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(華恋とひかりから見る)少女歌劇レビュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド

タイトル通りかれひかを重視し劇場版を見た感想。考察と呼ぶにはふわふわし過ぎているのであくまで感想。
当時思ったことをメモアプリに書きなぐり、それをほぼコピペして貼っただけなので乱文はご了承ください。もちろんネタバレ満載です。


ロンドンでのレヴューではひかりの上掛けは赤。そしてひかりの運命の舞台において、華恋が一度敗れたあと、「ひかりちゃんはずっと、運命の舞台に囚われていたんだね」のセリフで星摘みの塔に倒れていたひかりの上掛けも赤。

ロンド以前、つまり聖翔初めてのレヴューと、その先のひかりが聖翔に来るまでの再演において、華恋の上掛けは恐らく青?
また仮にそうだとして、分かちあった2人のきらめきはどの程度の比率?←これが個人的に1番の難問

ひかりの運命の舞台においての「奪ってみせて」の場面で、ひかりは「きらめきを交わしたあの時(幼少時)と同じ」と表現
ロンドンでのレビューで星摘みの塔に幽閉された、本来は華恋のものであるきらめきを、当時交わしたのと同じような要領で奪って欲しい?
→解放して欲しい?もしくはこれ以上華恋のきらめきを自分が持つことは危険であるため?
(ただこの仮説は、ロンドンでのレビューが「戯曲 スタァライト」で無かったため信ぴょう性に欠ける)

ひかりが聖翔に→華恋の中にあったひかりのきらめきを奪いレビューに→華恋の中には華恋のきらめきのみ(もしくは+少量のひかりのきらめき)が残り上掛けは赤に
この時点で華恋のレビューへの参加権が無くなったことから、2人は幼少時、少なくとも半分以上のきらめきを交換したことになる。後のことを考えると8~9割の可能性も。

ひかりに自身の中のひかりのきらめきを恐らく奪われた華恋が、初めから容易に再生産をできたのは「ななに守られていた」から?
ななは「華恋は自身のきらめきでレヴューしている」と勿論考える→再演にあたりある程度、舞台少女愛城華恋のきらめきが保証されていた?

ななの再演は星々の絆で華恋に負けた時点で終了(重要)。また終盤で華恋が「きらめきが無くなっても終わりじゃない。舞台に立つ度新しい自分に生まれ変わる」
つまりななvs華恋の時点で、華恋の中のきらめきはひかりのきらめきに頼らなくてもいいほど再生産されていた?

『他の舞台少女のきらめきを肩代わりした死せる舞台少女』これはひかりに言っているようで華恋にも当てはまることなのでは

『また戯曲スタァライトは作者不詳の物語』
空白である続き、つまり劇場版以降は、恐らく舞台少女全員がきらめきを「燃料として消費」しながら演じることとなるが、足りなかったひかりのきらめきを肩代わりし物語の続きを始めた華恋が真っ先に『死』を迎えてしまうのではないか

またひっかかるのが作者不詳という点。『舞台少女としての死』を回避するためには、誰かが作者となり空白の台本を描く必要がある?
B組に通じていたななが、スタァライトの作者として(観測者として?)の地位に立つことに?
→一応ななが脚本に興味を持ったことの伏線を回収することには繋がる。強引だが

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