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私には理解できない

その利用者さんとは支援者として、長いお付き合いになりました。92歳の女性です。
その利用者さん、私にはどうしても理解ができない言動があるのです。

お父様を先に亡くされて、お母様とお姉さまと同じ節約家の価値観をもち三人で仲良く暮らしていました。
以前、家を買おうと何度か見に行きましたが共に「大金を使うことに踏み切れなかた。あの時買えば良かった。」と話されていました。「えっ現金で家を買うの?」私の心の声です。
若い頃は役所関係に職業婦人として働いていたそうです。
高齢のお母様に継ぎ、大好きなお姉様が病気になられ看病され亡くなられました。
綺麗にされたご仏壇のお供物をいつも欠かせたことはありません。
姉妹共に結婚歴がなくお子さんはいらっしゃいませんし親戚付き合いもないのです。一人も身寄りがありません。

「私は人との会話が苦手です。」とおっしゃいます。
趣味はテレビ鑑賞で相撲や野球観戦がお好きです。また、NHK番組チコちゃんに叱られるをクスクス笑って観ていたのを見かけたことがありました。笑えるということは、内容を理解する力はあるのです。
毎日一人で過ごしていると身体的にも認知機能にも刺激がないので良くありません。
「デイサービスは会話はしなくても大丈夫です。だから行きませんか。」と何回もお伝えましたが、「幾ら掛かりますか。あーいう所は嫌いです。」
そんな暮らしが続きました。
最近は、テレビも付いていることが少なくなりました。
心身の機能も聴力も益々低下してしまいます。
聴きたくない話の時には、「はぁぁ、私は耳が遠くて頭もボケて何も考えられなくなりました。」とおっしゃいます。

問題は、度を越した節約家なのです。
例えば入浴方法です。
3ヶ月に一回、お湯を張ります。そのお湯が汚れるまで続けて三日間入浴します。そしてお湯を捨てます。また3ヶ月間はお湯は張りません。
「浴槽の掃除も回数を節約できますから。」とおっしゃいます。「成る程ですね。」と納得なんかできません。
通院されていた主治医から話があり、「病院に来た時にも匂うので訪問診療に切り換えましょう。」となってしまった程です。
その先生のことを信頼されていたのですが、一方通行のコミュニケーションになってしまうのです。
どうにか利用に繋がったヘルパーさんに対しても選り好みがあります。
「私に優しくしてくれる人が良いです。」と一方的におっしゃいますが、コミュニケーションが上手くとれません。一方通行なのです。

夏も冬も冷暖房は使いません。夏は脱水、冬は寒くて体調崩し入院するようになりました。
独り暮らしがなかなか難しくなってきました。
施設に入所するには後見人が必要です。ですが「幾ら掛かりますか。私は人を信用できない。騙されませんか。」とおっしゃいます。一向に話が進みません。
訪問の度に「お金がない。一文無しになったら私はどうすれば良いのですか。」と同じ話を繰り返すようになりました。
しかし、私は知っているのです。
押し入れに置いてある黒いがま口型のバッグの中には何冊もの預金通帳の束が入っていることを。それを本人が忘れていないことも。
本人に解決する意思がない相談ごとの傾聴は疲れます。

ある日、「残高が幾らあるか不安なのなら一度、整理しませんか。今ある預貯金は有効に使った方が良いです。」と私は言いました。
「自分の残高は知っています。遊びで何ヵ所にも口座を作りすぎました。」と言いながら紙切れを見せて下さったのです。
預貯金のメモ書きでした。それを見て桁は万円に違いない。ふぅ、私の目はきっと最大に丸くなっていたに違いありません。
今から高級老人ホームに入ってもおそらく使いきれません。
今更の環境の変化は体に悪いですし、そうなる選択は自分がされないです。

庶民感覚な私は、不思議なことに支援する心が萎えてきました。
もやもやする気持ちが何故か続きます。
もし、預金を使えば明日から介護的には何の問題なく安心に暮らせますのに。

そうしているうちに私の心の中にいる春馬さんがこう言いました。
僕は以前、車とかマンションとかを断捨離をしたんだ。
華やかな生活環境から卒業したかったからなんだけどね。
経済的に安定する様になると他に大切なことが見えてくるんだよ。
自分の努力や才能も、自分一人では確信が持てない。贅沢な暮らしをしてみても自らの価値観は自分一人では保てるものじゃないのだと知ったんだ。上っ面のお世辞じゃなくて、現実の弱い自分を認めてくれる人と出会いたい。気持ちや感情を伝えて本音で付き合いたい。そうすることで本当の自分が分かってくるのではないかな。本音の付き合いは人を成長させてくれるし段々、自信が持てるようになってゆく。
「人は所詮、孤独なものだ。」と言っていても、人との関り合いが必要なんだ。少し甘えて少し依存して、自分を誰かに分かって欲しいものなんだよね。

たとえ有り余るものがあったとしても、人生は手に入らないものだらけなのですね。
それにしても使い道がない預金なんて悲し過ぎです。
私は気持ちを切り替えて、その利用者さんと向き合える気がしています。

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