されたことによる。彼のあらましを追ってみよう。

彼には生まれつき手に障害があった。手が変形しており、その為に掌を上に向けることができなかったらしい。それにより幼い頃から人間関係を難しくしていたのが根本的な原因であろう。

彼が全裸の少女を写真やビデオに撮り始めたのは1984年のこと。この時期には既に彼の精神状態はおかしくなっていたとされ、彼が敬愛する老人が死んだときには彼の遺骨を食べている。

結果的に彼は4歳から7歳までの女児を4人殺害し、遺体を犯したビデオを撮影し、遺族に被害者の骨と衣服を送り付け、遺体発見のニュースの度に新聞社と遺族宅に犯行を声明するアナグラムの通信文を偽名で送り付けている。
 

さて、この事件に対してメディアは宮崎勤を「おたく」として報道した。その原因となったのは彼が所有していたビデオフィルムである。媒体によって数の表記揺れが見られるが彼は自宅に5700~5800のフィルムを所有しており、彼の両親が報道陣に対して無実を主張する為に見せたものがその願いとは逆の形で報道をされてしまった。彼はビデオ収集サークルに所属しており「流行っているから集めないと落ち着かない」という理由で無秩序にビデオを収集していたようだ。しかし事件に関係するとされ、よく報道に使われたロリコン物、ホラー(スプラッター)物は全体の2%にも満たなかった。また彼が1989年のコミケットに参加していたことまでが報道されている。

実態はどうであれ、これらの報道により「おたく」の存在は悪印象を持って世間的に知られることになり、その風当たりの強さから二次元的なものは全て自粛・修正・規制・ゾーニングが行われることになる。「おたく」が差別用語として定着し「おたく」=犯罪者として宮崎予備軍なんて呼ばれ方をされることもあった。また、有害コミック騒動はこの事件から始まっている。

近年、SNSにおいて「入社してきた若者が『オタクです!』と元気よく表明していてびっくりした」等の投稿が見られることがあるが、投稿主は間違いなくこの時代を生きた「おたく」だろう。オタクを表明することをできず、趣味を隠しインターネットの繋がりで何とか凌いでいた時代があった。

「おたく」がそうであるならロリコンは言わずもがなだろう。

 

(2)コンピュータソフトウェア倫理機構の発足

1980年から1990年にかけてPC-88からPC-98に、8bitパソコンから16bitパソコンの転換期に様々なアダルトゲーム(美少女ゲーム)が制作されるようになっていた。当時の表現規制はメーカーの自主判断に任されており、その為にメーカーは競うように際どい表現を行い、メーカーによっては裏コマンドでモザイク修正を消す機能を搭載したアダルトゲームを発売するような現状にあった。

それを動かしたのが「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」を経て世間のまなざしが変わった後の1991年に起きた「沙織事件」と呼ばれる騒動だ。1991年に発売された『沙織-美少女達の館-』を中学生が万引きしたことにより始まり、わいせつな表現物が青少年の犯罪を誘発したとされた。それによりブランド母体の会社とその親会社に家宅捜索が入り、両者の社長が猥褻図画販売目的所持で逮捕されるに至る。

1992年のガイナックス『電脳学園』有害図書指定も経て、そのような批判への対応として日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(1990年より18禁シールを希望したメーカーに配布していた)の働きかけによりエロゲメーカー、流通会社、出版会社の協議の元でコンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)が発足した。

表現全般が規制されることになり、18歳未満の性描写、近親相姦、同性愛、獣姦、凌辱…等々、女子校生などの年齢を示唆する言葉も使えなくなり勿論、ロリ・ロリコンも禁止になった。

 

(3)児童ポルノ法の成立

日本は1989年の第44回国連総会に採択された国際条約「児童の権利に関する条約」を1994年に批准した。この条約が採択された理由はアメリカでの児童を対象にした性犯罪を問題視する世界的な流れがあったからだ。

その中の第34条が下記の文章で

第34条
 締約国は、あらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から児童を保護することを約束する。このため、締約国は、特に、次のことを防止するためのすべての適当な国内、二国間及び多数国間の措置をとる。

(a)不法な性的な行為を行うことを児童に対して勧誘し又は強制すること。

(b) 売春又は他の不法な性的な業務において児童を搾取的に使用すること。

(c) わいせつな演技及び物において児童を搾取的に使用すること。

「児童の権利に関する条約」

全文

日本には(c)に対応する法律が無かった。その為に作られたのが1999年に施行された「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」で、俗に児童ポルノ法、児ポ法と呼ばれるものだ。この法律は実在する児童に限って保護するものではあるが法案の段階では対象がフィクションまで含まれており、現在でも度々そのための議論が行われている。

