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自己紹介

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はじめましてエイトです👍

33歳、寅年のバツイチです。

Twitterでは初心者の方に
Twitterの楽しみ方や活用法を堅苦しくなく
笑を織り交ぜながらツイートしてます。

フォロワー様の数も1000人ちょいですが
これでも僕の発信で笑顔になってくれる人達が居て、たまにお礼を頂きます。
その度に、やってて良かった!
こんな自分でも人の役にたてた!
最初の滑り倒した日々を乗り越えて良かった!

と泣きそうになります。

この場を借りてそんな皆様に言いたい!
『僕の方こそ、あなたのその一言で救われてます。本当にありがとうございます!』

なぜ僕がこの活動を始めようと思ったかと言うと、

やっぱり始めは辛くて

・ツイート誰も見てくれない
・いいね1つけば奇跡
・リプとか生きてる間に誰かしてくる人いんの?

とか思って何が面白いんだよ!
ってグレてました。笑

ただ、インフルエンサーと言う人がいるのは事実!
自分と同じ人間がインフルエンサーになってるんだ!
自分に出来ないわけがない!
だって同じ人間だろ!

火がつきましたね!
僕は小さい頃から負けず嫌いで、のめり込むと周りが見えなくなる性格でひたすら研究します!
そこでまず1000人の壁を破る目標を立てました。

1000人までした事は別にnote書きますので割愛します。

そして今、1000人を達成して思う事。
始め数十人の時とは明らかに世界が違う!
何が違うかと言うと

・いいね10件とかは普通に着く
・リプしてくれる人が居る
・たまにコメ付きRTしてくれる
・たまにインフルエンサーの人がリプくれる
・たまにインフルエンサーの人がいいねくれる
・顔なじみ(アイコン馴染み?)の人とか気の合う仲間が出来る

他にも一杯あります!
こうなるとマジで楽しいです!
この楽しさを1人でも多く伝えたくて活動しています。

そして僕がインフルエンサーになったら
もっと発言力も高まるしその力を全力で
これから発信を始める方に注ぎたいと思っています。

とここまではTwitterでの活動内容です。

ここからは僕の今日までに至る簡単なストーリーをお話しします。
ちょっと面白い人生を送ってますので
お時間ある方は是非覗いてって下さい。

需要があるか分からないので、
興味ない方は読まなくて大丈夫です。


高校生編

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僕は高校生まで根っからの野球少年
中学生まで本気でプロ野球選手になろうと思ってた。
毎日、素振りと筋トレは欠かした事はない。
手だけ見たら子供の手ではない豆だらけだ。

そんな僕の初めての挫折、強豪高校の野球部へ入学し自分のレベルの低さに衝撃を受けた。
(一応僕も推薦入学の話も頂いてた実力だった)
でも、3年間続けて僕の代には春の選抜で甲子園も出場している!
一応プロ野球は諦めたが甲子園までは夢を叶えた。

この高校野球で得た【根性と継続力】は今でもしっかりと根付いていると思う!

甲子園出場と言う肩書を手に入れた僕は、大学進学については願書だけで入れる資格があった。
(マジですよ!東大とか医大とか頭いい大学とかは無理ですけど)

だが就職と言う道を選んだ。
正確には選ばせてもらえず、学校紹介の本を適当に開いてそのページに載っていた学校に進学した。
辞める気120%だったから。

なぜ就職と言う道を選んだかと言うと
野球が終わり、夏から学校に行く意味が分からなくなり卒業式まで不登校になって外で遊びまくってた。
今では時代が違うが、その当時の高校生の遊びだ
ここでは言えない様な悪い事ばかりだ。
そんな事しててふと思った。

遊びは高校卒業までだ。
周りは大学入ったら何して遊ぶ?だの話してて
ハッキリ言って虫唾が走った。
そんな無駄な4年間の使い方があるかよ。
そして、卒業式の日みんなにこう言った

『大学なんて行かなくたって、お前らより金持ちになっていつか新聞か歴史の教科書に載ってやるよ!』

まぁ、いつもこんなバカな事言ってるから笑が起きた反面
お前なら出来るとも言われた。
それはそれで少し嬉しかった。

専門学校編

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そして、問題はここ専門学校だ。
適当に決めたもんだから、まさかの上京をする羽目になった!
これは予想外だった。
本当に予想外だった。
マジで予想外だった。

