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2024年6月1日 大泉学園〜和光市


大泉学園駅

自分は愛知県出身なのですが、幼稚園時代は仙台で過ごし、小学校1〜3年は東京で過ごし、小学校4年〜高校卒業まではまた愛知で過ごし、大学は京都に進学、就職を機にまた上京しています。「住むの下手?」という感じですが、今日はその小学校低学年時代に住んでいた大泉学園駅に来ました。



一応「散歩に来た」という名目ですが、そもそもこの駅に来るまでに1時間くらい電車に乗っています。移動のための移動。「動くの下手?」という感じですが、そもそも目的がないことをしているので効率を求めるのは野暮でしょう。

東京の電車はいつも混んでいますが、僕はよく「どうせ満員になるのに席を一つ開けて座る」ムーブをします。こんなことをしたって数秒後には開けた席が埋まります。ならばハナから詰めて座ればいい気もしますが、この行為には、「自分の意思で誰かの隣に座る」状態を避けたい心理が隠れています。

知らない人間に密着されて嬉しがる人はいません。満員電車ならば仕方なくはありますが、少なくとも自分は「密着する側」にはなりたくない。最初に隣人がいない席を陣取れば、そのあと誰が隣に来ようと必ず「密着される側」であれるのです。加害者になるか、被害者になるか。満員電車での動き方は非常に人間が試される場面ではないでしょうか。



100%ってすごいですね。

・生徒が1人しかいない
・「第一志望」のレベルが低い
・第一志望に落ちた生徒は追放している
・嘘

のどれかでしょうね。「大学合格率100%」に関しては別にすごくないし……。


<隙


隙ができたので自分語りします。大学受験のときの話です。

僕は「東日本の食べ物は放射能に汚染されてるから食べるな」といった教育方針の家庭で育ちました。僕自身にそんな思想はなくむしろ迷惑していたので、一刻も早く実家から出たいと考えていました。志望大学は一人暮らしができるかどうかのみを基準にして選びました。

実家で食べるご飯はいつも、九州の個人農家から直送されたスーパーオーガニック素材で作られていました。第一志望の受験のときには親がパンを持たせてくれたのですが、それも農家の方が作った全粒粉的なヘルシーパンでした。昼休みのときにパンを取り出そうとすると、袋の中に小さな手紙が入っていることに気づきました。

それは九州の農家の方が直筆で書いたものでした。「いつも野菜を取り寄せてくれてありがとうございます。もうすぐ受験があるとお聞きました。私たちができることは少ないですが、これを食べて受験頑張ってください!」といったメッセージが書かれていました。

僕はこのメッセージを見て無性に腹が立ってしまいました。別に俺かて周りの人間と同じように化学調味料まみれのコンビニパンが食べたかったのだ。親の思想で仕方なくこんな味の薄いパンを持たされているのだ。いい人ぶられても困るのだ。普通に手紙をしまう場所もなかったので、袋と一緒にゴミ箱に捨ててしまいました。今思えば農家の人って全く悪くないので若干後悔はしてるんですよね。世の中カロリーメイトのCMみたいにはいかないものです。


……っていう話なんですけど(すべらない話でオチがない人がやる誤魔化し方)。



フォントのこだわりゼロ居酒屋。



巨大毛虫みたいですね。

大泉学園雑学①ですが、この土地はその名の通り学園都市にする予定だったそうです。今でいう一橋大学を誘致していたのですが結局頓挫してしまい、「大泉学園」の名前のみ残ってしまいました。

……つまり、まだ誘致が成功してない段階で「大泉学園」とか名付けたハッピー野郎がいたということですよね。そして誰もそいつの命名を取り消さないまま今になってるんですよね。素晴らしいことではないでしょうか。



フォントのこだわりゼロ自販機。



そろそろ「排除じゃないベンチ」を表すレトロニムができそうですね。



大泉学園雑学②ですが、駅近辺に23区内唯一の牧場があります。小泉牧場。住宅地のど真ん中に突然現れます。正直周囲がめちゃくちゃ牛臭いので家賃とかどうなってんだと思います。ちなみに大泉学園雑学は②で終わりです。

小学生の頃の遠足もこの牧場が行き先でした。飼育員の人がめちゃくちゃ怖かった記憶があります。怒鳴るとか叱るとかではなくサイコパスタイプで、笑顔で奇妙なことを言うおじさんでした。自分が乳搾りをしたときは「もう一回やりたかったらまた並んでね! やりたくなかったら、やるな!」と微笑まれました。もう10年以上前の話ですからね。



今でも余裕で稼働しており、家族連れの姿もありました。牛乳ソフトみたいなのも売ってます。



おいしそうな土嚢。



この店も自分が小学生の時からあったけど、ここ以外でドムドムハンバーガーって見たことないな。



コインランドリーの店名を書くより、「大型コインランドリー」という機能を示した方がいいと判断した人がいるな。



まず家を箱だと思ったことないからな。


新座市

埼玉県に入りました。なんか新座市と朝霞市と和光市が近接してるエリアで、自分が今何市にいるか全然わからないので適当に分けています。



真上でお馴染みのコバトンですね。

散歩のいいところって「情報量の低い空間をフラフラすることでデトックスになる」点と、「散歩でしか得られない情報にたくさん出会える」点の2つだと思います。これが矛盾してるようで両立するんですよね。「コバトンがレスリングしているマンホールがある」って非常にどうでもいい情報ですが、この道を歩かないと一生知ることはないでしょう。

