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『魔法少女まどか☆マギカ』~あなたを大切に思う人のことも考えて(セリフ)~

サムネイルが少し恥ずかしいですが、これがいいと思ったので「えいや!」で貼り付けました(笑)。

私は、このアニメが大好きで何回も見ています(笑)。主にこの5人が出てきて物語が進んでいきます。

あらすじを書くと長くなってしまうので、タイトルにもある「あなたを大切に思う人のことも考えて」のセリフを言うまでのあらすじと私が思うことを書きたいと思います。(かなり重要なネタバレが含まれてしまいますのでアニメをみたい方は注意を)


暁美(あけみ)ほむら(写真、黒髪ロングの子)が鹿目(かなめ)まどか(写真、ピンク髪のツインテールの子)に言ったセリフで、まどかが魔法少女になるのを止めるために泣きながら言ったセリフです。魔法少女になるのを止める理由は、魔法少女は魔女と闘うと最終的に魔女になってしまうからで、”ほむら”は”まどか”を守るために何回も別の時間軸へ戻って”まどか”が魔女にならないように苦しみながら頑張ります。

以下は”ほむら”が””まどか”に「あなたを大切に思う人のことも考えて」を言うまでのセリフと”まどか”のセリフになります。

まどか                              「私は…自分なんて何の取り柄もない人間だと思ってた。ずっとこのまま、誰のためになることも、何の役に立つこともできずに、最後までただ何となく生きていくだけなのかなって」
「それは悔しいし、寂しいことだけど、でも仕方ないよねって、思ってたの」
ほむら                               「貴女は、なんで貴女は、いつだって、そうやって自分を犠牲にして」
「役に立たないとか、意味がないとか、勝手に自分を粗末にしないで」
「貴女を大切に思う人のことも考えて」
「いい加減にしてよ!」
「貴女を失えば、それを悲しむ人がいるって、どうしてそれに気づかないの!?」
「貴女を守ろうとしてた人はどうなるの!?」

うえ~~~~~~~~ん(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)


”まどか”と”ほむら”のセリフ両方で泣きますわ。このセリフを初めてアニメで聞いた自暴自棄のとき私は一人でひっそりと「ジ~ン」と感動していました。今書いているときでもひっそりと「ジ~ン」と感動しています。

このセリフを書いていたら「あなたを思う人のことも考えて」も感動するんですが、”まどか”と”ほむら”の前後のセリフも重みがあって胸に残っています。

恐縮ながら、自分に照らし合わせると、目の前のことに夢中になって特別になろう、何者かになろうと頑張るけど上手くいかなくて、それでももがいて、将来も不安で、何も希望が持てなくて、本当のことを打ち明けられるような人や存在がいないと、どんどん視野が狭くなっていき「何の取り柄もない、意味のない人間だな」と暗い沈んだ気持ちになります。

そんなときに「あなたを思う人のことも考えて」と言われて初めて私を大切に思っているかもしれない家族や少ない友人のことを思い出しますが、それでも生きることに絶望していた私は捻くれていて「いや、”まどか”のように明るくて、”ほむら”を守ってきたから”ほむら”に大切に思われているだけで、何もしない私は例え家族でも大切に思ってくれていないんだ。心から私を大切に思ってくれる人なんて、この世にいないんだ。」と勝手に自分で思っていました。

それでも、何だかんだで、もがきながら生きていたら、私が生まれる遥か昔から、私が人間であると自覚する前から、私のことを心から心配して下さった方がいて、2500年前にインドで生まれたお釈迦様がその方を紹介して下さいました。

名を「法蔵菩薩」と言いまして、生きている間は目の前のことしか見えなくて、本当のことを知ろうとしても何も分からず、苦悩を抱え生きて死んでを「苦しい、苦しい」と言いながら永遠と繰り返している「私」を可哀そうに思い、生きて死んでの苦しみの無限ループから脱出させるために立ち上がってくれました。

「私」がどうすれば生きて死んでの苦しい無限ループから脱出させられるか、その方法を長い間、考え、脱出させるために実現する因を果てしなく長い時間、修行を積んで「南無阿弥陀仏」という名号に修行の全ての功徳を詰め込み、「阿弥陀仏」という仏さまになったようです。

そして現に今、私の周りで南無阿弥陀仏という声になって働いているようです。

何回も話を聞いていますが、未だに、その救いに会えていません。南無阿弥陀仏が作られてから、もう果てしない時間が経過しているようですが、「私」は気づかないまま、ずっと迷っているようです。

しかし、救いに気づけない私でも「私」という存在そのものを「命」を無条件で受け止めて心から大切に思ってくれているようです。

私の方は「命」を全く平等に見ておらず、誰にも必要とされなければ私自身の命も大切にできない愚かな存在です。

人間の価値も、その人がどのようなスキルを持ち、社会で役に立つのか?でしか判断できず、何もしない人やできない人は何の価値もないと切り捨ててしまい「存在そのもの」を認めることができません。

残念ながら恐らく社会もそのような考えがあると思われます。

人間にとって何か役に立つことができる「能力」をもっているのか?否か。「能力」でしか人間の価値を認めることができず、「存在そのもの」の価値は認めることのできない「私」であり、「社会」であるなと思います。

それでも、こんな冷酷な考えしか持っていない「私」、どこまでも自分中心な「私」をそのまま包み込んで「南無阿弥陀仏」と呼び詰めていらっしゃる声を早く聞いて、南無阿弥陀仏に会いたいなと思いました。

わたしを大切に思って下さる方に、阿弥陀さまに返事をしていきたいなと思いました。

なんか、ちょっとグダグダ感ありましたが、以上になります(笑)。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

ありがとうございました。












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