8歳女児短編集②
最近は毎週土曜日は友達2人を誘ってterrariaをしているのですが、これをマジで楽しみにしている。
この間は1人が参加出来ず、「欠席聞いた時にショックすぎてterrairaやりたいやりたいやりたいやりたい~!!!!って感じだったわ」と話したら、
「○○は未だに子供の感性を持っているね」としみじみと呟かれ、
「まぁな。」としか言えなかった。
これお互いにどういう気持ちだったんだ。
お前もどういう気持ちでそれ言ってんだよ。
500歳のおばあちゃんなら、そんなエッチな服を着るのをやめろ。
やめないでください。
”笑”って頭に付けてもいいんだ
やっぱり他人と多く接する人間の方が、自分の言葉によって相手がどう感じるかっていうのをよく知っていて、それを文章にも活かせている。
文章を書く人間として、こういう目線ってのは鍛えていきたいよな。
伝え方って大事で、人には心があるから本当に伝えたいことがある場合には、その人の心に伝わるように言葉を選ぶ必要があるんだろうね。
「”笑”って頭につけても良いんだ」という学びは家族(フォロワー)とのコミュニケーションに生かします。
前年の使用金額で割引率が変わるDLsiteのエイプリルクーポンバトル(毎年恒例)で俺は35%だった。俺の勝ち。
人間賛歌
『CANNONBALL』と『SEVEN BRIDGE』というエロゲをやっていました。
メーカーはライアーソフトでライターは星空めておさんです。
星空めておさんの作品では『Forest』と『腐り姫』をプレイしたことがあり、そこで彼の文章というか世界の描き方のファンになった。
彼の作品では人間の美しさが克明に表現されているように思う。
人間讃歌みたいな。
これまでに話したか話してないか分からないが、俺は人間讃歌が大好きだ。ジョジョとかカイジとか、ワンピースとかリゼロにもあるかな。
リゼロ主人公のスバルは死に戻りという権能があるので1度起きたことを無しにして別の可能性を手繰りよせることができるのだが、それによって1度自分を殺した相手とも仲良くなるという自体が発生する。その自分を殺した相手とも仲良くするのは明らかに異常で、その異常性も指摘されてるんだけど、スバルはその上でこういう価値観になってるのが良い。
こんな感じで、星空めておさんの作品は1人の1人のキャラクターをきちんと描いてくれて、悪い部分も良い部分も含めてそのキャラクターなんだと思わせてくれる。その上でそのキャラクターを好きにさせてくるから好きなんだよなぁ・・・
ワンピのMr.3とかアラバスタ編ではクズ野郎だったけど、インペルダウン編で見せた熱い部分があるから、俺はめっちゃ好きだ。
加えて星空めておさんの作品は”生”と”死”、”意味”と”価値”とか、答えが出ないような問答に対して真剣に向き合っていて、そこでもやはり、人間の美しさのようなものが描かれている気がする。
色々含めて『CANNONBALL』も『SEVEN-BRIDGE』も熱い物語だった。
そんなわけで最近は意味や価値について考えていた。
曰く、価値は相対的で、意味は絶対評価らしい。思考のベースはこれ。
自分が存在する意味は絶対評価で、自分の考えによる。けれど自分の価値は相対評価で決まるから、別の存在との間で決定される。
すなわち自分が存在する意味と自身の価値の間には断絶がある。
だから自分の存在する意味と自分の価値は乖離して、時に自分の存在する意味を見失いかけてしまうのだけれど、自身の価値は相対的で、他存在の観測を持って決定されるものだから、自分が為したことでしか評価されないもので、それだけで自分の存在する意味を考えてしまうのは間違いだろう。
意味は絶対評価だ。これは必ず自分の考えで決まる。
だから自分の存在する意味は自分で自分をどう評価するのかということで、
故に他人に見えない部分、観測されない部分も含めて考えたものが、自分の存在する意味になる。
だから自分で自分に意味を与えてやらねばならない。
人生において選択を迫られて、「あの時に別の選択を選んでいたら…」と思うことは多々あり、実際に選んだ選択を無意味だったと感じる時はある。
けれど、その時に別の選択を選べなかったということは、選んだ選択がその時点での最善の選択だったということで、それを後になって「間違いだった」と気付いたならばその経験を通して変化することが出来たということで、その選択には意味があったということになる。
そうやって考えると、今までの全てには意味があり、存在することには意味がある。そうやって変わり続けることが出来るなら、将来的に何かを成せるまでに至る可能性がある。だから、自分の存在する意味は過去から未来までの自分で評価し、決定するのが正しい。
「自分が何者で、何が出来る奴なのか、地球に行けば解る気がする」
MS08小隊の主人公がこのように言っていたが、
これを考え続けるのが人間の一生で、存在する意味なんだろう。
自分だけでなく、全ての意味や価値について考えることも、存在する意味に含まれるような気もする。だからスバルくんの考え方は素敵やね。
『意味に意味は無し、価値に価値は無し、人は生きる為だけに生きている』
ブッタの悟りの概念は優しく平等な世界であるが、俺は不平等な世界で意味と価値を考え続けるからこそ、人間は美しいと思う。
だってこれには絶対、そういうのがあるだろ…!
