2024年2月14日〜2月27日


2月14日

「空はいつでも繋がっているよ!」みたいなポジティブ台詞があるけど、あれって結構怖い。だって、この世界に完全に孤立した場所などなく、死ぬまで世界から脱出できないことを意味するんですよ。イヤな環境からはすぐ逃げろとか言うけど、逃げたとてその環境を内包したテリトリーの中でしかなく、同種のイヤさが形を変えて現れるだけなんですよ。空はいつでも繋がっていて、みんな同じ月を見ているから。

空間と同じように、時間もいつだって繋がっている。おじいさんになった自分なんか想像もつかないが、想像できないだけで断絶しているわけではない。いつか今の自分が老いただけの存在になってしまう。というかなりつつある。変化はアハ体験のようにじっくり進むので、どうせ劇的に変化するわけでもない。今努力していない僕は、努力してないなりの老人になるのである。

今の世界は2000年代と比べたら別世界みたいになっているだろう。でも、あまりに地続きな変化だからか、思ったほどの驚きはない。AIが絵を描くとかすごいけど、まあ、賢い人が頑張ればありえるラインの発明じゃないですか。ジャニーズがなくなるなんて想像もつかなかったけど、その火種は昔からあったので大したサプライズでもない。

今は未来の1番端っこでしかないし、どこに行っても同じ空の下でしかないですが、それでも生まれてきたからにはたくさん驚きを感じたい。だからよく考えたら大したことないニュースでも、よく考えずとりあえず騒いだりするのだろう。


2月18日


変な独身に「だから結婚できないんだよ!」と指摘するのはもちろんアウトである。ただその反動か、変な既婚者に「それで結婚してるのかよ!」と言う人はめっちゃくちゃ増えたと思う。


個人的にはななまがりさんのネタで初めて得た気づきだったが、今では会社とかでも「あれで結婚してるらしいよ」みたいな声をよく聞くようになった。この表現に触れるたびに、世間の人々には下記のような認識があるんだろうなと思う。



変な独身に対し、「だから結婚できないんだよ」と指摘するのは、「既婚者ではない常識人」も存在するので良しとされない。「常識人なら、必ず既婚者である」は成立しないのだ。

一方、変な既婚者に対して「なんで結婚できたんだよ」とツッコむのは正しい。なぜならこの図なら「既婚者なら、必ず常識人である」は成立するからだ。常識人は既婚者の必要条件なのだ。

「なんで結婚できたんだよ」は、ただ危険な発言を放つのではなくて、論理的に「コンプラのギリギリをつく」珍しい発言だと思う。こういう上品な悪口には特殊な魅力を感じる。


2月21日

誕生日でした。25歳です。

誕生日がバレンタインの近くなので子供の頃はチョコケーキでまとめて済まされてきたけど、最近バレンタインって嫌われてますよね。単に何かのお礼がしたくてプレゼントをしても「バレンタインに渡したプレゼント」という文脈を与えられる感じ。男女共々何かしらの緊張感を持って過ごさなくてはいけない感じ。GODIVAも「義理チョコはやめよう」とか言ってたし、バレンタインに過剰な意味を与えたくない気持ちは分かる。想いを伝える日もアイテムも、こっちで選ばせてほしい。

ただ、それって、「誕生日」にも言えないか? とも思う。

誕生日というだけでなんか肩肘張って過ごさなければならない。誕生日に何もしない(されない)のが悪という風潮もありながら、誕生日を無視して過ごすとなんかスカしたヤツになってしまう。どうあがいても誕生日という文脈から逃げられない。大多数の人からしたら普通の日なのに、与えられる意味が過剰すぎる。バレンタインと同じじゃないですか?

バレンタインの方が男女が絡むので可燃性が高いのは分かるが、さすがにバレンタインばっか叩かれててかわいそう。もともと司祭が処刑された日なのに、これじゃあ死体蹴りである。誕生日も別にいらなくないか。



このラジオ(4:50〜)で「美容師に差し入れ持っていくサロンモデルは見下してしまう」みたいな話があった。サロンモデルと美容師には「自分を可愛くしてもらう」「美容院を宣伝してもらう」というWin-Winが成立しているのに、さらに「差し入れ」というプラスを押し付ける意味がないというものだった。

誕生日もバレンタインも同じものを感じる。別に普段でも、感謝すべき行為には相応のお返しをしているはずだ。じゃないとただの自己中で嫌われて終わりだろう。自分が社会で生きていけてる限り少なからず周囲とwin-winの関係が築けているはずだ。なのに、わざわざ変なイベントを設けて、無意味な贈与をプラスするのはなぜ……?


