ストロベリーシェイク

僕はマクドナルドのマックシェイクストロベリー(M)が大好物だ。

おそらくは人工の香料と、人工の色素で表現されたと思われるストロベリー味。手元にカップが届いても、まだその香料と色素の存在はわからない。ストローを口にくわえ、通常の飲み物より幾分か吸引力が必要な、その、もったりした液体を吸い込む。その瞬間にストロベリーの香料を感じる。毎日のヘビースモークにより、だいぶ鈍ったと思われる僕の嗅覚では鮮烈な香りとまではいかない。ただ、「あ、ストロベリーだな」という風味である。

そのストロベリー風味のもったり液体は、ストロベリーであるという信念を抱いたまま僕の喉を冷ややかに通過していく。あるいは、これはストロベリー味であるという概念が僕の中に確固たるものとして存在しているのかもしれない。何はともあれ、僕も、(僕の考える限りでは)ストロベリーシェイク自身も、ストロベリーシェイク(M)であることに疑いを持っていない。僕は液体を吸引し、嚥下している。

ここまで経過している中で、そのもったり液体をストロベリーシェイクと認識させている事実はストロベリーの香料の匂いだけである。

もちろん、僕はカウンターでストロベリーシェイク(M)を注文し、支払いもし、レシートにはそう記してある。そのうえでこの液体が提供されているのだから、状況証拠としてはまず間違いはない。

念のため、液体の色も確認してみるが、僕の知っているあのピンク色である。女性の網膜や後頭葉辺縁系からなる視角認識メカニズムによる紫外線の認識には遠く及ばない僕の目でも、それはピンク色(ピンクも多種多様だが、僕からすれば一様にピンクである。)と思われる。

とにかく、人工的な何かで形成された、このストロベリー味を僕はこよなく愛している。イチゴ味ではなく、ストロベリー味。イチゴの持つ酸味などなく、ただただ甘いイチゴ風味が僕の現代社会にもまれて疲弊した心を癒してくれるのである。

マクドナルドの片隅で、38歳の中年(僕は中年という単語に敬意を抱いていて、仕事も軌道にのり、ある程度自分の意志決定で人生を楽しみ、時には趣味活動にいそしみ、家庭があって、周囲からヒンシュクをかわない程度の車に乗り、生命保険に加入し、収入のいくらかは貯蓄に回している、社会的に中流といわれる人々の事を指していると考えている。僕とは程遠い言葉である。が、この場ではあくまでも数字としての年齢が表す、一般的な表現として用いる。)がストロベリーシェイク(M)をすすってその存在や概念について思いを巡らせているということは、周囲の人々にどう映るのだろうか。はたまた、ピンク色の甘いシェイクをすすってほころんでいる中年男性はいささか不気味なものがあるのではないだろうか。

やはり、ここはアイスコーヒーを注文すべきであっただろうか。

ここで僕は一つの事実にたどり着く。今日は、最近導入されたモバイルオーダーで注文し、席まで運んでもらっている。38歳の中年男性がストロベリーシェイクをすすっているという事は僕と店員しか知らない。コーヒーではない、冷たい何か。をすすっているのである。ピンク色のやや女性的な印象を受けるその飲み物が僕の手の中にあるとは、周囲の人は今のところ知らないのである。

とにかく、僕がストロベリーシェイク(M)をこよなく愛していて、今この瞬間ストロベリーシェイクと僕だけの甘美な世界に浸っていたとしても、誰も気にしていない。

そういえば、期間限定のマスカット味は最高だった。

ストロベリーシェイク(M)、ごめんよ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?