東京に行く手配を親にしてもらっては、
流石に申し訳なさすぎて辞めるに辞められない。
大学で無駄な4年間を過ごすのと同じくらいの罪悪感が襲った。

色々考えてみた結果、卒業はしようと決めた。
途中やりたくない事をやってる自分が許せなくて
親父に土下座して辞めたいって言った事もあった。
親父は

『もう大人なんだから好きにしろ』

こう言ってくれた。
だから逆に辞められなかった。
当時まだ反抗期で親父なんて大っ嫌いだったが、
その言葉に隠された計り知れない優しさを僕は感じ胸が苦しくなった。
だから、裏切った気がして最後までやり通すと決めた。

ちなみに親父は、
自由人で当時の見た目はラッツ&スターの桑マンその物でよく間違えられていた位だ。
週末は、朝早くからサーフィンに出かけて日曜の夜まで帰ってこないし
家にいればいたでガミガミ説教が始まる。
長期休暇は、もちろん海外にサーフィンしに行って帰ってこない。
だから、あまり親父と遊んだ記憶はない。
そんな親父は学校の先生だ。笑

話を戻そう。

専門学生の間は学校と仕事の繰り返しだった。
仕送りも途中で断って一人で生活した。
当時は派遣会社が全盛で仕事は腐るほど貰えた。
昼学校→夜夜勤→朝そのまま学校
この繰り返しで土曜とかはトリプル勤もした。
(トリプル勤とは朝8時から8時間勤務、そのあとぶっ続けで夜勤8時間の後におまけに次の日の朝8時から8時間勤務)
そんなんで専門学校行きながら月20万以上稼いでた。
今の時代ならネットで稼いでいたかもしれない。

この高校野球と専門学校時代の経験が今の僕の原点だと思う。
【諦めない継続力とお金に対する考え方】

もちろん専門学校卒業まで、学生の間だから出来る遊びや体験も本気でやって来た。
お酒の失敗や、外国人に拉致監禁されて殺されそうになった事もあった。笑
これも後に貴重な経験になったと今でも思う。

東京に出てきた事も凄くいい勉強になった。
1番は大人の不甲斐なさと人の心の汚さ
これが物凄く身に染みた。
だから、人付合いの大切さを教わった。
ここまでで、今の僕の人格の基本構造が形成されたと思う。

社会人編

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専門学校は建築設計課だった。
ほとんどの友達は現場監督になった。
設計士なんて、クラスで1人なれればいい方らしい。
僕は、卒業を目標にしていたから就活はしていない。
高校卒業後に、友達の親がやってる会社に入ろうとしていたのでそこに入った。
職種は大工だ。

ここでは仕事に対する考え方がガラリと変わった。
社長(友達の親父)は耳にタコが出来るほど僕にアドバイスしてくれた。

『いいか、仕事ってのは人を使うか・使われるか。
だから、社長にならないと仕事なんてしても意味ないぞ。』

これは本当に衝撃だった。
入社してすぐに社長になれと??
この会社にはリーマンショックから2年経たない位まで在籍していたが、本当に勉強になった。
社会の構図が、一つの会社の中で目に見えて露骨に分かるのは職人だけだと思う。
年齢は関係ない、実力で上下関係が簡単に入れ替わる世界だ。
要は、会社の中は資本主義社会の構図で成り立っている。

結局、リーマンショックの煽りで辞めてはしまったが
3年でほとんどの仕事をこなせる様になり
僕が60歳とかの大先輩をアゴで使ってたんだから
社長が言った事は本当だと確信した。

リーマンショックの反動が収まる前だと言うのに、
アホな僕は義理の兄と起業した。

『リーマンショック中に起業して、乗り越えられたら最強っしょ!』

って言う、訳の分からないノリだけで起業したのだ。
もちろん、義理の兄と言うからには僕はこの時結婚して子供も居た。

そうと決まれば、ちょうど時期も年末でキリが良かったから
社長に年内で辞めますっていきなり報告した。
そう、いつも思いつくまま。

だから、失敗もあるけど僕は失敗だと思った事は一度もない。
それは、勉強不足だった結果がしっぺ返しで自分に返ってきた。
ただそれだけだと思っている。
要は、自分が悪い所を見つけられて
修正するチャンス神様が与えてくれたと言うわけだ。