まあ、さすがにこれは、僕が儀礼的なものに縛られるのが苦手すぎるだけだとは思う。「お返しだから」とか「そういう慣習だから」みたいなことで思考のリソースを割かれるのが大きなストレスなのだ。ありがたいことに今は金銭的に恵まれているので本当に何もいらない。もし僕がホームレスになったら、その時にパンの耳でも奢ってください。あとこの日が誕生日ってのもウソです。バレンタイン近辺なのはホントですが。


2月22日

最近とにかく世界史を勉強したくなってきた。高校時代コスパでしか受験を考えていなかったので、日本史を選択した瞬間世界史の知識は全て忘れており、そのツケが今回ってきている。あらゆる映画や本で「まあ高校くらいの世界史は知ってますよね?」と目配せしてくるような記述に出会うのだが、ハッキリ言って全然意味がわからない。お笑い番組のドラゴンボール例えに置いて行かれてる感覚だ。

恥も外聞もなく、明らかに初学者用の教材を買ってきた。



まだ古代ギリシャとか初期すぎる段階ですが、本気で受験生みたいなノートまで作ってやっている。書いたりしないと身につかないので……。



で、やってみた感想なのだが、めちゃくちゃ楽しい。タイムリープして高校の授業を受け直したらこんな感じなんだろう。初めて世界史の授業を受けた時はカタカナを覚えるだけで精一杯だったが、今回は「単語自体はなんか聞いたことある」というチートが使える。バラバラの知識がストーリーとして体系化される快感をより深く味わえている。

たとえば「ホルテンシウス法」とか、名前だけは耳馴染みあるけどどういう意味か全然わかってなかった。でも今なら、「あー平民会の決議を元老院の承認なしで通せるっていう、ローマ帝国の身分闘争を終わらせるような法律ですよねー」とわかる。断片的な知識の集積でモヤついた脳内が、明らかにクリアになっていく。

あと、「今さら世界史なんか覚え直しても大して役に立たない」というのも楽しさのポイントだろう。勉強すること自体が今の仕事や市場価値主義へのカウンターになっているというか……。これがプログラミングの勉強とかなら多分3日で辞める。仕事が嫌いすぎて、仕事以外の全てに詳しくなりたい。


2月25日

大学生のころ、鬱症状かなにかで精神科に通ってる友人を家に泊めたら、冗談らしく「あっ! 抗不安薬飲む時間だ!」と言って薬を飲み出した。

僕はそんな宣言すんなとツッコみつつ、「不安をなくす薬があるなら別に俺でも欲しいけどな」と言った。するとその友人は「じゃあ一袋あげるよ」とか言い出し、一回分の抗不安薬をもらってしまった。

「人からもらった精神薬」の禍々しさってすごい。それが入ってるだけで引き出しの緊張感が増す。もちろん飲むつもりはないのだが、なんか精神薬って捨てる気も置きず、今でも自宅に保管している。

じゃあ持ってる意味ないだろと思われそうなのだが、そんなこともなく、心配事があっても「まあ最悪これ飲めばいいか」と思って楽になる。ただの粉薬が宗教的な意味を持ち始めている。宗教ってこうやって生まれたのか?

2月27日


これ面白かった。50音で始まる嫌なものをただ羅列するだけの企画。


中でも「サメ映画いじりを待ってるサメ映画」が良かった。確かに嫌だな。A級を目指してB級になってしまうからB級なのであって、ハナからB級をやりに行ったらもうその姿勢がZ級ですよ。僕が好きなサメ映画は「ノー・シャーク」だけです。

そう考えると、「〇〇を待ってる〇〇」って結構ある。

・取材を待ってる奇祭

・スクショを待ってる深夜番組

・「全然そんなことないよ!」を待ってる自虐

・「それ絶対誰かのこと想像して言ってるでしょ!」を待ってる悪口

・「誤字で意味変わっちゃってるよ!」を待ってるツイート

・「オリンピックより緊張します」を待ってる質問

・「ゆるキャラにしては怖すぎるだろ!」を待ってるゆるキャラ


羅列していて思ったが、これ、そんなに嫌でもないかもしれない。言語化せずとも特定の反応を待たれてる、というのはこっちが信頼されている証だろう。無意味なコミュニケーションをしてでもかまってほしがってるのは可愛げがある。それが鬱陶しいから嫌、という気持ちもわかるが、結局は誰が言ってるかの違いでしかなさそうだ。サメ映画いじりを待っているサメ映画がウザいのは、それを配給会社にやられてるからかもしれない。



あと上記のスクショでいう「なんか悪い奴いるな」みたいな、陳腐なユーモアに陳腐と言っただけの人を悪人扱いするノリよく分からない。何がそんなに悪いんだ? 陳腐なのは単純によくないし、その指摘を「悪いとこ出てるぞw」とかはしゃぐポーズこそまるごとクリシェでは? オモコロの話でいくとダ・ヴィンチ恐山さんの頻出ツイート100とか大好きだったけど、それこそ「特級呪物」とか「禁止カード」みたいな手垢ワードで形容されまくった挙句消えてしまって悲しかった。












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