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忘れられない出来事

相談の依頼が入りました。
その利用者さんの生年月日を知った時は複雑な気持ちがしました。

介護保険は40歳以上64歳迄の医療保険加入者であり、加齢に起因する特定疾病として16の病気が定められており、その病による要介護状態の人は第2号被保険者と呼びます。
そして介護保険が利用できます。

その2号被保険者の一人暮らしの男性です。
ある時便秘が気になり病院に行ったところ大腸に癌が見つかりました。切除手術できてほっとしたのもつかの間でした。
1ヶ月後の検診で何ヵ所かに転移が見つかりました。手術が不可能な骨にもありました。
2ヶ所以上の転移はステージⅣとの診断となります。そして間もなく半年位との余命宣告を受けたのです。

私がなぜ複雑な気持ちになったかというと自分が生まれた年と月が同じでした。同じ年齢なのです。
決して若いとは思ってはいないのですが、先の命の期限が短いとは考えたくない年齢です。

会ってみるととても端正な顔立ちで身長もあり一般的な言い方のかっこ良い男性でした。
集合住宅の住居はとてもきれいに片付けられていました。
色々質問される会話からしっかりされた几帳面な人柄が窺われました。
自分の意思の強さが感じられました。
そんな魅力的な方だから長年の連れ合いがいらっしゃいました。
とてもチャーミングな女性でした。各々の事情があり籍は入れずに家庭ぐるみのお付き合いをされているそうです。

周囲に弱音をはいたり迷惑はかけたくないと仰って抗がん剤の治療に交通機関を利用され一人で行かれていました。
そのうちに自立歩行が大変になりました。
その連れ合いの女性は、どうしても一緒に行かせて欲しいと頼み同行するようになりました。
抗がん剤の副作用がとても辛くなりました。
残る時間が同じならば苦痛ない生活の質の方を選びたいと、抗がん剤は止めることに自分で決めました。
進行するにつれ痛みが増してきました。
痛み止めのコントロールで思考が回らないと仰っていました。その中でも介護サービスの質問をされて周囲に迷惑を掛からない様にしたいとポータブルトイレに変更し片付けをヘルパーさんにお願いしたい。等々、相談を受けました。ご意向どおりの最低限の本人意向に沿ったプランを作成し支援が進みました。

以前より神経質に考える思考であったことや死の恐怖や現実の痛みを回避したい気持ちより、希死念慮が段々膨らんでいきました。
訪問医療の医師や訪問看護師へ「窓から飛び降りたい。」と訴えます。
薬ではどうすることもできません。
そこで、連れ合いの女性は仕事を調整され泊まり込むことにしました。

暫くすると、迷惑を掛けたくないと終末期の病院への入院を自ら決めました。
そこで私の支援も終了と思いました。あまり出る幕の無い私は正直なところ安堵しました。
この先どんな支援ができるか分からないままだったからです。

その方にはお姉様がいらっしゃいました。時々訪問されておりとても仲良しでした。
入院から3週間位経った日にお姉様から連絡来ました。
弟が「やはり家に帰りたい。」と言うので一旦家に帰ります。との事でした。
そして、介護サービスは再開となりました。
それから2週間位経過しました。

連れ合いの方に遠慮されていましたが、仲良しのお姉様も泊まり込む事になりました。その夜の出来事です。
「飲み物を買いに行きたいからお金を渡して欲しい。」といいお姉様が千円渡すと「もう少し欲しい。」といい、お姉様は五千円を渡しました。そして一人の歩行もままならないので、一緒にコンビニへと二人で歩き出しました。
そこへタクシーが通りかかりました。タクシーを止めて乗り込むので一緒に乗車しようとした姉の体を振り払いました。
お姉様はきっと連れ合いの所へ行きたいのだろうと考えてそのままタクシーを見送りました。
その夜から何日も行方が分からなくなりました。痛み止めが切れれば生活はできませんし所持金は五千円です。

警察から連絡が入ったのは10日位後であったと思います。
ある人工湖で最悪の予測された状況の姿で見つかりました。

後になりわかったことです。
退院してからのあの2週間の間に知り合いの司法書士に依頼があったそうです。
亡くなる迄は誰にも言わないで欲しいとの遺言書でした。
そこには、身の回りの整理後に残った財産は連れ合いの方にと書いてありました。
籍が入っていない連れ合いの先を案じての事でした。

利用者さんにとって私の支援は、ほんの少ししか役立つことはできませんでした。
しかし私にとっては衝撃的な出来事でした。
そして相談員としての経験の中で、心に深く残る利用者なのです。

☆★☆

映画「太陽の子」を鑑賞しました。
昨年終戦記念日にドラマで放映されましたが、それが映画化されたものです。
黒崎博監督が偶然目にした若き科学者が残した日記の断片より歴史的にも驚愕の事実を基に描かれました。
戦時下の極限の状態の設定です。舞台は京都です。
若者三人が語る朝焼けの海の壮大な波や美しい海のシーンでは、大自然の波の音が情景と共に写し出されます。
日本的な風情ある日本家屋に亡くなった夫の遺志を継ぎ家を守る芯の強い母がいます。
その家で家族が集います。質素ながらでも心のこもった食事をとりながらの語らいは、お互いに思い遣りを感じます。重々しい振り子時計の音や畳や階段を踏みしめる静かな足音が悲しい状況や家族の未来を心配する背景を表します。
それ以外にも昔の懐かしさを思い起こす木々の緑のかおりを感じます。
蝉の音や夜の虫の音が夏の田舎を感じます。
何ヵ所かでの薪の燃える場面では人の命を表すように炎の燃える音がします。
三浦春馬演じる裕之が母や兄や幼なじみの見送りを受けて再び戦地へ向かいます。
挨拶の後、向かう後ろ姿のシーンでは、日本を守る強い意志をもつ兵士の足音でした。

三浦春馬さんは、黒崎監督からオファーがあった時に脚本を読んで「これはやりたい、自分が演じたい。」と受けられたとのこと。
「裕之は死と隣り合わせにいるからこそ、毎日を愛おしく思って生きています。期限付の命だと自分で分かっているからこそ精一杯生きる。初めて春馬くんと会った時、全力を傾けます。と言ってくれて励まされました。
この役がなぜ自分かということも分かってくれたようで、それも意気に感じました。」
監督からのこのエピソードを知り、益々忘れられない作品となりました。
三浦春馬は本当に素晴らしい俳優です。
柳楽優弥さんも有村架純さんも日本を代表する名優に間違いがないです。


明るい未来を信じ、愛し、生きる。
いっぱい、未来の話をしよう。

戦時下でこれからの未来を良くしたいと願い犠牲になった人々がいた。
戦後76年の現在はその人々が望んだものになっているのでしょうか。
今日は終戦記念日です。
戦争の話しは避けたい気持ちがありますが、
この作品と共に忘れてはならない歴史なのだと思います。

一人一人誰もが限りある命なのです。

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