起業編

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何の業種で起業したかと言うと、当時流行っていた無料回収覚えてますか?
あれの応用版
自動車パーツの買取販売だ。
今で言う『せどり』です。
これがかなり儲かった
自宅で始めたこの事業だが、大きな工場跡を買い取って店を出すまで成長した。
自動車の販売もやったし、簡単な修理やカスタムも自分でやった。
ここで得た知識もかなり大きい。

もともと大工で、仕事に対するストイックさはあったものの接客が素人だった。
これは、SNSの運用にも似ているから参考にして欲しい。

当時、自動車業界含め企業は時代の転換期だった。
理由は、ネットの普及によるお客さんの知識が格段と向上した事が原因だ。
物の価値が、中古ではあってない様な世界だった。
それが一転した、
要因は激安海外商品の参入もある。
この中で、生き残る為に何が必要か考え抜いた答えはこれだ。

【人と人との繋がり】

つまりSNSで言うフォロワーみたいな感じだ。

簡単に説明すると
今までの時代は、お客さんが物の価値を調べる事が出来なかった。
正確にはプロに聞くしかなかった。
だが、そのプロはあなたに物を売ろうとしている。
つまり、正確な情報かどうかは信憑性に欠けるわけだ。
だが、何故か確固たる信頼関係がそこにはあった。

それは、昔からの日本の文化なのだと思う。

わかりやすい例だと、
昔の日本の玄関は、ガラス戸だったりすぐに壊せば中に入れるサッシで作られている。
それに対して、海外の玄関や窓は鉄格子がついてたり簡単に中に入れない様になっている。
それだけ、日本人は思いやりがあり信頼関係で成り立っている文化なんだと思う。
これは、日本人の良い所ではあるが商人にとっては圧倒的に有利な文化だ。

それが、ネットの普及で情報が簡単に手に入り崩壊したのだ。
一度固く紐付いていた信頼関係が緩んだのだ。
ここに僕は目をつけた訳だ。

ここ大切!
情報が出回ったおかげで、
消費者は安い商品がどこで手に入るかが明確にわかる様になった。

つまり、
【利幅が薄い店の方が結果的に儲かる時代】
が来る事が簡単に予想できた。

例えば、
 1つの商品で、5万円利益がある物を月に4つ売って20万
よりも
 1つの商品で、2万円利益がある物を10個売って20万
の方が簡単な時代になった訳だ。

理由はこうだ
の値段よりも3万円安い事になる。
これは、今までの消費者からしたら衝撃的なはずだ。
どうなるかは想像がつく、②の店は長蛇の列が出来る。
長蛇の列は最強の看板になり、それを見てお客はさらに長蛇の列を作る。

一方、はどうだ?
1発の利幅は大きいが信用はどうだ?
そんな店に、誰もいきたくないはずだ。
なぜか、人間の心理的に損されれると騙されたと思うからだ。

その反面、薄利で商品を裁く事によって得られる信頼関係は超強力になる。
リピーターもつく事も容易に推測できる。
まさにwin-winだ。

ここまで聞いてSNSとよく似てると思いませんか?
今思うとこの発想をもう8年近く前に気付いて居たのに最大限に生かせてない自分は本当にバカだ。

この方法で、会社は順調に進んでいたかに見えたが
やはり時代は少しづつ変わる…

独立編①

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この波は結構なビックウェーブだった。
しかし、僕より頭の回転が速い人は
世の中一杯いるものだ。
安く安くで価格が崩壊したのだ。
情報が溢れ過ぎ、更にオレオレ詐欺などの詐欺被害も拡大した事もあり消費者側も疑心暗鬼になったのだ。

こうなったら不況の歯止めは効かない、
結果どうなったかと言うと
値段が少し高くはなるが安心の大手企業にお客さんは流れた。
理由は上記だけじゃない、それに合わせて国は増税したのだ。
どうなったかと言うと、
増税前に信頼のおける大手量販店などにお客さんは駆け込み、余分に商品を購入した。

これは中小企業潰しだ。
当分、消費者は物を買う訳がない。
大企業は持ちこたえるだろうが中小企業はどうだろう?
日本と言う国は、本当にいつもその場しのぎだと痛感した。

