節分の風景_池上本門寺の夕暮れ
節分は、プロレス界では池上本門寺に豆まきに行くと決まっている
他団体レスラーと一緒の写真におさまることすら難しい時世でも本門寺の節分追儺式だけは呉越同舟で面白いシーンが見られる
ファンのころは大乱闘が起こるのでは!と心配していたが、檀家総代である東スポ太刀川社長の仲介に支えれらる年一スペシャルイベントだった
90年代初頭、超世代軍がスタートした時代
とにかく元子さんが信頼していたのが三沢さんだった
三沢さん社長時代以降の人間関係が表面に出すぎているから理解できないだろうけれども
三沢さんのリーダーシップを見抜いていたのは元子さんだったんだよなぁ
わがまななベテランレスラーの愚痴や若手レスラーの振る舞いに対する小言とか、レスラー間で社長に上がってくることは、すべて元子さんは三沢さんに相談していた
全日本プロレス社内だけで通用する暗号「親指」が馬場さん、「小指」が元子さん
後楽園ホールなどで試合前、元子さんが「三沢君を呼んできて」と指示が出る
スタッフが超世代軍控室に向かい、三沢さんに小指を立てて「お呼びです」例のムフフ笑いをしながら「またぁなに?」と言いながら出てくる光景が頻繁にあった
レスラーっぽくない頼み事も頼めるという部分があったんだろうと思う
節分の時は福豆が欲しいけれど、現場に行かない元子さんは豆をまく三沢さんとアテンドの僕へミッションを課した
「あなた三沢君の投げた豆をキャッチしてもらってきて」
気軽に言ったんだろうけど、言われたほうは必死になる
いよいよ豆まきスタートとなると、ドキドキしながら境内の人垣の後ろ、少し離れた目立つ場所に陣取る
特設大舞台上の三沢さんに向かって必死にアピる
ここにいます、ここに投げてください
取り逃したらコトである
流石は三沢さん、見事なコントロールで、シュルシュルと飛んできた豆の一袋
無事に手中に収めることができた
午後3時から始まった追儺式も無事終わり、レスラーを送り出しほっとしながら夕暮れの本門寺の階段を下りながら乃木坂の事務所に急いだ
考えたら三沢さんも僕も真面目だなぁ
翌年からは、こっそりポケットに忍ばせた一袋を「はい、もっつぁん用」と渡された
※このころ、三沢さんは元子さんをもっつぁんと呼んでいた
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