この法律で児童ポルノの提供と製造が違法になった為にロリコンブームでつくられた実写的なものは商業の場から消えている。その為ジュニアアイドルの市場が活性化した。2014年の改正からは単純所持も違法となっている。
 


 
そろそろ現代のロリコンの話に入って話をまとめたいが、絶対にロリコンが避けては通れない道があるので次はその話をする。ロリコンオタクなら誰もが知っているフレーズ、『YES!ロリータ NO!タッチ』についてだ。

 

『YES!ロリータ NO!タッチ』

この文面をロリコンが当然のように知っているのは他ならぬロリコン自身がこのフレーズを好んで使っているからだろう。これの出典は『COMIC LO』のvol.3であり、経緯などは編集長であるW氏がCOMITIAの『編集王に訊く』内にて回答している。
 

『LO』のキャッチコピーの「YES!ロリータ NO!タッチ」というのは実は2号目の時に宮村さんが考えてくれたコピーなんです。

最初のデザイン案にそれが入っていて、すごく良かったので今まで使わせていただいてます。私は昔の公共広告のCMが尖っていて大好きなんですけど、「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」に通じるセンスですよね。

やはり性欲は恐ろしいものですから、『LO』が「絶対に実在のロリータに迷惑をかけてはいけない」と言い続ける意義はあると考えています。


意味に関しては、近年『COMIC LO』関連でちょっとしたボヤ騒ぎがあった時にCOMIC LO編集部から声明が出ており、その中で『YES!ロリータ NO!タッチ』について言及が為されている。
 

リアルとフィクションを粗雑に結び付ける行為は断じて許されず、弊誌をご愛読されている皆様も同じ思いであると信じております。

「イエスロリータ・ノータッチ」という言葉には、フィクションをリアルに持ち込まない、という願いが込められています。

弊誌編集部は、実在する性犯罪を憎み、決して許さず、実際の行為と妄想の断絶を信じ、フィクションを愛する方達に向けてCOMIC LOを作っています。

(ご愛読されている皆様にとっては繰り返しになりますが、決して忘れてはいけないことですのであえてお伝えしています。)

https://www.akaneshinsha.co.jp/news-ad/21038/


また、『COMIC LO』がちょうど20周年を迎えた2022年11月号では表紙裏で改めてこのフレーズについて言及している。

つまりは「欲望を抱く自由はある、欲望に従って行動する自由はない」ってこと。

 
「法律の元で内心の自由はあるけれど、犯罪の自由はない」ということを『COMIC LO』は伝え続けている。

その理由は『COMIC LO』が児ポ法の影響であった「ロリ漫画はもともとそんなに売れないし、リスクもあるからやめよう」という業界全体の流れに対してロリ漫画の存続を目的とする雑誌として創刊された雑誌であるからだ。

だからその原因を作った性犯罪に対して「絶対に許さない」や「憎む」というスタンスをとっており、それをカジュアルにしてロリコンオタクに、そしてロリコンオタク同士で戒める目的で伝え続けているのが「YES!ロリータ NO!タッチ」という言葉ということになる。

 

現代のロリコン周囲にある新しい価値観

 
ここまでのロリコンに纏わる話をまとめると、初期の「ロリコン」はナボコフのロリータを由来にした実在的な少女を好む人間を指す言葉で、次には実在非実在問わない少女愛好者を指す言葉になり、最後には世界と日本の犯罪によって性犯罪者という意味をも含む言葉になった、という内容になる。

しかしながら現代、そのような背景があるのにも関わらず「ファッションロリコン」という言葉が生まれており、ロリコンではないのにロリコンを名乗るとされる人々の存在が確認されている。

この「ファッションロリコン」という言葉はオタクがオタクに対して使うものだ。つまり「オタクが持つロリコンのイメージとそぐわない”ロリコンを自称する人間”」を指す言葉である。
 

周りから見て言うほどロリコンではない、「ロリもイケる」人間がロリコンを名乗っている。ここまでの流れを組むとロリコンを名乗ることは今ではもう悪影響ばかりであるはずであり、そのような人間がロリコンを示すメリットは無いはずだ。それでもあえてロリコンを自称する人間が居るという事はそこに新しいロリコンの意味があるという事であり、ロリコンを名乗ることに何等かのメリット、価値があるという事を示している。
 