そんなこんなで、店の売り上げもどんどんなくなり
次第に、ビジネスパートナー(義理の兄)とも意見が合わなくなっていった。
もともと、僕の薄利で数をこなすと言うアイディア自体
よく思ってはいなかったからだ。
そもそも、この時にはもう僕は離婚していたから
自ら独立する事も考えていたし車業界は個人事業では食べていけないと
薄々気付いていた。
それも、ビジネスパートナーに話たが聞く耳を持ってもらえなかった。

そしてある日突然、解散宣言された。

『売り上げが少ないのは、お前が売り上げを全部ポケットに入れてるからだ!』

と言われた。

ハッキリ言って肩の荷が降りた思いだった。
僕にはもっと、稼げるビジョンが明確にあったが
一緒に始めたからには簡単には抜けられないと思っていたからだ。
こうなったら話は早い。
言い争うのも時間の無駄。
一応、違うと否定はしたが
信じるはずもない。
次の日の夜に、誰も居ない事を確認し荷物を全部取りに行き鍵を返した。

新たなスタートは胸が躍った。

独立編②

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ハッキリとしたビジョンは見えていたが
それを、どの業種で活かすかまでは考えてなかった。
とにかく8年間、自動車業界で出会った人達からの様々な業種のオファーは一杯あったが考える時間をもらった。
しかし、その間もお金を稼がないわけにはいかない。
なんせ、夢のマイホームを購入したばかりだからだ。
本当アホだ。
しかも、再婚も決まっていた。
こんな、めちゃくちゃな男と結婚するなんてクレイジーな女だ。

解散後しばらくは、色々考えたり
8年間突っ走り続けた疲れを癒したりした。
お金はずっと副業でやっていたスロットで稼いだ。

3ヶ月程ゆっくりして計画を実行に移す事にした。
まずは人材集めとコネクションだ。
世の中、電気の時代に移り変わり始めた所に目をつけた。
それは、3.11で明らかになった事
電気無しで人は生活できない

こうなったら話は早い、知り合いに電話して東京電力の下請け工事をする事にした。
こんな早く、やりたい仕事にありつけるのは前職で様々な方との繋がりを大切にしたからだ。
本当に繋がりは大切だと実感した。

天下の東電様の下請けだけあって売り上げは絶好調だった。
と言っても、孫請だから元請けが切られたら終わりと言う心配はあった。

しかし、そこで出会った仲間や僕の下で働きたいと言ってくれた外注さん。
また、新しい繋がりが出来た。
工事現場で会うお客さんからも、ビジネスのお話をもらう事もあった。

本当に今の時代、繋がりが1番。
1に繋がり
2に繋がり
3.4が無くて
5に繋がりだ。

これで、次のビジョンも見えたかに見えたが
やはり沈む時はやってくるものだ。

東電の工事も約3年
契約が切れたタイミングで
大手の工事会社に、元請けが仕事を取られたのだ。
と言っても、蓄えもあるし次のビジネスも考えていたし
特に心配もなく
また、少し休むかと言う程度だった。
そこで、出会った仲間もみんな僕の会社に入りたいと言ってくれて
会社の準備するのにもちょうどいい時間だと思った。

しかし、ここから波乱が起きる。

最悪なとばっちり編

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元請けは、次の仕事は用意していると言っていた。
ハッキリ言って気にくわない奴らだが金はいい。
だから、もう少しここにいても良いかなと思ってしまったのが
最悪なとばっちりの始まりだった。

新たに、従業員4人を迎え入れて歩み始めるられると思い
束の間の休息を送っていた。
昼から、バーベキューやったりみんなで飲みに行ったり
仕事が入るまでの時間、ゆっくりと休息を楽しんでいた。
その間にも、万が一仕事がなくなる事を考え別件の仕事で幾らかは稼いでいた。

・賃貸アパートのハウスクリーニング
(ハウスクリーニングとは住人が出て行った後の部屋の清掃)
・車のオークション会場の移動の陸送
(陸送とは出品車両を人が運転して運送すること)
・東京ガスのIOT化によるメーター器の工事
・大手家電量販店の専属で工事の下請け

実際、この繋ぎの仕事をしている間に半年経った。
仕事を用意する、と言っていた元請けからの仕事も少しはあったが
とてもみんなを養えるような仕事ではなかった。
最後に書いた、家電量販店の工事は
その元請けからの案件だったが
奴らも金がなくなったのか、初めに提示した金額を
売上金受渡し日に大幅に減額してきた。

