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れにちゃん推しのおっさんに捧げる

ももクロが人生の中心だった時代を
一緒に駆け抜けていたれにちゃん推しのおっさんが亡くなったという知らせが届いた。

その人との出会いは10年前、初めてももクロの紅白出場が決まった年の年末
有志で企画した聖地代々木公園でゴミ拾いをするイベントだった

日頃から清掃が行き届いている代々木公園だったので、
今さら自分たちにできることはなかったけれども、
代々木公園の路上ライブで下積みをして、ついに紅白歌合戦でNHKホールに立つ彼女たちを前に、いてもたってもいられない人たちの集まりだった

同じれにちゃん推しで、当時学生だったぼくと年の差は30歳くらいあったけど、
同じような熱量で応援してて、初めてできたヲタクの友人だった

その後も、一緒にライブに行くわけではないけれども、ライブが始まる前になんとなく集まって会場で話したり、ライブが終わった後に飲みに行った ライブで叫んで喉を潰しつつも、横浜アリーナでのライブの後に徹夜でカラオケに行ったり、国立競技場の後に小さな居酒屋で感想戦をしたり、楽しかった

ライブがない日でも、ももクロちゃんたちが行った現場の聖地巡礼にも車を出して連れてってくれて、おしゃれな街並みである表参道の展示会にヲタク2人で行ったり、川越を観光したり、海老名ICで爽を食べたり、少し高級な焼き肉を食べたりした ふと話した内容が今でも覚えていて、たばこを辞めた。その、理由がそんなお金があったら推しを支えるために使いたいから。

ただ、れにちゃん推しのおっさんが企画したQuickJapanの感想戦で相席になった知らないおっさんが、ぼくの苦手なタイプの人で微妙な空気になってしまって、距離ができてしまった

時を同じくして、ぼくは同世代のヲタクたちと、おっさんはおっさん同士でのコミュニティが広がっていった もちろん仲はいいままなので、いろいろと仲良いヲタクを紹介してくれて輪が広がってはいったけれども、受け入れきれないさみしさもあった

やがて、おっさんは体調が悪くなって、会う機会がめっきり減った。2016年、2017年のこと それこそ、ももクロのライブで会えることはなくなったくらいだ

それでも、有安杏果の卒業コンサートでやりとりをしたり、久しぶりに会うことができたのが、れにちゃんのソロコンサートだった
2018年3月9日の川崎
4月から大学院を卒業して就職をすると言ったらいじりながらもお祝いしてくれた
ももクロ10周年の東京ドームは行きたいけれどもチケットも当たらず、新入社員だったので休みも取れるのかわからずみたいな話をした

その後は、現場に来ることはなく、れにちゃんの誕生日やももクロの記念日にお祝いツイートをするくらい
れにちゃんの結婚も見届けていた

そして亡くなった

その知らせを聞いた次の日
ぼくはぼけーっと自転車を漕いでいたら、ちょっとした段差で転んで骨折した

「俺のことはいいから、推しのことだけ見てろよ」とそのおっさんは笑うだろう

ぼくは痛すぎて泣いた

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