愛を叫ぶ

わたしは、つい先程までわたしであったはずものを、薄暗い瓦礫の中で見下ろしていた。


「あなた、行ってらっしゃい。」

「ああ、行ってくるよ。」

軽くハグとキスをして、玄関に向かう。我が家の朝、いつもの光景である。

「近々大きな地震があるかもしれないっていうから、氣を付けて行って来てね。」

「はは、そうなってしまったら氣の付けようがないな。」

「そうかもしれないけど……。」

わたしの妻、サヤカは俗に言う陰謀論にご執心だ。わたしも理解を示さない訳ではないものの、だからといって何か対策したりするほどではない。

「パパ!今日は早く帰ってきてね。帰ってきたら一緒にゲームしよう!」

「分かったよ。じゃあ、そろそろ行くね。」

「うん、行ってらっしゃい!」

息子ともハグを交わし、車に乗り込む。職場までは約40分の道のりだ。

音楽を聞きながら、いつもの走り慣れた道を行く。川沿いの道に差し掛かった時、ふと妻の言葉を思い出した。

(台風の後とかは、なるべく川沿いの道は避けてよね。)

車で移動する以上、一定のリスクは付きものだと思うんだけどなぁ。サヤカらしいけど。

信号待ち。その先には高架道路が伸びている。あの道も、「地震が来たら!」って言うのかな。どこにも行けなくなっちゃうな。

そんな事を思いながら運転していると、突然ハンドルが利かなくなった。いや、アクセルもブレーキも利かない。道が、大地が畝っている。

「……地震だ!」

そう氣付いた時には、世界は反転し、わたしの意識は体と共に墜ちていった……。


そして今、わたしは瓦礫の中、ぺしゃんこに潰れた車の中にあるわたしだったものを見ている。

正確に言うと見えてはいないのだが、ちゃんと感じる。物質に阻まれていようとも、そこにあるのが分かる。

これが魂というものか。頭では分かっていたつもりでも、経験してみないと細部までは分からないものだ。

さて、どうしようか。あれに入ったとてわたしが生き返るとは思えない。もはやあの器は壊れてしまっている。

ふと周りを見渡すと、似たような境遇の魂がチラホラ居るようだ。道路の崩落に巻き込まれたのだろう。

皆、一様に壊れた器に縋り付いている。そして、どんどん存在が薄れていき、遂には消えてしまった。

これはマズい。わたしはまだ消えるわけにはいかないんだ。

魂になることによって、世界の理を理解してしまったから。妻が信じる陰謀論が、少なからず存在することも知ってしまったから。

消えないために、わたしに出来ることは何だ?とりあえず観察するしかないか。ルール…なんてものが通用するかどうかは別にしても、探らねばなるまい。

少なくとも時間経過ではないようだ。皆薄れていくのに、わたしは一向にそうならない。

観察を続けるうち、わたしはある程度のルールを把握した。

まず、意識が薄れていくと、存在も薄れるようだ。状況を理解出来ずに呆けている魂を見ていると、緩やかに薄くなってきている。

そして、この魂は何らかのエネルギー体であるということ。

魂自身が移動する分には、質量が殆どないのかほぼ消耗はしないらしい。しかし、この世の物質に物理的な干渉をしようとすると、みるみる存在が薄くなっていく。

自らの器だった物に縋り付いていた魂が消えていったのはこのためのようだ。動いたかどうか分からない程度で消えるなら、ほぼ物理干渉は不可能だ。

出来る中でやるべきことを考えねば。


わたしをこんな目に合わせた地震を起こした連中は分かっている。しかし、本当にあったんだな、人工地震なんて。

他にも空に重金属を撒いたり、色々良からぬ事をやっているようだ。妻や息子のためにも、その活動は妨害しておきたい。

多少の時間稼ぎなら、今のわたしにだって出来そうだ。

空に撒かれた重金属は、雲のようにしばらく浮かんでいる。この程度の質量ならば、そこまで魂を消耗せずとも移動させられるだろう。

連中の活動拠点、研究所、工場。全て無人になるような時間は流石に無かったが、手薄になる時間帯は把握した。

可能な限り、人的被害は最小限にしたい。わたしの目的は復讐ではないのだから。連中の活動に一矢報いること。自らの撒いた種をもって。

照準を定め、空中からそこに至るまでの経路に、撒かれた重金属を移動していく。

時々存在が薄れる感覚に陥るが、意識を強く持てば何とかなりそうだ。後は着火するだけ。

全ては因果応報、神鳴りという天罰が下るのだ!

その日、日本各地では晴天でありながら至る所に落雷が発生した。建物などの被害は大きかったが、幸いにも死傷者はいなかったとニュースは告げていた……。


妻よ、息子よ、見てくれていたか?今のわたしでやるべき事は出来た。

まだ存在が消えていないとはいえ、魂のエネルギーはだいぶ消耗してしまった。このままいくと、遠くない未来には消えてしまうかもしれない。意識が強く保てないのだ。

とはいえ、もうやり残したことはないよな。妻も息子も、一時的とはいえ護ることができた。上出来じゃないか……。


そんなはずないじゃない


ああ、魂ってやつは嘘がつけないらしい。疲れたからって休む言い訳はさせてくれないようだ。

会いたい。愛する家族にただ会いたい。

そう願った刹那、わたしの魂はその場から忽然と消えた。


更に存在が希薄になったわたしが居たのは、懐かしい我が家の前だった。

中には愛する妻が居る。突然の悲しみはまだ癒えていないようだ。

このまま、存在が消えて亡くなるまでずっと見守り続けようか。いや、そんな事をしても何もならない。

たとえこの魂がこの世に留まることが出来なくなっても、伝えなければならないことがあるのだから。

強く意識を保って、家の中へと入っていく。中は雑然としていた。片付ける氣力もないのだろう。

リビングには、テーブルに顔を伏せているサヤカの姿があった。

声をかけようとすると途端に、存在が激しく薄れていくのを感じた。

折角ここまでやってきたのに、今のわたしには何も出来ないのか……

無力感に苛まれていると、サヤカの啜り泣く声が聞こえてきた。

「……あなた……。どうしてこんな……。ただもう一度、会いたい……。」

心がざわつく。思わずわたしは、魂を燃やして最愛の妻の名を呼んだ。

(……サ……ヤ……カ……)

「!?この声は……?あなたなの?そこに居るの!?」

魂の力は、今まさに燃え尽きんばかり。少しでも氣を抜けば消えてしまいそうだ。だがここで朽ちてなるものか。魂一片残らず燃やし尽くせ。この想いを伝えるために!

(サヤカ……愛してる!)

「あなた!お帰りなさい。そしてわたしも愛してるわ!!」

サヤカはわたしがそこに居ることを知っているかのように体を重ねてきた。見えるはずはないが、きっと分かるのだろう。

(すまない、サヤカ。こんな事になってしまって……)

「謝らないで。こうして会いに来てくれただけで充分よ。恐らくもう、時間が無いんでしょ?」

無言で頷く。何もかもお見通しのようだ。

「すまないもさよならもいいの。欲しいのは一つだけ。最期にもう一度、聞かせて?」

ああ、分かったよサヤカ。消え入りそうな力を振り絞ってサヤカを包み込み、そっと口付けを交わす。

サヤカは潤んだ目を閉じ、わたしの最期の言葉を待っている。

(愛してるよ、サヤカ。)

「わたしもよ、あなた……。」

瞳から溢れる涙に溶け込むように、わたしはその存在を消滅させた。


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