これは僕の中で決定打になった。

・仕事あるある詐欺で半年間宙ぶらり状態
・金額をお互いに納得して決めたのにもかかわらず受渡し日に減額

これは何を指すかと言うと、前に記載した通り
僕たちの信頼を無くした訳だ。

減額の理由はこうだ、
『うちも苦しいし、困ったときは助け合いでお願いします。』
この言葉を何億回聞いただろう?
しかも、金額を提示してきたのは元請け会社だ。
100歩譲っても、次の月から減額と相談するべきじゃないだろうか?
それなら、今回事業は見送らせて頂き
別の案件が入ったらまた声かけてください。
こうなるのが普通ではないだろうか?

まぁ元々、この会社は【仕事振ってやってんだぞ!】って言う
昭和のスタイルの会社だから
そんな事、考えられるとは1mmも思ってなかったからどうでもいいが。

信用第一のこの時代に、この元請け会社は大事な人材から見放された瞬間に気付けなかった訳だ。
だが、3年近く世話になった恩もある
最後に、こう聞いて今後の付き合いを決めようと思った

僕『これでいいんですね?』

相手『何がですか?』

繋がりの糸が切れた瞬間だった!

その後、今月末をもって元請け会社からの撤退を申し出て
3年の付き合いは終わった。
最後に、面白い事を言っていたから
みんなに聞いてほしい、

『うちの会社との関係を切るなら100万円払ってね、もしうちでまだ働くなら相殺して分割にしてあげるけど。』

これは、なんだったのかだ。
もちろん、無視して弁護士を立てて払わないと
弁護士の名前が入った手紙を内容証明付きで送って黙らせた。

実際、この半年間で貯金も無くなったし
減額された分の従業員の給料の穴埋めは、僕のポケットマネーから従業員に支払った。
マジでキツい。
だが、次の策がないわけじゃない。
この大型家電量販店の工事、マジで美味しい仕事だった。
だから、別の量販店と水面下で契約を進めていた訳だ。
そして現在、従業員はそこで作業員している。
僕はと言うと、さらに1年前からネットビジネスを視野に入れていた。

将来への準備編

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ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。

ここまでで、Twitter始めるきっかけに辿り着きます。
簡単に説明すると、
僕はもともとこの元請けの会社に仕事があるなんて
思っていなかった訳です。

理由は簡単です。
3年かけて、誰の信用もこの会社は得られなかったんです。
僕だけじゃなく、みんなの信用を得られなかった訳です。
そんな会社が、今後生き残れる訳が無い事はもうわかりますよね?
だから自分の身を守るためにもネットビジネスに目を向けた訳です。

勿論、従業員にも何度も何度も進めました。
未だに誰も実行しませんが…
でも、僕は強制はしないスタイルなので個人の意思を尊重します。
ちなみに従業員は募集中なので気になった方DM下さい。
条件合えば働いて貰いたいです。

ネットビジネスについてですが、
僕は一通り調べ、ネットやYouTubeほぼ全部見て
目をつけたのは結局王道ですが

・ブログ記事でのアフィリエイト
・YouTube


この二つでした。
勿論どっちもやりました。
結果、勉強不足で効果は出ませんでした。

ブログは、文章書くの下手過ぎて自分に幻滅
YouTubeは、こんなに仕事では対面ですらすらと詐欺師のように喋れるのにYouTubeになると挙動不審…

悩みました。
結果、色々考えてたどり着いたのが

140文字で自分を表現する世界Twitter】

やっと現在にたどり着きました。
皆さんみたいに、簡単に自己紹介を書こうと始めたのですが
バカな僕は単結に文をまとめられず、こんな伝記のような事になってしまいました。
それか、ただの自分大好き・自分アピール人間でなのかもしれません。笑

とにかくここまでお付き合い頂きありがとうございます。
今後とも私、エイトを暖かい目でお守り頂けたら幸いです。
僕はここまで読んでくれた貴方が大好きです!
本当にありがとうございました。

プライベート波乱万丈編へ続く。笑

サポートは気持ちで十分です。 そのお金でジュースでも買って僕のnoteを読んでください!笑 それでもサポート頂けるのであれば ジュース代かご飯代位頂ければ十分です。 文章を書くエネルギー代だけください! ホントはカスタードクリームが飲みたいです!笑