ではその正体は何なのか、結論から述べる。
現代においてロリコンはパンクな個性という意味をも有している。

SNSをやっている人間であれば1度は見たことがあるだろう、異常性癖アピールだとか性癖バトルだとか呼ばれるものである。ドラゴンカーセックスとかポケ姦とかで盛り上がる。最近だと「逃げ上手の若君」関連の話題でファッションホモという単語が飛び出していたが、それもこういう文脈の流れに嫌気をさした人間の反応だろう。匿名掲示板からは「異常性癖偏差値」なる表があったりと性癖は面白い話題にされることが多い。

その背景の中でロリコンは異常性癖寄りの意味を持つ。インターネット個性バトルにおいてそこそこの強さだ。さらにロリコンは社会的な風潮に反する存在であり、社会的にはそこそこアウトローになるのでオタクという狭い世界においても目立つ存在となる。オタクには前述してきたようなロリコンへの忌避感があまりないからだ。

社会的には名乗るメリットがないからこそ、それを自称することに面白く目立てる、逆に漢らしく見えるという価値がある。

だから「ロリもイケる」人間がロリコンを自称することには十二分の意味と価値があるのだ。

 

結局ロリコンってなんなんだよ


これから、「ロリコンとはこうだ」とか「ロリコンはこう在るべきだ」なんて話をする気はない。そもそもロリコンは定義が定められていない言葉であり、誰もが曖昧に用いている言葉だ。ロリコンは少女愛好者ではあるが、ロリコンで在るからといって小児性愛者とは限らない。だからロリコンの意味は個人個人が定めればいいと思っている。

だからここからは「俺にとってロリコンはこうだ」と「俺がロリコンとしてどう在りたいか」を語っていく。
 


 
俺のロリコン性は後天的に獲得した、あるいは何かを獲得出来なかった故に嗜好が変化しないまま成長したから在るもので、だから気づいた時にはロリコンだった。何処かしらで俺はロリコンだと自覚していた。

1982年5月号の『アニメージュ』の中で内山亜紀が「ロリコンというのは無抵抗なものを自分の意のままに動かしたいという欲望が基本にある」と語っており、これには自分も同意している。誌の中でそれは「誰にでもある」とも語られているが、ロリコンはこの性の目覚めに興る初期衝動が変わらずに残ってるんじゃないかと思う。

最初の方に記述した小児性愛者と小児性犯罪の傾向に当てはめると退行型、あるいは社会不適合型だろう。だから性的な対象に安心感とか安らぎとかを求めている。だから俺はロリでしかシコれないなんて事は無くて、母性的なもの、忠誠的なもの、自意識が希薄なもの、人とは違う理で動いている・人外・上位存在とかも好んでいる。

だから俺のロリコンは俺の弱さが生み出したものの一部であり、「ロリもイケる」人間だ。全てじゃない。

 
ロリコンなのが「俺」ではなくて、「俺」の中にロリコンが在る。けれど、それは俺の中の譲れない一線のひとつで、ロリコンじゃないとは言えない。そこを否定してしまうと、俺の弱さが無かったことになってしまう。弱かろうが積み上げてきた価値観の集合体が「俺」で、その一部を否定してしまうと「俺」が何なのか分からなくなる。無かったことには出来ない。
 

そんな感じなので、俺はロリコンの定義ってのは個人個人で定義するべきで、真に大事なのは「ロリコンで在るという自覚」だと考えている。そもそもロリコンは曖昧な概念であるから完璧な定義はできない。しかし、自分の価値観をロリコンだと定義することは出来る。だから経験とか知識を一切合切考慮した上で自分のことをロリコンだと思ったのならば、その人はロリコンになる。

それに加えて、風潮なんか関係なく「俺はロリコンだ!」と思ったならば、それは譲れない一線で、その人の個性だ。逆にそこで風潮とかを気にして「ロリコンなんかじゃない!」なんて思うならば、ロリコンは譲れない一線では無いということだろう。ロリコンではない。

 

ではロリコンの自覚があり、ロリコンなくして俺はないと考えている人間がこれからどう在るか、どうしたいかって考えた時に、俺はロリコンを最大限に楽しみたいと思った。ロリコンで在ることを否定できないなら、そこに後ろめたさを感じたり、悩んだりすることに意味はないからだ。

ロリコンは弱さによる経験が生み出したものだし、社会的には良くないものだから否定したくなるかもしれないが、不可逆だ。ロリコンを自覚する前には戻ることは出来ない。

だから、戻れないなら先に進むしかない。故に俺はロリコンを最大限に楽しむために、力強く、誇り高くロリコンをやっていこうとしている。
 


 
ロリコンを誇れるのか?って思われただろうが、俺は誇れると思っている。それはロリコンがパンクだからとかではなくて、人間は自覚していないだけで誰もが本当はパンクで、誰もが誇りを持って生きているからで、当然ロリコンであっても可能というだけの話だ。
 