一方で「外に行かないといけない」「疲れる」といった特大のデメリットもあるので、たとえばマニアックな土地をただ散歩するだけのYouTubeがあれば登録するのにな〜と思っています。

そこでYouTubeで「散歩」で検索してみたのですが、ノーブラで乳首を立たせて散歩する女性がたくさん出てきました。



マイクロマウスってなんでしょうか。



ちっちゃいロボットを走らせるロボコンみたいな大会だそうです。

ロボットで思い出しましたが、「サイボーグ」って明確な定義がない言葉らしいですよ。工学技術で身体機能を拡張する、みたいな意味で言えば、メガネで視力を上げている人もサイボーグの一種になります。

そう考えるともう今って、全人類がサイボーグと化した攻殻機動隊みたいな世界なんじゃないでしょうか。「人間味」などという概念もとうの昔に腐り切っているのではないでしょうか。なんだか勇気が湧いてきますね。どうせみんなサイボーグなので、できない部分は臆せずガジェットに頼りまくればよいのです。僕は初対面の人と会話を続ける能力が低いのですが、だからって他者とのコミュニケーションから逃げるのは早計でしょう。トランプやUNOなどのガジェットを使えば雑談をしなくても会話が保てます。あらゆる娯楽を外付けして、コミュニケーションサイボーグに変身すればよいのです。


ロボットで思い出しましたが、最近Switchに移植された『ガラージュ』というゲームがめちゃくちゃ面白かったです。



こういう胎児みたいな形の機械になってサイバーパンク風の世界を探索するゲームです。世界観がとにかく緻密。今風のオープンワールドゲームとは違って「マップが狭い」「決まったレールの上しか動けない」「燃料切れの概念がありすぐゲームオーバーになる」など全然機動力がないのですが、そのストレスが逆に心地いい。自由すぎて疲弊する現世に対するアンチテーゼなんじゃないかという気すらします。



これとかただの回復アイテムなんですが、デザインが素晴らしいですよね。マルセイバターサンドのような禍々しさ。そもそもロボットのエネルギー源がカニミソという発想も意味わからないし……。



またマップ内には大量のポスターが貼られていて、それを剥がすとアイテムと交換できるシステムもあります。何といってもそのポスターのデザインがすごい。ここまで直球でアングラだとむしろ気持ちがいい。こういった「別になんでもいい部分」のビジュアルがいちいち神がかっているので飽きずにいられます。

まあでも、どうせ飽きるんだろうな。

割とあらゆるゲームに言えるのですが、「目的Xを達成するために村Aに行き人物Bに話しかけアイテムCをもらい敵Dを倒す」みたいなのって、まんま仕事なんですよね。今は世界観に酔ってるから目を逸らせますが、いつかこの仕事性が無視できなくなり全部イヤになって投げ出す未来が見えます。



『ガラージュ』と一緒に『UNDERTALE』も買いました。このセリフの緩急最高。


朝霞市

突然緑の多いエリアになったなあと思ったら、陸上自衛隊の駐屯地が近くにあるようです。



写真が下手すぎるのですが奥に飛行機みたいなのが写っていますね。



あとは延々とこんな感じの道が続くだけでした。

ああ、つまらないなあ。

つまらない人、正確には「面白さを必要としてない人」を見ると安心します。面白さがマイナスなのではなくゼロの状態の人のことです。洞窟の魚に目がないように、生き残る上で面白さを身につける必要がなかったのだろうと思わせる人のことです。その消極性が、無条件で愛されてきた証拠だからです。

逆に面白い人というのは、ただ生きてるだけでは誰にも振り向いてもらえず、血走った目で"独自の着眼点"を探し出し、"間"や"タイミング"といった集団幻覚の狂信者になり、空気を読む能力だけ異常に発達させ、出す必要のない大声で出す必要のないアイデアを提示しないと存在意義が証明できないのでしょう。そういった必死さに技術が伴わないとより哀れに見えるだけで、YouTuberもお笑い芸人も千鳥ノブのモノマネをする大学生も同じ虚しさを抱えています。500年前の演劇だろうが、泡沫候補の政見放送だろうが、翻訳すれば皆「私を見てくれ」と情けない叫び声を上げているのです。



熊本でいうくまモンくらいコバトンいるな。


和光市

なんとなく「天理市」みたいな宗教由来の地名かな? と思いましたが全然そんなことありませんでした。一般市民からの公募で決まった地名だそうです。



写真で伝わらない気がするんですが、この公園、入り口がないんですよね。四方をフェンスで囲まれていて、このパンダとコアラだけが取り残されて夕陽を眺めていました。



なんかの風刺でしょうか。



ゴール。実は埼玉県は初上陸でした。住みやすそう。引っ越そうかな。引っ越さないけど。











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