おい聞いてんのかブッタァ!
これに意味はあるよなァ!
これに価値はあるよなァ!!
ブッタァ!!!答えろォォォ!!!!(もうええ)
こういうのを思いつきたいです
これ元ネタとかあんのかな。
調べても出てこなかったから、この「ポッポー」という応答のかけ声はオリジナルのものかもしれない。
にしてもこういうの凄くカッコいいな。
これは列車の従業員をやってるキャラクター達の間だけで交わされる応答の挨拶なんだけど、俺が何かしらの役割に憧れてるからだろうか、役割らしさのある言葉をカッコいいと思ってしまう。
良いよなぁ~って思ったから自分でも考えていたんだけど、俺はエロとインターネットピエロだけで生きてきたから、当然考え付くのは”そういうやつ”なんだよな。けどそれが今の最善だから、これから考えて、思いつけるように成れば良いって事やね。
ぴゅっぴゅー!ママ!
白いおしっこが出ます!
濃く!
俺が何者で何が出来る奴なのか
ハンターハンターで好きなキャラクター。
これは断然、グリードアイランド編に出てくるビノールトさんですね。
彼は正にカルト的な人気を誇るキャラクターで、賞金首ハンターなのに本人が賞金首、髪の毛を食って相手の情報を得る能力、髪を食った直後に武闘家として手合わせを希望する、という一見すると意味不明なキャラクターだ。
しかしながら、その混沌とした属性が
このセリフひとつで全てが結びつく面白いキャラクターでもある。
なんつーか、将来の夢はパイロットだとか小説家だとか言って20歳後半には結婚とかしてるんだろうな、と思っていたのにロリコンの女叩きになってしまった俺は、彼に共感する部分がある。
どうしていきなりビノールトさんの話をしたかというと、また俺は彼への共感を強めてしまったからだ。
ドラえもんの最新映画を見に行きました。
ゲストキャラクターがロリで可愛かったからね。
観た感想としては微妙。ロリが目的だったのはそうなんだけど、やっぱりジャイアン、のび太の活躍するシーンが観たかったのもあるし。そういう熱さが無ければロリキャラも活躍しなかった。
最初にロリはのび太のことを『ほのぼの眼鏡』と呼んでいて、最後にはこっそりと『お兄ちゃん』と呼ぶのは良かったと思うんだけど、のび太がそのように敬意を持たれるほどカッコよくなかったので納得は出来ない。
このようなことをツイッターで呟いていたら、俺の家族(フォロワー)がこう返してきた。
ニョとは女の事である。俺達は最悪なので女(め)とか女(にょ)とか言う。
このツイートの意味としては、「お前は普段から女のシナリオライターを叩いているのに、何故にドラえもんの映画を見に行ってしまったのか」だ。
いや、最近は本当に女を叩くのを辞めようと思ってて、シナリオライターが女だとかは先に調べたりはしないようにしてて、純粋にロリとジャイアンを楽しみに観に行ったのに、結果的に女脚本家叩きになってしまった。
俺はまともに楽しみたかっただけだ。
けどこうなるんだったら、俺は今そのような存在だということなんだろう。
俺は何者で、何が出来る奴なのか。
俺は女叩きで、女を叩く
八つ裂きにしてやるよ、オレの”切り裂き美容師”で———。