パンクといえば自分らしさに妥協しない生き方のことを指すのだろう。そのなかで反権威的であったり、攻撃的であったりする。何かに縛られて我慢するような受け身の生き方をせず、能動的に生きようとする。されども心は、そもそもとして、誰かが縛れるようなものではない。
 

普段、我々が人を殴ったり、物を盗んだりしないのは何故か。ルールを守るのは何故か。禁じられてるってのはそうなんだけど実際はそうじゃない。やろうと思えば実行に移せるからだ。だから理由は別の部分に、本質的なところにある。その本質的な理由は「楽しめなくなるから」ということだが、それを証明する為に2パターンの例を出す。
 

(1)他人との間にある恐怖
人を殴ったら自分も殴られる、人のものを盗んだら自分のものも盗まれる。そこまでいかなくとも和を乱す人間として悪い扱いをうけるし、いくところまでいけば捕まることになる。そのように自分が被害を被ることに対して了承する事が出来ない、納得できない、楽しさを失うから違反できない。

だからルールを守ろうとする。
 

(2)自分の中だけにある恐怖
上記の例は被害を被る前提の話であったが、ここにおいては違う。例えば無人販売所の野菜や、深夜の歩行者用信号機などで人の目が無い時、あるいは誰もがルールを無視しているなどでルールが形骸化している時、つまり破っても問題が無い時にもルールを守るかという状況だ。

その場合においてもルールを守る人は居る。しかし本当に守っているのはルールではなく、その人の中に、自分の中にある誇りだ。その違反を咎める人はいない、しかし自分が自分を咎める。違反することに後ろめたさを感じてしまう。1度ルールを逸脱した記憶は不可逆に残り続ける。そうなると人生に魔が差す、楽しさが欠ける。「自分」を保持していた誇りが無くなって、「自分」が分からなくなる。そこに人は恐怖し、違反に納得ができない。

だからルールを守ろうとする。
 


 
つまりだ、真に人を縛っているのは一切合切を考慮した上でそれぞれが心に抱いた、楽しく生きる為の「掟」だ、それは価値観ともいう。

そして「掟」は譲れない一線だ。人は経験や知識を基にした、自分らしさを守る為の「掟」に従って生きている。

子供時代には気にせずやっていたのに、大人になると気にして出来なくなったような行為は全て「掟」が更新された為による。

だから本当は、人は自らの心に従う自立的な選択をして、出来る限りに楽しい人生、自分らしい人生を選んでいるはずで、そこには少なからずパンク性がある。世間的な意味でのパンクな人々は誇りを守る「掟」の為に逸脱的な行為をしているに過ぎない。一切合切考慮した上で、逸脱しないことにより得られる楽しさよりも、逸脱することによる楽しさが勝っている人々だ。誇りを守るために、そうせざるを得ない。

 

ロリコンも同じこと。ロリコンってのは弱さによって生じたものであるが、それは法律を学んだのと同じように、経験や知識を基にして生じたもので、自分らしさに含まれている。であれば、楽しい人生の為に「掟」を更新するのは自然の理だ。誇らなければ、何が何やら分からない。

だから力強くロリコンをする。世間の風潮を気にしたところで俺がロリコンで在るという自覚は変わらない、俺が楽しく生きる為には関係がない。気にせずに、楽しくなれることを出来る限りにやっていく。

だから誇り高くロリコンをする。俺が楽しく生きられなくなるような事はやらない。それだけの話だから、そういうポーズを取る。

 

ただこれらには真に「世間のあれこれと自分は関係が無く、空想を楽しんでいるだけ」ということを証明したいという打算もある。

本当に関係が無いなら、何かを憎んだり何かと争ったりする必要は無くて、だから「ただ空想を楽しむ事を続けていく為に不必要なことは絶対にしない。その掟を守る誇りがあるから俺は力強くロリコンをやっている。だから現実の問題とは関係が無い」という理屈で在ろうと思う。


だからもう、誰がロリコンで、誰がロリコンでないとかどうでもいい。
ロリコンが弱いとか強いとかもどうでもいい。
傷の舐め合いなんてする必要がない。

彼女がいるロリコンだろうがファッションのロリコンだろうが関係ない。
俺はロリコンを最大限に楽しむ為に、好きなものを好きだとはっきり言えるしロリコンで在ることを誇れる人間同士で好きな話をして楽しみたいだけで、とにかく前に進みたい。もう停滞は十分だからだ。

そんな場所が無いから俺がつくった。
 

 
俺は最大限にロリコンを楽しみたい。
だから、後はお前の到着を待つ。
ロリコンの自覚こそがロリコンの本質だ。
 


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